断腸亭料理日記

さらば名古屋

10月1日(金)
サラリーマンである。
今日の辞令で、東京に戻れることとなった。

一昨年12月から、1年と10ヶ月あまり。
長いような、短いような名古屋の生活であった。

良いことは、この日記を始めるきっかけになったこと。
悪いことは、数え上げたらきりがない。

うまいものは、ひつまぶし、味噌煮込みうどん(それも、山本屋のもの)、カレーうどん。
まずいものは、数え上げたらきりがない。

東京の人間が、最も、性に合わない地方(ところ)である。
街も、人も。(仕事ではもっと、性質が悪い。)

名古屋に関する考察は、されつくされている。
曰く、偉大なる田舎。
モラルの低さ。馴れ合い、もたれ合い。

煎じ詰めると、名古屋というところは、社会として、ゆるい

筆者が思うに、この風土は一朝一夕(明治以降、もしくは戦後)
にできあがったものではない。

例えば、東北の実りの少ない土地、九州の南端と比べ、
気候的にも温暖で、豊かで広い濃尾平野にあり、京都、大坂にも近い。
恵まれた環境である。
しかし、原因はそれだけではない。

歴史的に見て、江戸時代、300年に渡る、尾張藩の存在が大きく関わっている。
御三家筆頭。全国の「藩」のなかでの、地位はもっとも高い。(そのくせ、将軍は一度も出ていない。)

播州赤穂の忠臣蔵の例を引くまでもなく、外様であれば、いつ、取り潰しになるかわからない。
幕府から、様々なことで、金を絞り取られ、厳しく管理されていた。
自然、領民も、社会としても、締まる。

この、締まり、が、他地域と比べ、かなり、ゆるかったのではないだろうか。
そのゆるい、300年の間に、培われた社会である。

いっそのこと、名古屋だけ、日本から独立してくれないだろうか?
東京が止めた、万博をやろうというセンス。

このくらいで、止そう。

もちろん、個人的には、いい人もいる。
礼を申し述べたい人もいる。

しかし、それを帳消しにして余りあるほどの、名古屋である。

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今日は、料理日記にならなかった。
たまには、こんな回もあってもいいか。
帰京しても、この日記は続く。(!?)

皮肉なことであるが、今度は妻が、兵庫県の淡路島へ、来年の1月までの予定で、長期出張が決まり、依然として、今度は、東京に戻って一人暮らしの生活が続くことに、、。

※平均点  2.600      合計 30人

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