断腸亭料理日記2025
4712号
1月7日(火)第一食
さて、ちゃんぽんである。
正確には、長崎ちゃんぽん?。
なぜかは自分でもよくわからぬ。うまいちゃんぽんが食べたい。
食べたいのだが、やはり東京、特に、私の住む界隈には、
ちゃんぽんを看板にする店は少ない、、いや、ほぼない
のではなかろうか。
先日まで、御徒町にあった[リンガーハット]も
なくなってしまった。
それが、なにかのTVで新橋、虎ノ門にあるのを知った。
そこでは、かなりの大盛を食べていた。
新橋なら銀座線で一本。行ってみようか。
場所は西新橋一丁目。
虎ノ門駅と新橋駅の中間だが、虎ノ門に気持ち近いか。
昼は14時すぎまでなので、13時ちょうどに出る。
虎ノ門の後ろの出口から出て、外堀通りを新橋方向に歩く。
愛宕下通りの交差点を渡って右側の一角、一本入った
ところ。
だいぶ探してしまった。
古い店だと思うが、少し前に移転し、店の看板も目立たず、
ビルの地下になっていた。
さて、この界隈、以前は仕事でぶらつくこともあった
のだが、めっきり最近はこなくなった。
改めて調べてみた。
おもしろいことがいくつか見つかったのでバラバラしているが
書いてみる。
現代の地図
なんとなく、場所はお分かりになろうか。
そして、まず、江戸の地図。
江戸
店の場所であろうと思われる場所に★印をつけた。
外濠があって、西側に虎ノ門、金毘羅様。
ここ、外濠が、今の外堀通りではないのに留意したい。
東が新橋。江戸の中期から芝口橋という名前が正式で
あった。
この店の場所は、町家ではなく、大名屋敷で、町名はない。
稲葉伊予守、九州大分豊後臼杵藩五万六千石、外様。
町とは関係ないが、この豊後稲葉家ちょっとおもしろいので
書いてみよう。
大名家の稲葉家は二家(正確には分家を入れて三家)あって、
幕末まで続いている。
臼杵藩の稲葉家は外様だが、もう一家、譜代の稲葉家があった。
江戸初期、家光の時代老中を務めた、稲葉正勝の家。
ご存知であろうか、この人、母が例の春日局。
春日局はご存知の通り家光の乳母。
家光の乳兄弟という関係。それで普代で幕府の重職を
勤める力を持ったのである。
一方、臼杵藩の稲葉家も元は同じ家でどちらかといえば
こちらが本家筋。関ヶ原で西軍につくが、途中で寝返り
武功を立て、豊後臼杵で家は続いた。春日局、正勝の
力もあったのか?、いや、それはないか。家光誕生は
関ヶ原後4年後。微妙か。ただ、幕末まで臼杵稲葉家が
続いたことには影響があったろう。ともあれこの件、
私は知らなかった。こんなことがあったのである。
さて、明治も出しておこう。
明治30年
(東京一目)
さて、ちょっとわかりずらいかもしれぬが、明治には
ここは南佐久間町となっている。
この界隈、私など落語マニアには久保町という知った町名が
見える。久保町は、志ん生版「富久」で久蔵が浅草三軒町から
火事見舞いに、寒空の夜、駆けつける場所。
で、ここの話題は、それではなく桜田、という名前。
この地図だと、新桜田町という町名しか見えぬが、
この界隈、桜田七町とか八町といって、久保町は桜田久保町、
桜田善右衛門、桜田備前町などなど、明治でも頭に桜田が
付いていたのである。
これ、なんであろうかと、疑問に思った。
桜田といえば、江戸城の桜田門のことがすぐに思い浮かぶ。
ここからさほど遠くはないが、やはり妙であろう。
調べると港区史によれば、江戸初期に江戸城二の丸下から
集落が移転させられて、桜田の名前が残ったよう。
日比谷神社というのが東新橋の新幹線の高架脇にある。
これも、日比谷にあったものが移動させられたもの。
この界隈の江戸初期あるある、のよう。
そして、さらにおもしろいことがわかった。
実は、桜田というのは、江戸開府よりも古い地名であった。
古くは桜田郷といって、もっと広い地域を指していたよう
なのである。平河(平川)あたりから、三田(御田)の手前
あたりまで。港区史
を読むとあたり前のことのようで知らなかったのは、私の
不勉強であった。
もう一つ。また、違う話し。
ここに見える、外濠。これがいつ埋め立てられたのか、年代
の問題である。これが私ははっきりしていなかったのである。
江戸城の濠など江戸の堀川が埋められたタイミングは、概ね二回。
一回目は、関東大震災後。瓦礫を埋めた。同様に第二次大戦後。
これも同様。(さらに、東京オリンピック前という例もある。)
ただ、このあたりの外濠は例外で、それより早い明治。だが年代
までははっきりせず、明治に入って徐々に、などと書かれていた
ものしか見つからなかったのである。
今回、これがわかったのである。
資料は「史跡江戸城外堀跡 保存管理計画書」(編集:千代田区
教育委員会千代田区立四番町歴史民俗資料館 初版平成20年
(2008年))さすが、千代田区。
年代は明治36年(1903年)とのこと。
ここだけ早い、のだが、理由は、汚く匂いなど不衛生に
なったから、らしい。
そもそも、明治維新後、東京市がするはずだと思うが、
管理していなかったらしい。このあたりの外濠はこの先、
汐留川となり海に繋がっており、また、西は溜池である。
これが実際にどの部分かは明確に書かれていないが
「閉鎖された」と。
虎ノ門と溜池の間には堰があって、上げ潮でも溜池側に
逆流しないようにしており、堰で滝のように流れる音から
“ドンドン”と呼ばれていた。(もう一か所、飯田橋の神田川も
同様の仕組みがあり、ここもドンドンであった。
江戸期には、ここの外濠には流れがあって、どこか上流から
水が入り、海まで通じており、浚渫など管理もされていたよう。
それで生活排水が入っても、それなりに自然浄化されていた
のであろう。それが、浚渫もされず、上流であろうか、
どこかが閉鎖され、流れなくなり、自然浄化されなく
なっていたということなのか。
だが、他の堀川よりもここが優先されたのは、特に汚れが
ひどかったのかと思うが、他は汚れなかったのか。今度は
別の疑問がでてきてしまった、、。
つづく
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