断腸亭料理日記2025

日本橋・弁松総本店

4723号

1月27日(月)夜

さて。
今日は昨日の続き。
室町[砂場]からの帰り道、三越に寄ってみる。
地下の食品売り場をまわってみる。
肉、魚、、、あまりピンとくるものがない。

ん!。
[弁松]。
日本橋の老舗弁当やの、弁当。

ちょっと久しぶりである。
買って帰ろうか。

[弁松]というのをご存知であろうか。

創業が文化7年(1810年)という。
我が国で最初の弁当や。
つまり、駅弁よりもずっとずっと古い。

ご存知の通り、日本橋には関東大震災まで江戸の頃から
魚河岸があった。

[弁松]の初代は魚河岸で働く人々向けに食堂のようなものを
始めたという。その後、経木に詰めた持ち帰りを始め、これが
当たり、持ち帰り、つまり弁当、仕出し専門の店になった、
とのこと。三代目が松次郎という名前で[弁松]という屋号に
なったらしい。

文化という時代は、文政と合わせて化政文化という言い方を
されるが、江戸後期の江戸の町人文化が花開いた頃、などと
言われる。
田沼時代があって、鬼平や松平定信の寛政の一つ後。
また、天保の前。文化・文政で1804年-1830年、26年間。

江戸時代といえば、飢饉が社会不安の原因になっているが、
この化政期にはあまり大きな飢饉がなく、安定した社会で
あったのも背景になっていよう。

歌舞伎、浮世絵、書籍の出版といった、皆さんが思い浮かべる、
江戸文化が、化政文化である。

蔦重は、化政期にはすでに亡くなっている。
戯作者だともう少し前からだが、山東京伝。八犬伝の
曲亭馬琴も長生きをしているがこの時代。
長生きといえば、大活躍の若い頃は田沼時代だが、
蜀山人大田南畝も化政期にまだ存命。

江戸落語も、この頃生まれている。
この後の天保までに一町に一軒といわれるほど爆発的に
江戸市中に寄席ができているので、大ヒットといってよい。
初代圓生、初代正蔵、初代可楽といった人々の名前が
残っている。ただ、その割に、この頃の落語がどんなもの
だったのかは、はっきりとはわかっていないといって
よろしかろう。

歌舞伎は台本もあり様々な出版物もあり、文字として
残っているが、落語は残っていない。
これがどんなものだったのかわからない最大の原因である。
記録するようなものではなかったのであろう。

今に残っている江戸落語の多くは明治になって固まって
きたもので、速記で文字に記録されるようになったのも
明治の圓朝の頃から。(記録があるので明治の噺がどんな
ものかわかる、のだが。)

落語、当時は噺、という言われ方が多かろう、は、
それ以前からあった小噺(笑い話)を発展させたもの、
あるいは三題噺だったり、即興に近いものがあった、、
程度にしかわからないのである。
まあ、それらを原形に明治の落語になってはおり
繋がっているので想像はできるが、如何せん、記録がない
のである。(まだ見つかっていないだけか?。)

一方、歌舞伎。作者は四世鶴屋南北の時代。ケレンなど
というが、とにかく客を集めるため、早替わり、宙乗り、
などなど、派手な演出が盛んに行われていた頃。
役者はなんといっても七代目團十郎。この人も若い頃に
襲名し、長生きをしており化政期から天保まで活躍期間が
長いが、今も残っている市川家の歌舞伎十八番を作った
人であり、また、天保の改革に引っかかって江戸を追放に
なったり、さらに、子息の八代目が自害、、色々
ドラマチック。

やはりおもしろい時代であろう。

前置きが長くなってしまった。
日本橋[弁松]であった。

以前は歌舞伎座にも入っていたといい、東京で弁当といえば、
[弁松]であったといってよいだろう。
少し前まで、東銀座の歌舞伎座前にも暖簾分けであろう、
旧字の、木挽町[瓣松]というのがあってよく買っていた
のだが、ここは残念ながら閉店してしまった。

本店も中央通りの反対側にあるが、日本橋三越は出店
(でみせ)。弁当の種類はたくさんあるが、ほたてご飯と
いうのがなにか限定のようで、これのおかず付き、別折の
二段にしてみる。

夜。

これ。

開けると、こんな感じ。

ご飯はおこわではなく、ノーマルなご飯。
かなり出汁感が強く、うまい。

問題の、というのか[弁松]といえば、おかず。

とにかく、甘辛が濃い。砂糖もしょうゆも。
これぞ[弁松]。

まず、煮物。里芋、たけのこ、蓮根、ごぼう、椎茸、里芋、
隠元、つとぶ。たけのこが小ぶりのもので、サクサク
としたよい食感。

つとぶは左下に見えているギザギザのもの。
希少な江戸の生麩である。

芋が里芋なのは、やはり、江戸東京の煮物である。
隠元は色は付いていないが、これも甘く煮てある。

右上、めかじきの照焼。甘辛だがしょうゆが勝っている。

右下、生姜と昆布の辛煮。これは甘くはなく、
しょうゆが勝ったもの。かなり刺激的。他では
あまり見ないものであろう。

蒲鉾は普通のもの。玉子焼きも甘い。左上が豆きんとん、
もちろん甘い。

店は、昔のまま濃い、といっているが、
思うに、以前、10年、15年前、でも、もっと濃かった
ように思うのである。ちょっと引いてしまうくらい。
時代に合わせて、多少、薄くしている?。
ただ、今も十分濃く、十分うまい。

日本橋[弁松]、やはり、絶対に続いていってほしい味、
で、ある。

 

日本橋弁松総本店

 

 

 

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