断腸亭料理日記2025

断腸亭イタリアへ行く その19 ミラノ2

4747号

昨日は、ミラノに着いたところまで。

さて、ミラノとは、ファッションの街というのは、わかったが、
一体どんな成り立ちをしてきたのであろうか。

歴史、で、ある。
フィレンツェ、パレルモ、どちらも見てきた、さて、ミラノは?。
これも見ておかねば。
現在人口としては首都ローマに次ぐ2位で経済的にはイタリアの
中心都市といわれる。

やはりウィキからざっくり見てみる。
古代以前、というのもヘンだが、元来、黒海付近にいたケルト人が
築いた街という。
前222年に古代ローマが征服、その後しばらく、ローマ領から
ローマ帝国のもとで、繁栄したよう。4世紀には西ローマ帝国の首都。
ゲルマン系の民族に破壊されるが8世紀には再び繁栄。

中世は大司教の統治。ここで次第に下層封建貴族が台頭する。
支配関係は、ゲルマン系、次が東ローマ帝国、再びゲルマン系の
時代を経て、11世紀には封建貴族たちがミラノを富裕な自治
都市へと変化させ、神聖ローマ帝国から独立する。
1162年神聖ローマ帝国に破壊されるが、10年後逆に打ち破り
再び繁栄の時代へ。
特に、貴族のヴィスコンティ家が力を持ち始める。

中世後期からルネサンス期。このヴィスコンティ家と
スフォルツァ家のミラノ公国となる。
以後15世紀の終わりまで、ヴィスコンティ家の支配が続き、
ここが黄金時代と言われているよう。
その後、ミラノ公はスフォルツァ家に移るが、1532年に
スフォルツァ家の血筋が絶え、ミラノ公国は終焉となる。
このあたりフィレンツェとの違いは、あちらが商人のメディチ家、
ミラノは封建貴族出身でどちらかといえば、日本の大名的な
位置付けになるのか。
また、この時代、フィレンツェでもう一つ成功できなかった
レオナルド・ダヴィンチがミラノを本拠とし、ミラノは
フィレンツェに次いでルネサンスの中心的な地位を
得るようになった。

その後16世紀、神聖ローマ帝国、スペインハプスブルグ家、
オーストリアハプスブルグ家と帰属が変わり、さらに1796年
ナポレオンがオーストリアを追い出し、フランス領イタリア
王国となる。その後1815年、再びオーストリアに支配が戻る。
やはり目まぐるしい。

この後、イタリア統一へと時代は移っていくが、ミラノ公国時代
以外ミラノも基本的に欧州列強に支配されていたわけである。

イタリアという国は、小規模な国が分立し、前回のシチリアは
もっとダイナミックに異教徒、異民族の支配もあったが、ミラノも
自前のミラノ公国時代は300年ほどであったか。
ただ、都市としてのミラノは、イタリアでもローマと並び中心的な
役割を担い続けたよう

さて、産業にフォーカスしよう。
ミラノは、古くは11世紀頃から繊維、毛織物、武器の生産が発展。
産業革命期、イタリアでも一早く広範に近代産業が始まったよう。

金融もイタリア国内をリードするようになり現在イタリア証券
取引所はミラノにある。また、化学、製薬もミラノで発展。
自動車はアルファロメオがミラノで創業。アルファロメオの
エンブレムはヴィスコンティ家とミラノの市章を合わせたもの
という。またイタリアの航空機産業も中心はミラノ、陶磁器の
ジノリはフィレンツェ近郊で創業しているが、旗艦店はミラノと
フィレンツェ。
また、ファッションは言わずもがな、デザイン、出版、マスコミも
イタリアの中心はミラノといってよいよう。
たまたまだが、部屋のある建物の1階にアレッシ(イ)があった。
アレッシ(Alessi)はご存知であろうか、私も使ったことがあるが、
ケトルだったり、金属のお洒落デザインキッチンウエアブランド。
マンツォーニ通りのここが旗艦店であった。

さて。
少し休んで、外に出てみる。

この前のトラムが走る通りがアレッサンドロ・マンソーニ通り/
Via Alessandro Manzoni。

私は、まったく知らなかったが、アレッサンドロ・マンソーニは
人の名前だが、聖人ではなく詩人、作家。1785年〜1873年で日本だと
幕末から明治頭。リラ紙幣にもなった大文豪のよう。(この近所の
彼の住居跡が記念館になっていた。覗いてみればよかった。)
この通りは、夏目漱石通りといった感じか。

通りに出て、左に行くと、左に広場、Piazza della Scala、で
右には、スカラ座/Teatro alla Scala。
日本の映画館でスカラ座というのは多いが、むろん、ここが元祖。
オペラ、バレーが上演される。

なにか、思ったより小さい。
パレルモのマッシモ劇場はイタリア最大と聞いていたが
比べれば、随分、、。(が、やはり中は凄いよう。)

上演演目?。

まあ、オペラもバレエもほぼ私には縁がない、のだが。

ともあれ。
先ほど、このスカラ広場を抜けて、きた。

ミラノの街も、碁盤の目ではなく、道はやっぱりぐちゃぐちゃ。
太くなったり細くなったり、急に曲がったり。
むろん、東西南北に揃ってもいない。迷いやすいのは同じ。

スカラ広場。

中央に建つ、この像は、名前が書かれているのだが、ちょっと
小さくて読めないか。
これ、LEONARDO、そう、レオナルド・ダヴィンチ先生。
ミラノの人、という認識なのである。

この背後、右側、スカラ広場に面してスカラ座と対面に
建っているのがマリーノ宮/Palazzo Marino。
宮殿といっても、貴族の屋敷ではなく16世紀、マリーノという
銀行家が建てたものという。今は、やっぱりEUの旗、イタリアの旗、
ミラノ市の旗が掲げられ、ミラノ市庁舎として使われているよう。
Palazzo/パラッソという言葉は、普通、宮殿と訳しているが、ちょっと
ニュアンスが違っている。いや、ここまでくると誤訳に近いのでは
なかろうか。辞書を引くと、意味はもっと広く、体育館だったり、単なる、
大きな建物、といったものにも、使うよう。
ともあれ、入らなかったが、巨大なフレスコの天井画など、
見るべきものがあったよう。

そして、このスカラ広場の対角に入口がある、ガレリア。

正式名称は、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア/
Galleria Vittorio Emanuele II。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はパレルモでも出てきたが
イタリア王国初代国王。ガレリアとはイタリア語でアーケード
商店街のことのよう。

巨大で、とてつもなくゴージャスなアーケード商店街。
それこそ世界一ではなかろうか。なにが基準かわらぬが。

中央が十字路になっている。
その真ん中でパノラマの写真を撮ってみたが、伝わるであろうか。

4〜5階建てであろうか。天井がおそろしく高いアーケード。
観光客も大量。

 

つづく

 

 

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