断腸亭料理日記2006

秋彼岸・浅草寺・放生会

9月23日(土)秋分の日

台東区元浅草の拙亭近所のうなぎや、やしま
(やしまは、小島町)

やしまのご主人が、前回の落語会にきてくださったことは
書いている。

その後、「おしがん(お彼岸)の中日(ちゅうにち)に
東京のうなぎやの組合で、浅草寺の池に、うなぎを放す、
というのをやるんですよ。ご興味あったら、おいでになりませんか」
というお話をいただいた。

「それは、是非!」

やしまのご主人は、その、組合の事務局をされているらしい。
そして、筆者が見たいであろうと、今日、
ご招待をいただいたわけである。

放生会。ほうじょうえ、と、読む。

民俗学や、落語を多少知っている、ということもあって、
「うなぎを池に放す」=放生会、ということは、すぐにわかった
わけであるが、普通の方はあまりご存知はあるまい。

筆者も、子細に述べられるほどの知識はないが、
会(え)、というだけに、元々は、仏教の宗教儀式ということなのであろう。

普段、殺生をしている罪深き者が、生き物を放し、その罪を注ごう、
という、まあ、セレモニーといえよう。

落語にも、うなぎを放すことを扱った、後生鰻(ごしょううなぎ)
いう噺がある。(かなりシュールというかグロテスクな噺である。
落語というものはこういうものも、持っているという底の知れない
凄さを感じるのである。)

この噺の枕などにも出てくるが、
昔は、橋のたもとに、亀などを売っている爺さんがいたという。
これは、通りかかった人が、その爺さんから亀を買って、
川に放してやる。インスタント放生会とでもいったらよいのか、
そういう商売があったようである。

また、全国にもこの放生会という行事は、現代でも
残っているようである。

参考:ウィキペディア

さて、午前、自転車で浅草寺まで向かう。
浅草寺でも淡島堂というお堂。

浅草寺境内には隣の三社様(浅草神社)をはじめ、
いくつもの、堂宇がある。
浅草寺は当然お寺であるが、三社様も、淡島様も
神社である。
(淡島様は昔から女性の信仰を多く集め、針供養なども
ここでおこなわれるのをご存知の方もあるかもしれない。)

放生会もここ、淡島様のお堂でおこなわれるという。
境内では、最も西北の奥。

きてみると、やしまのご主人と、
初小川のご主人が、受付をしている。
(初小川はやしまのご主人が修行をされた、雷門の老舗である。)

挨拶をして、お堂の中に入る。
来ていらっしゃる方々は、皆、東京のうなぎやさんの
ご主人やら、ご家族。
当然、向こうは憶えていなかろうが、
筆者の知った顔もある。

お堂の前にはうなぎを入れた、手桶が並べられている。
(正確には、うなぎだけではなく、一つの桶に、大きな泥鰌二匹と、
小さめのうなぎ一匹、で、ある。)
手桶には、「東京鰻蒲焼商組合」の名前が入っている。
この前で、お経を上げるようである。

浅草寺の何人ものお坊さんがきて式が始まる。

読経が終わると、外へ出て、めいめいにうなぎの入った
手桶を持って列をなし、うなぎを放す池へ向かう。

 

列は、放生会と書かれた旗が先頭。これは初小川のご主人が持たれている。
初小川のご主人が、いわば事務局の代表ということなのであろう。
(その関係でそこで修行をされた、やしまのご主人も
手伝っているということだそうである。
やしまのご主人は、初小川の先代に弟子入りしたので、
師匠筋ということになる。)

浅草寺に池などがあるのか?と思われよう。
昔は、奥山と呼ばれた、今の花屋敷などあるあたり、
であろうか、瓢箪池と呼ばれる池もあったのは
筆者も、むろん歴史として、知っている。
しかし、今、どこにあるのかと、思っていた。
あるいは、儀式であるので、真似事だけか?とも思ってもいた。

しかし、池も確かにあり、ちゃんと、うなぎを放すのである。

では、どこにあるのか。

普段は入れない、伝法院というお堂の庭。
最近町並みを江戸風(?)にした伝法院通り、
という通りがあるので名前を聞いたことがある方もおられよう。
伝法院はその通りの北側で、ある。
これも浅草寺にいくつかあるお堂のうちの一つ。
ここが浅草寺のご住職が住む本坊であるという。

淡島堂から、参拝の人々や外人の観光客が物珍しそうに
桶の中を覗き込む中、ぞろぞろと行列は、浅草寺正面を右に折れ、
仲見世手前、右側の門から、伝法院へ入る。
庭と池は一番奥にある。

 

よく手入れのされた日本庭園と、なかなか大きな池である。
こんなところに大きな池があるとは、筆者も知らなかった。
なんでもこの庭は江戸初期、小堀遠州の作と伝えられているらしい。
(本当であれば、すごいことである。)
池の名前は大泉池というらしい。
ほとりには、彼岸花なども咲いている。

皆、到着すると、ご住職がお経を唱える中、
三々五々、桶から、うなぎを池に放す。

 

これで、おみやげをもらって、放生会は終了。

筆者も、やしまのご主人に挨拶をして伝法院を後にする。

ご主人のお話によると、この放生会は、今日の秋のお彼岸のお中日、
だけでなく、春のお彼岸にもやるという。
毎年二回、なかなか、その準備もたいへんであろう。

春には、伝法院の池のある庭は桜がきれいであるという。

昼近くになった。
近くでもあり、国際通りを渡った、そばやおざわ、で、一杯やって、そばを食って帰ろう。

さて、気になるのは、放した、うなぎ達の行方である。
育つのであろうか?
毎年二回やっているとすると、池はうなぎだらけである。

聞いてみると、池には、大きな錦鯉やら、亀がおり、
これらが、食べてしまう、かも、ということであった。

ともあれ、やしまのご主人に桶を渡され、
筆者も、放生会に参加させていただいた。

近年は、参列する人数も減り気味であるというが、
東京のうなぎやさんにとっては、伝統のある
大切な行事。

その、一般には見られない貴重な行事を見るだけではなく、
参加までさせていただいた。また、普通であれば、
まったく目に触れることもできない、
伝法院の庭を見せていただくことができ、やしまのご主人に
感謝、で、ある。



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