断腸亭料理日記2006
8月28日(月)昼
課題であった、この店、という以上に、五反田という町自体が
筆者には、課題であろう。
筆者、城南地区は土地感があまりない。
そこで、ちょっと長くなるが、五反田界隈のおさらいで、ある。
五反田はご案内の通り、山手線の駅の一つ。外回りで品川、大崎、五反田、目黒。
地図を見ると、環状に走る山手線の円周の南端。
品川まで南北に走っていた線が西にカーブし、目黒からまた南北に走る。
その間に、大崎、五反田が、ある。
このため、この4駅は、意外に近い位置関係にあることを発見する。
また、このあたりは品川区が南にあり五反田、大崎。その西北が目黒区。
北は港区で品川駅は港区にある。
土地柄を見ていくと、もっとおもしろい。
まずは、江戸の地図。
江戸の地図には、五反田の地名はない。
東に大嵜(崎)村の文字が見え、中央に松平陸奥守屋敷。
これは仙台伊達藩屋敷、その後、明治になりここは島津家のものとなり、
現在は清泉女子大。ここには今、その島津公爵邸時代の洋館
(あの鹿鳴館や御茶の水ニコライ堂の設計をした英国人コンドルのもの)が
大学本館として使われている。
そして、その隣に、雉子宮(きじのみや)、が見える。
池波ファンであれば、先刻ご承知、仕掛人・藤枝梅安先生の
針治療の診療所兼自宅があったところ。
品川ダイ丁(町)の文字も見える。
(現在この雉子宮は雉子神社という名前で現存するが、マンションの
中に埋もれている、という。)
地形的に見ると、先の清泉女子大などは五反田の北部で台地。
山手である。そして、お屋敷町。池田山、高輪台、御殿山に
続いている。
JR山手線と、五反田駅は、台地の下。その先に目黒川が
西から東に流れている。
この台地の下、目黒川沿いは、江戸時代は五反田という名前であるから、
田畑であったのだろう。
土地利用としては、この目黒川沿いは明治以降、いくつかの工場ができはじめ
工業地化、市街地化していく。
そして、工業地化を背景に、先日の加藤政洋氏の『花街』(朝日選書)によると、
大正時代には、いわゆる「花街」(五反田は二業地から三業地)もできている。
「鉄道(山手線)と目黒川に挟まれた一画」で昭和期には「城南の花街中、
近時異常の殷盛(いんせい)を極めてゐる」(松川二郎『全国花街めぐり』
加藤政洋『花街』より孫引き)とされ、1943年(昭和18年)の記録では
待合(待合茶屋。いわゆる芸者さんを呼ぶ貸席。)が71軒あったという。
(加藤政洋『花街』より)
ここでいう「花街」とは東京でも有名な、新橋、柳橋、赤坂といった
政治家も使ったようなところと、制度上、形の上では同じ、
芸者置屋、待合、料亭があるものである。しかし、今見たように、
成立は、大正時代と新しい。東京の発展とともに郊外にできた
「花街」という位置付けで、今「江戸の香り放つ、お座敷遊び」のような
枕詞が着く「花街」(先日の先斗町なども同じ「花街」ではある。)
とは、一線も、二線も画すものであったのだろう。
余談だが、加藤氏によると、意外に「花街」は
こうした成り立ちをしているところが多い。
江戸時代までさかのぼるところの方がむしろ、少なく、
いわゆる「花街」の文化風俗は江戸からのものではなく、
大正から昭和初期を最盛期とし、明治以降に生まれてきたものなのである。
今でも五反田、といえば、知っている人は知っている、さる業界の
町としても有名である。「山手線と目黒川に挟まれた一画」というから、西口
正面か右手側、で、あろうか。今は、ラブホテルやらキャバレーやら、
なにやら固まっている。(今は東口にもあるようだが、、。)
五反田「花街」のその後の、今のこうした姿をみると、
なんとなく当時のことが想像ができるような気もする。
そして、今、隣の大崎は再開発され、きれいになった。
五反田も今はオフィス街といってよいのであろう。
今年、大日本印刷の工場も大きなビルに建て替えられた。
さて、五反田の町の歴史を見てきたが、かなり長くなってしまった。
どうしても東京の街(町)をみる場合、盛り場、その前の「花街」
に触れないと正しく理解できないと思われるのである。
(断腸亭料理日記ではなく、断腸亭東京探訪とでも改題した方が
よかろうか、、、。)
これで終わってしまってもよいような気もするが、本題?
五反田という土地柄とは、ほとんど関係はない。
「カレーの店うどん」で、ある。
うどん、というのは店名で、うどんや、ではない。
(妙な店名であるが、下記HPに説明がある。)
場所は、西口、国道1号(桜田通り、第二京浜)を真っ直ぐに行き目黒川を
渡り、右側のビル群の一角。カウンターだけの小さな店。
若いマスター1人でやられているようである。
小柄で、ちょっと童顔。(若そうに見えるが、意外といっているか。)
12時過ぎ、連れと二人で入ってみる。
お1人のため、てんてこ舞い。
タイミングによっては、随分待つようである。
看板は「すーぷかれーの店」。
この人、やはり、ちょっと不思議な人である。
↑これ、読んでみると、なかなか読ませる。
それぞれのメニューがどうやってできあがったのか
などなど、書かれているのだが、不思議におもしろい。
料理をする人は程度の差こそあれ、みなクリエーターであろうが
この方はまた少し違う、へたうま、なのか、なんなのか、
得もいわれね不思議な、クリエイティビティーを、
持っているような、そんな感じがする。
料理はまったくの自己流らしい。
(筆者などと同じである。)
それまでカレー作りは趣味であったが、脱サラをして、
カレーやをまずは川崎で始めたという。
とにかく、いろんなことを考えて、いろんなものを作っているようである。
「すーぷかれーの店」であるが、
通常のトロッとした欧風カレー系のものもある。
それでも今回、初めてであるので、すーぷかれーのうち、
おすすめの「夜すーぷ」というもの。ローストした鶏肉が入る。
スープとご飯を別々に食べてください、といわれる。
その理由は、スープなので、スープとして飲んで、その後に、
ご飯を食べた方が、自分はうまいと思うから、だそうである。
これも、なにか不思議な説明である。
結論からいうと、十分にうまい。
これはバジルが入っているのが特徴というが、バジルらしい味、
というのはよくわからないが、うまいことは間違いない。
カレーであるが、辛さ以外の香辛料は控えめであるという。
また、油(脂?)分も控えめ。
これもその方が、飽きずに毎日でも食べられるから、という。
ちょっと不思議だが、うまいカレーや、で、ある。
この不思議さが、くせになりそうである。
これから、五反田にも時折来なくてはならない。
またこよう。
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