断腸亭料理日記2005

浅草駒形・鮨・松波 その4

【続き】

とうとう、松波も四回になってしまった。
昨日は、海苔巻まで。今日は、玉子焼と、まとめ。


最後の、玉子焼き。

いわゆる、出汁巻きではなく、なんというのであろうか。
両面に焦げ目の入った、厚さ2〜3cmのもの。

この玉子焼き、江戸前仕事の一つとして、特徴的なものである。
店によっては、もっと薄い5mm程度のものもある。
と、いうよりも、このくらいのもの方が、多いかも知れない。
こんな厚いものは初めて、である。

「約2時間かけて芝海老をすり身にして」
「仕込み1時間、焼き1時間、で焼く」、と、いう。
自家製で、計4時間、で、あろうか。

ぱくり、と、口に入れる。

!。、、、うわぁ、、。

言葉もない。思わず、飛び上がり、叫んでしまう。
確かに、こんな玉子焼きは、他のどこへ行っても
食べられなかろう。

表面はふんわり、そして、中は、ねっとり、で、ある。
である、がしかし、こんな、単語では、むろんのこと、
語り尽くしていない。

上質な和菓子?(と、いっても筆者、和菓子はわからない。)
有名パティシエの、洋菓子?違うか、、、。

なんでもよいが、適切な例が思い浮かばない。

小さな黄色い塊の中に、実に様々なものが、こめられている。

芝海老もあろうが、それだけではない、なにか職人の魂、
そうとしか、いいようのない、もの。
松波の鮨を締めくくるにふさわしい、そういう存在である。

最後に、鮨や刺身のことではないが、店の作りのことで、もう一つだけ。

店にいるときには、気が付かなかったのであるが、
思い返してみて、気が付いたこと。
ご主人の目線、ポジションについて書いておきたい。

普通、客側と職人側で同じ地面の高さであれば、カウンターに座ると、
立っている職人の目線は、客よりも上、になる。

ここ、松波は、職人側のご主人の立った目線の位置が、
カウンター側の座った客の目線よりも、同じか、
下げられているように、感じたのである。
つまり、職人側の地面が客側より、
下げられているのではないか、と、いうことである。

刺身や、にぎりを客の前に出すご主人の動作も
通常であれば、上から下へ置くのであるが、
下から上に置く、ように見えていたように思う。

もしそうならば、ただご主人の背が低い、と、
いうことではなく、
おそらく意図されているのであろう。
客を見下ろさない、ということなのか、、、
他にも理由は、あるのかも知れない。

さてさて、松波の鮨、まとめなければいけない。

今の筆者の年齢と、文章で、松波のご主人の仕事を
書き尽くせるとは、とても思えない。

また、その前に、筆者らが松波の客として、
ふさわしいかどうか、と、いう問題も、ある。
これは、なにも金額の問題だけではない。

山本益弘氏が「至福のすし」
の冒頭で、桂文楽の高座を
引き合いに出し、職人の名人芸、を述べている。

(そうである。蛇足であるが、丸顔でごま塩頭の松波のご主人、
小さん師匠に風貌が似ているかも知れない。)

桂文楽の噺は、他の昭和の三名人といわれた、
志ん生、円生と比較をすれば、刈り込まれ、言葉を選び抜き、
何度演じても、寸分違わぬ、これ以上ない、と、いうところまで、
完成されたものであった。
これが日本の名人芸、で、ある。

筆者、「至福のすし」の「すきやばし次郎」には、
行ったこともないが、その主人、小野二郎氏は大正14年
(1925年)生まれという。(今年(`05年)80歳。)
筆者の知っている、同じような年恰好では、
仲御徒町(竹町)の寛八本店のご主人、あたり。

(松波のご主人は、もう少し、お若いかも知れない。
ちなみに、池波先生は、1923年生まれである。)

よく、昭和30年代までは、東京にも江戸があった、と、いう。
(それを背景に落語の昭和の黄金期はある。)

また、昭和30年代といえば、戦後の混乱期も終わり、
高度経済成長へ移る頃、でもある。
映画でいえば、森繁の社長シリーズの頃。
まだ、東京には新橋の花柳界もあった。
ここらあたりが、戦後の江戸前寿司職人、
華やかなりし頃、かも知れない。
(これは、まったくの想像である。)

この年代の方々は、そのあたりまでには修行を終えられ、
一人前、であろう。

江戸前の鮨は、冷蔵庫のない昔がよくいわれ、
浅草でも弁天山美家古鮨は、その姿を今でも守っている。

しかし、その後、冷蔵設備が発達し、戦後の昭和30年代、
さらに、進化したのではなかろうか。
江戸前仕事の、刈り込み、磨き抜くマインドはそのままに、
さらに発達し、今、松波の鮨、になっている、そんな風に
思うのである。

四回にわたって書いてきた、ご主人の仕事ぶりは
よくいう“こだわり”、などという浅薄な言葉では、到底
表現しきれない。

なにも、そこまでしなくとも、、と、思ってしまうほどの
ストイックで、厳しい職人仕事である。

食べ終わって、帰るときには、よい芸に触れた、と、いうような
感動が残っている。

と、同時に、現代においてこのように、完成された職人芸は、
どうしても、もう続かなかろうと、思ってしまう。

この世代より下の世代の職人に、こうした、超一流の厳しい職人魂が
受け継がれ、また、それで正しく評価され、飯が食える、
ということがあるのだろうか。
気持ちや、腕があっても、飯が食えなければ、
わかる客、がいなければ、存在できない、のも必然である。

二人で、この内容に、ビール小瓶二本と、酒1合、
〆て、¥46000。

これを安い、と、いう人はまさか、あるまい。

素材ももちろん、吟味をし、高価なものも使っていよう。
しかし、これは、お金さえ出せば、手に入るもの。

銀座、新橋、赤坂などの、場所や、老舗というブランドでもなく、
浅草駒形という、この場所の路地で、ご主人自身の腕。

現代において、江戸職人の刈り込んで、刈り込んで、
磨き込んで、磨き込んで、最上のものを作るという、よき伝統、
これは、お金を出しても、決して、買えないもの、であり、
なくなっていくものであろう。

まさに、人間国宝ではなかろうか。


【浅草駒形・鮨・松波・了】


HP




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