断腸亭料理日記2004

池之端・おでん・多古久

2月24日(木)夜
寒い。

19時過ぎ、オフィスを出ると、ちょうど
妻からTELが入り、なにか食べることになる。

上野広小路の交叉点そばにある、
EasyWay喜楽茶という台湾茶の店で待ち合わせ。

寒いので、タピオカ入りのホットジャスミンティーを飲んだが、
これ、なかなか、うまい。

あまりにも寒いので、おでん。
前から、ちょっと気になっていた、多古久(たこきゅう)というところ。

池之端仲町通り。藪よりも奥。藪とは道の反対側である。

店の中は、思ったより狭く、カウンターと、ちょっとしたテーブル席。
空いていたカウンターの一番奥に座る。

おでんは、書いたメニューがなく、鍋が見えるところであれば
見ながら注文ができるようだが、一番奥のため見えず、
適当に頼む。

例によって、筆者の決まりもので、
「つみれ、ちくわぶ、すじ」。


やはり、ここでも、

「すじは、牛すじではありませんけど・・・。」

と、このセリフを、いわれてしまった。

こうなってくると、店を責めるよりも、
「おでんのすじ」と、いえば、牛すじだと思っている人が、
東京でもかなり多い、ということなのだ、と、思わねばなるまい。

嘆かわしい。

「すじ」といえば、東京では、練り物、と、
決まっているではないか。

おでん、とは、今、どんなメニューなのであろうか。

冬の家庭のメニュー。
コンビニのメニュー。

あたりであろうか。

東京人にとって、おでんのすじといえば、練り物以外、ない、ハズ。

そう思っている、東京人は、外で、おでんを食べないのであろうか。
あるいは、東京人にとって、おでんは、外で食べるものでもなく、
たいしたメニューでもない、のであろうか。

また、逆に、東京にいる関西人(?)の方が、
東京のおでん屋に行くことの方が多いのであろうか。

そんな、仮説に行きあたってしまう。

一方、東京のおでん屋事情は、どうであろうか。

ちょっと前であれば、おでんは、東京でも
屋台の代表的なメニューであったと思う。
(今は、そうでもないが、屋台=安い、というものであったのであろう。)

また、筆者の世代であれば、子供の頃、夏、プールの前に出ていた、
そんなことも、記憶にある方もあろう。

しかし、今、近所では、浅草の駅前、時計台の下などに出ていたと思うが、
やはり、以前ほどは、少なくなった、のではないだろうか。

筆者、おでんが好きなのであろうか。
結論から言うと、大好物、というほどでもない。

子供のいる普通の家庭では、冬の定番メニューであろう。
また、特別贅沢なメニューでもなく、むしろ割安なメニュー。

子供のいない拙亭では、おでんをやってしまうと、
大量にできてしまい、始末に困る。
そこで、外で食べる、という、ことになる。

大好物ではないが、季節には、必ず食べたくなるメニューなのである。
銀座・お多幸の豆腐は、それでも、好物、といえよう。
また、問題の、すじ、も、子供の頃から、好きなものであった。)

また、今の全国のおでんの原型は、田楽から発展し、東京でできた。
大阪へ行けば、カントダキ(関東炊き)、ということからみても、
これは、間違いない。

そこで、東京に生まれ育ったものにとっては、
意識するかしないかによらず、おでんとは、コレ、という形が、
刷り込まれているのではなかろうか。
(すじ、だけではない。おでんには、ちくわぶ、や、
里芋(八頭)が入るのである。)

東京のローカル食。いわば、ふるさとの味なのである。

そんなこんなで、すじ問題、に、発展してしまった、ということ
なのであろう。


ふるさとにいながら、既にふるさとは、ここにはない。


肝心の、多古久のことにあまり、ふれていなかった。
つみれは、かなりうまかった。

また、ここ、浅草・千束・大多福
などと同様に、調子に乗って、つまみなど、いろいろ頼むと、
けっこう、いってしまう。注意が必要である。


地図



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