断腸亭料理日記2004
1月22日(土)第二食
第一食は、定例で、ねぎどん
であったが、午後、Livedoor東京グルメで話題の
墨田区文花のスパイスカフェ、へ、行ってみる。
駅としては、最寄りは、押上であるが、押上からも随分ある。
筆者、浅草に越してくるまでは、葛飾の四つ木に住んでいた関係で、
このあたりは、通り道で、よくうろうろしていた場所でもある。
このあたり、本所の北側は、北十間川という川が流れている。
これは、江戸初期、水運のため隅田川べりの、
水戸藩邸(今の隅田公園)の南から、
本所の北側を中川まで東西に掘られた。
古い地図
(中央から右下方向に流れているのが、北十間川である。)
現在の浅草通りは墨田区では、ほぼこの北十間川に沿っており
押上から、細くなる。
押上の先、北十間川の右側は、古くは柳島村と呼ばれ、
今はまったく忘れられているが、
当時、願掛けで、著名であった柳島の妙見様こと、
妙見堂(妙見山法性寺)が、横十間川の手前にある。
(落語「中村仲蔵」でも、仲蔵が願を掛ける。)
横十間川は、この北十間川から、南に掘られ、
亀戸天神を左に見て、猿江、方面に向かう。
まったくの余談であるが、横十間川のことである
これを「横」と言っているのには、今の、感覚だと、違和感がある。
南北に流れており、横ではなく「縦」ではないのか?、と。
筆者、以前から疑問に思っていたのである。
縦横は、現代の地図の感覚であるから、昔とは
異なっているのは、当然といえば、当然なのであるが、
理由がわからなかった。
因みに、今、京葉道路の下を流れている竪川。
これは、今は「竪」の字をあてるが、字はいろいろあり、立川、
さらに、本来は、縦川であろう。これも、東西に流れている。
東西に流れているのに、縦、とは、これいかに?
今、改めて、江戸の地図を広げて、江戸城を上にしてみて、気が付いた。
(つまり、西を上にする。)
竪川は江戸城に向かって縦、
横十間川は横、なるほど、そういうことであったのか・・・。
閑話休題。
浅草通りから、その横十間川の手前の信号を左折、十間橋を渡る。
十間橋通り。道はさらに細くなる。
しばらく行って、左にコインパーキングのある路地を、反対の
右に入った、ところ。
古い木造アパートを改造した建物である。
2時半ごろ。中途半端な時間であるが、
まだ、満席。なるほど、人気である。
しばらく待つ、とのこと。
ここまで来て、帰るのも、なんであるから、
待つこととする。
15分待ったか。
2時からはカフェタイム。
妻は、ラムのカレー、筆者は、チキンのカレーにする。
チキンカレーは、煮込まれた、もも肉が一本入り、
ココナッツミルクの味が、比較的強く出ている。
また、シナモンの風味も強め。
ココナッツが表に出るカレーは、どちらかというと、
タイや、インドネシア方面のカレーであるが、
そこまでは強くない。
(あまり強いのは、筆者は苦手である。)
ラムの方は、筆者が作る、インドカレー
に、近い、などというと、失礼か、、。
比較的普通の、インドカレーであろう。
ともあれ、びっくりするほどではない、というのが
正直のところである。
シェフもお若い、様子。
これから、といったところか。
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