断腸亭料理日記2024
4604号
7月18日(木)第一食
さて、ここ。
知る人ぞ知る、老舗洋食店といってよいだろう。
存在は知っていた。
なん度も前は通っているので。
だが、内容を知らなければ、やはり入りずらい
店の表。真新しくもきれいでもない。
そんなことで入ったことは一度もなかった。
取材拒否のお店らしいが、私としては迂闊といって
よい。
場所は鳥越神社の蔵前橋通りをはさんだ南側。
通りを入った右側。
鮨やがあって、その数軒先。
元浅草の拙亭からは、今、鳥越明神通りと言っている
通りが蔵前橋通りを越えた先。
創業は明治39年(1906年)という。
さて、ちょっと地図を出してみよう。
現代。
現代ではほぼわからなないが、このあたり
ちょっとおもしろい。
現在の[一新亭]の場所と思われるところに★を入れた。
江戸。
明治40年。
ちなみにここの旧町は浅草向柳原町二丁目。
大まかな町割りはあまり変わっていないが、
まず気付くのは、川というのか、堀が通っていた
ということ。
一本は鳥越川。もう一本は新堀川。
鳥越川の上流は今回取った範囲外だが、今の佐竹商店街の
東に三味線堀という三味線型の少し広い堀になっていた。
この上がさらにあって、不忍池から流れる忍川に
つながっていたよう。
新堀川の方は、今の合羽橋道具街の通り。
入谷田圃からほぼ真っ直ぐ南に流れ、最後は西からの
鳥越川と合流し、幕府の米蔵、浅草御蔵の掘割経由で
隅田川に繋がっていた。
これらは若干年代に前後はあるが、関東大震災後には
すべて暗渠になっている。
鳥越川の場所は今はそんなわけで道路になっているが、
蔵前橋通りの一本南の通りがそれにあたる。
また、もう一つの大きな違いは、その蔵前橋通り。
これも震災後にできている。
そして、この界隈だと江戸期ちょっと
おもしろいものがあった。
江戸の地図で、鳥越川と新堀川の合流点の北の角。
今はビルが建て込んでいる一角。
「頒暦所御用ヤシキ」というのが見えると思う。
これが幕府の天文台。あの、伊能忠敬もここで
日本地図を作っていたのである。
さて。
江戸と明治の地図に鳥越川に掛かる橋、甚内橋と入れた。
これは今、その場所に石碑が立っている。
[一新亭]の北の角。
この由来がまた、ちょっとおもしろい。
今度は[一新亭]のちょうど裏に神社がある。
これが、甚内神社。
右の区教育委員会の説明板。
この神社も“甚内”なる者(?)も知らなかった。
ちょっと長いが、原文のまま引用させていただく。
「当社は「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。
伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、
祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び
奥義を極めた。武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の
治安を乱したため、瘧(=おこり筆者注、マラリア)に苦しんで
いたところを幕府に捕えられた。
鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。
我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」と
いったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。
八月十二日の命日は、今も多くの人で賑わっている。
かつて鳥越川に架かる橋の一つ「甚内橋」の名も付近に甚内神社が
あったからだといわれる。鳥越川は、今は暗渠となり橋もなく
なったが、その名は「甚内橋遺跡」(浅草橋三丁目十三番四号)の
小碑に残されている。
関東大震災まで浅草消防署の付近にあったが焼失。その後移転。
昭和五年、現在地に移った。」
区教育委員会のものなので、そう出鱈目ではないと思う
のだが、多少、眉につばを付けたくなる内容ではないか。
なんであろうか、これは。
まあ、皆様もご存知の通り、江戸期、実在の盗賊、犯罪者などが、
浄瑠璃、講談、芝居になっている例は、かなり多い。
「白波五人男」「河内山宗春・直侍」「幡随院長兵衛」「四谷怪談」
などなど枚挙に暇がない。
人物は実在なのだが、まあどれも相当にお話しはふくらんでいる。
どうも、甚内なる人物もそのよう。
さらにウィキにもページがあった。
読んでみると、どうも、教育委員会よりもこちらの方が
信憑性が高そう。
向崎甚内(こうさきじんない)という名前。
「文禄・慶長期の盗賊」ということなので、安土桃山から
江戸にまたがる。なんと、こんな昔の話であった。
慶長18年(1613年)に捕らえられ、浅草で処刑された、と。
この浅草というのが鳥越あたりで、葬られたところが
後に甚内神社となったというのである。
江戸の刑場というと、小塚原と鈴ヶ森が知られているが、
江戸初期というのは、浅草御門(浅草橋)の外で、
このあたりはまだ江戸の郊外であったのは間違いない。
それで、刑場がここにあったのか。(この件、明確な
エビデンスは見つけられていないが、この近くにある
カトリック浅草教会に今「鳥越キリシタン殉教記念碑があり、
そこに鳥越刑場でキリシタンが処刑された旨記されており、
信憑性は高いかもしれぬ。)
で、この鳥越に甚内神社があったことにより、江戸後期に
瘧だの、虚々実々、尾鰭が付いた様々な物語が作られ、
知られるようになったということらしい。
つづく
03-3851-4029
台東区浅草橋3-12-6
※お願い
メッセージ、コメントはFacebook へ節度を持ってお願いいたします。
匿名でのメール、ダイレクトメッセージはお断りいたします。
また、プロフィール非公開の場合、バックグラウンドなど簡単な自己紹介を
お願いいたしております。なき場合のコメントはできません。
断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5|
2004 リスト6
|2004
リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10
|
2004
リスト11 | 2004 リスト12
|2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005
リスト15
2005
リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20
|
2005
リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006
6月
2006 7月 |
2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006
12月
2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |
2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月
2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月
2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |
2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |
2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |
2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |
2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |
2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |
2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |
2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |
2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月
2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |
2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |
2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |
2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |
2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017
1月 |
2017 2月 |
2017 3月
| 2017 4月 | 2017
5月 | 2017 6月 | 2017
7月 | 2017 8月 | 2017
9月 |
2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |
2018 5月 |
2018 6月|
2018 7月|
2018 8月|
2018 9月|
2018 10月|
2018 11月|
2018 12月|
2019 9月 | 2019 10月
| 2019 11月 | 2019 12月
| 2020 1月 | 2020 2月 |
2020 3月 |
2020 4月 | 2020 5月
| 2020 6月 | 2020 7月
| 2020 8月 | 2020 9月
| 2020 10月 | 2020 11月
| 2020 12月 | 2021 1月
| 2021 2月 | 2021 3月
| 2021 4月 | 2021 5月
| 2021 6月 | 2021 7月
2021 8月 | 2021 9月 |
2021 10月 | 2021 11月 |
2021 12月 | 2022 1月 |
2022 2月 | 2022 3月 |
2022 4月 | 2022 5月 |
2022 6月 | 2022 7月 |
2022 8月 | 2022 9月 |
2022 10月 |
2022 11月 | 2022 12月 |
2023 1月 | 2023 2月
| 2023 3月 | 2023 4月 |
2023 5月 | 2023 6月 |
2023 7月 | 2023 8月 |
2023 9月 | 2023 10月 |
2023 11月 | 2023 12月 |
2024 1月 | 2024 2月
| 2024 3月 | 2024 4月 |
2024 5月 | 2024 6月 |
2024 7月 |
(C)DANCHOUTEI 2024