断腸亭料理日記2020

上野・蕎麦・翁庵

10月20日(火)第一食

今日は、そばやで一杯。

どこへ行こうかと考えて、上野[翁庵]

に決めた。

ここ、好きなのである。

まず、場所がいい。
上野駅前、というのは少し離れているが、
歩いてすぐといってよい距離。

昭和通りと浅草通りの交差点から数軒、
浅草通り沿い。
上野警察の前。

繁華街、ではない。
どちらかといえば、ポツンとある。

いわゆる有名店ではないだろう。

だが、見た目がよい。
戦後の建築だとは思うが、蕎麦や然とした、
木造二階建ての一軒家。

○○にこだわってます、という感じでもなく、
町の蕎麦やをずっと続けている、という感じであろうか。

ここ、創業はいつだったのか。
今まで、明治30年頃、と書いてきた。

今回、再度調べてみたら、1899年(明治32年)という
ちゃんとした年代が出てきた。
その上、なんと神楽坂[翁庵]

の暖簾分けであった。(老舗食堂)

びっくり、で、ある。
神楽坂[翁庵]も私には馴染み深い。
かつ蕎麦が看板。「え?、かつを冷やすんですか?」
という冷やしかつ蕎麦がある。
あそこは1884年(明治17年)の大老舗ではある。

屋号が同じなので、もしかして、とは思っていた
のではあったが。
ただ、この二軒、今はほぼ共通点はないようだが。

上野[翁庵]の看板は、つけ汁に小さなかき揚げが
入った、ねぎせいろ、ではあるが、神楽坂[翁庵]には
そういうものはない。

今もなんらかつながりがあるのかないのか。
まあ、どちらにしても120年以上も店を続けているので
両店ともいろいろな歴史を積み重ねてきたのであろう。

改めて、この二軒、興味深い。
東京の蕎麦やの暖簾といえば、藪だったり、砂場、
あるいは、更科?、長寿庵もあるか。
翁庵という暖簾は他には聞かないような気もする。
どんな成り立ちなのか。
そして、この百年以上、どんな風に店が続いてきたのか、
歴史が知りたくなる。
なん代目なのか、経営は一緒であったのか、、。

閑話休題。

2時頃、自転車で到着。
店に入る。
夕方から夜であれば、そのまま入ればよいが、
昼は入ったところで、食券を買わなければいけない。

今日は、女将さんであろうか、座っている。
お酒冷(ひや)と、板わさ、それから、ねぎせいろ。

券をもらって、誰もいない奥のテーブルに外向きに
掛ける。TVが見える方向である。遠くて見えないが。

掛ける前にお姐さんに食券を渡すと、
お蕎麦は一緒でいいですか?と聞かれる。

あ、ちょっとずらしてもらっていいですか?。

じゃあ、声かけてください。

お酒と、板わさがすぐにくる。

ここはお通しもくる。
枝豆だったりすることもあるが、今日はきんぴら。
蕎麦やのお通しはそば味噌が多いが、これも
この店らしい。

板わさは、飾り切りがされているが、ちょっと
包丁がぶれている。これもこの店らしいか。

酒は半分ほど残し、板わさをつまみ終わって、
ねぎせいろを頼む。

すぐにくる。

このかき揚げの入ったそばつゆ、日本橋[砂場]にあるが
他では見たことがない。
今日、気が付いたのだが、これ、私も自宅でもやるが、
もともと酒の肴、これで呑むためのものではなかったろうか。

天ぬき、鴨ぬき、のあれ、で、ある。
一般には、温かいそばの蕎麦ぬき、ではあるが、
冷たいそばのそばつゆに入った具を、酒の肴に呑む。
ちょっと濃いが、私などにはなんら問題はない。

このつゆに浸ったかき揚げをつまみながら、呑んで
そのまま、蕎麦を手繰りながらも、呑む。
蕎麦は呑みながらも手繰れないこともない。

と、いうことは、板わさはいらなかったか。

いやまあ、こんな感じも、ちょうどよいかもしれぬ。

いずれにしても、ねぎせいろ、絶対酒の肴として
考えられもののような気がしてきた。

なぜならば、多少でもかき揚げをつままないと、
そばがつけられない。

今は私ぐらいしか言っていないかもしれぬが、
毎度書いている、菊五郎の歌舞伎「直侍」では
玉子のぬき、なんというのも出てくるほど、
明治の頃は蕎麦ぬき=つゆ+具材で呑むのは
一般的であった。

ご馳走様でした。

 


台東区東上野3-39-8
03-3831-2660

 

 

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