断腸亭料理日記2018
11月11日(日)夜
そろそろ、本当の季節到来であろう。
なにかというと、おでん。
もちろん、私のいうおでんは東京風のしょうゆで真っ黒のもの。
もはや東京でも風前の灯。
コンビニのおでんはもちろん、飲食店として
おでんを看板にしているところも、ほぼすべて、透明なつゆの
関西風。
東京風の真っ黒なつゆのおでんやの名前を挙げる方が
簡単である。
日本橋やら銀座、新橋になん軒かある[お多幸]。
そして、私の近所では池之端仲町の[多古久]あたり。
それこそ限定されてしまう。
さて。
東京のしょうゆで煮〆たおでんがいつ生まれたのか。
このことである。
毎度書いているがこの問題。
去年かなり詳しく考察している。
落語、歌舞伎など江戸から明治にかけてのおでんの
取り上げられ方などから考えている。
江戸の末期には味噌で、温めたこんにゃくなどを食べる味噌おでんが
流行していた。これは「煮込みのおでん」と呼ぶのが
正しそうである。
「煮込みのおでん」はそれ以前のいわゆる豆腐などに味噌を塗って
焼く焼いたおでん(いわゆる田楽)に対する言葉。
江戸末でもしょうゆで煮〆たものはまだなかった。
紀文のサイトには、明治20年創業の「呑喜」(東京・本郷)という店が
最初である、という説を紹介している。
結論はおそらくこの店でなくとも明治20年頃と推測してよさそうである。
意外に新しい。
前から書いている通り、これが関西に伝播し透明な関西風の
つゆになり、関東大震災後、京都・大阪の料理人が東京に
流入し、これとともに透明なつゆのおでんも東京に逆移入
された。つまりつゆで煮込んだおでんは生まれてから40年ほどの間に
行って戻ってきた。それも透明になって。なんと早いことか。
まあ、この震災後のタイミングが先日の[八百善]などの
江戸固有の料理屋料理が勢いをなくしたタイミングと同じ。
つまりおでんに限らず、ここが江戸固有の味の転換点である。
しょうゆで煮〆たおでんも事実上とっくに滅んだ
といってもよいのだろうが、
スーパーで種の買い出し。
色々入っているので、セットものを一つと別にがんもどき、
つみれ、すじ。すじは、棒状のものではなく、つみれのような
丸いもの。それから、やっぱり里芋は欠かせないであろう。
今、コンビニのおでんに里芋はあるのであろうか。
セブンイレブンで調べるとやはりないようである。
里芋はおでんが先の、味噌を塗っていた頃からの種である。
志ん生師匠の落語「替り目」にも出てくるが、東京では大きな
八つ頭を使うことが多かったと思う。しょうゆ味との
相性はすこぶるよい。
作る。
里芋だけは下ごしらえ。
皮をむいて、圧力鍋で下煮。
10分ほど圧をかけて放置調理。
同時に、玉子も茹でる。
30分、里芋に火が通ったら、煮込む鍋に移す。
入れるのは、水としょうゆ、のみ。
江戸・東京の下町人の味の好みは、しょうゆのみ。
あまいのを嫌う。いろいろな種から、あまみが出るのである。
酒も入れない。私の親父は特にうるさかった。
しょうゆが濃ければ、すぐに食べられる。
まあ、いかにも東京下町らしい即席感であろう。
真冬でもないので、ビール。
朱色の平たい皿。先シーズン合羽橋で調達した。
ご存知の方はご存知。この皿は[お多幸]のもの。
しょうゆのおでんといえば、やっぱりこれが気分である。
メラミンの“塗り”モドキ。合羽橋の塗りの器を扱っている
店のおばさんに教えられた。「おでんやさんは、お皿の上で
包丁を使うでしょ。だから塗りなんて使えないんですよ」。
だそうな。
一皿目は、
玉子、、なのだが、茹でた時に割れ目が入って、黄身と白身が
分かれてしまったがそのまま煮込んだ。
下がすじで、その隣がつみれ。
里芋が一番味が染みるのに時間がかかるので次。
二皿目。
里芋、がんも、さつま揚げ、もう一回すじ。
里芋というよりも、この大きさなので、小芋?。
里芋もうまいが、がんもも、しょうゆの煮〆は、
うまいもんである。
がんもだけでも煮ることもある。
できれば、スカスカよりも、身が詰まったものよい。
上等なのか、わからぬが、その方が、うまい。
だが、スーパーなどではなかなかそういうものは、置いていない。
今度探してみようかしら。
たが、おでんはそうそうたくさんは食べられない。
おでんというのは、腹にたまるのである。
やっぱり、安くて腹にたまる。
庶民の食い物。
食べ終えたらすぐに片づけ。
しょうゆが濃い分、このまま置いておくと、翌日には
しょうゆが染みて、食べられなくなってしまう。
従って、食べ終わったらすべてつゆからあげて、
別々に容器に入れて冷蔵庫へ。
東京おでん?!。
最近は、静岡おでん、金沢おでん、ご当地おでんが知られるように
なっているが、元祖のはずが、東京おでんといわねばならぬか、、。
いや。それほどにも存在感がないか。
だが、これが、うまい。
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