断腸亭料理日記2018
7月10日(火)夜
ちょっと久しぶりであるが、うなぎを食いに、神田明神下[神田川]。
久しぶりに会う旧友がうなぎを食いたいというので。
やはり私にはなにか特別のことがあると
ここ、という位置付けのうなぎやである。
数週間前に予約を入れてあった。
3人。
店からは特に言われなかったが、白焼きと
お重を予約時に頼んでおいた。
ここの創業は文化2年という。
東京のうなぎやで現在まで続いている店で、
寛政の創業といっているところが、浅草田原町の[やっこ]と
日本橋の[大江戸]。
寛政というと松平定信の寛政の改革を思い出されるかと思う。
寛政は1790年代で江戸時代の中期で、次の文化あたりから後期という
ことが多いか。今の東京のうなぎの蒲焼が生まれたのが
この寛政あたりではないか、といわれている。
それまでは蒲焼というごとく、開かずに
そのまま串に刺して、蒲の穂のような形にして焼き、
山椒味噌などを塗って食べていた。露店などで売られ、
脂が多いので肉体労働者が食べるものであったという。
東京のうなぎの蒲焼には関東の野田、銚子で生まれた
濃口しょうゆのおかげと、説明される。
関東の背開き、関西の腹開きという。
開き方が、関東と関西では反対。
また、関西では蒸さないが、関東では白焼きの後
蒸して脂を落とし、さらに甘辛に焼く。
これが確立されたのは、寛政からは20〜30年後の
文政といわれている。
江戸の地図を出しておこう。
いつのもように切絵図。端っこなので二枚に分かれる。
今の[神田川]の場所にはちょっと小さいが赤い星印を付けた。
現代の地図も。
明神下というくらいで神田明神の崖の下すぐにある。
江戸の切絵図、上が下谷で、明神下。
下が本郷で神田明神。
今は神田明神も神田明神の下である明神下から
秋葉原駅の向こうまで千代田区神田である。
ただ、神田明神のあるあたりは江戸の頃は湯島一丁目、あるいは二丁目。
元来、神田明神は江戸以前は今の大手町あたりにあった。
それが江戸の街づくりのために今の駿河台・本郷台地の上に移して
江戸総鎮守としたわけである。いわば神田明神のおかげで、このあたりまで
神田になったといってよいかもしれぬ。
明神下はその神田明神のお膝元。
[神田川]のある町は御台所町。
「初代茂七は、江戸城の賄い方として働いていましたが、
幕末に武士の株を売ってうなぎの商いを始めたのが、
当店の出発点になります。」(神田アーカイブ、当代神田茂氏)
上の地図をもう少し説明しよう。
真ん中より少し上の方に「此通下谷御成街道ト云」と
書かれた少し広い通りがある。これが今の中央通りで下谷
御成街道といわれていたわけである。
今はこのまま万世橋を渡るが江戸期には万世橋はなく、
右に折れて筋違(すじかい)御門(筋交橋)を通っている。
御成街道というのは将軍が上野の山、寛永寺に
お成りの際に使う通りであったから。
筋違御門のすぐ左側に「講武所付町屋敷」というのが
見えると思う。これは幕末の地図で、時代を物語っている。
講武所というのは幕末の幕府の施設で旗本御家人の
子弟の武芸鍛錬を行うために設けられていたもの。
講武所は水道橋の三崎町付近にあったのだが、そこに
住んでいた人々の移住先、代地がここであった。
ここには古くは加賀藩の屋敷があったようだが、長く
空地、火避け地で、加賀っ原といわれていた場所。
ここがその後、いわゆる芸者町となりその名も“講武所”と
呼ばれるようになっている。
ここが芸者町になったのは、幕末であるという。
つまり町の成立のすぐあとにはそうなっていた、
わけであるが、背景や経緯など詳細はよくわからない。
東京の芸者町、いわゆる花柳界は毎度書いているが、
いわゆる、二業地、三業地として制度化されるのは、
明治25年頃まで待たねばならない。
それ以前は、制度もなく公的な記録には残らないので
できた経緯、年代などは特定できない、という
ことなのであろう。
立地とすれば筋違御門を渡った向こう側は神田須田町、
その向こうは神田多町で、江戸初期からの神田の青物市場。
いわゆるヤッチャバでここで働く人々が主なお客であった
ようである。
明神下[神田川]は“講武所”芸者さんを呼べるうなぎやであった
わけである。また近くにはもう一軒[新開花]という料亭も残っている。
蛇足ではあるが「講武所付町屋敷」は明治になると旅籠町という
町名になる。今は新宿が本店であるがかの伊勢丹は
ここがが創業の地である。
秋葉原駅から歩いて、明神下[神田川]。
黒塀。
芸者町の頃を彷彿とさせる。
右の木の表札には「御蒲焼 明神下神田川本店」。
玄関。
ここの木札は「今日御予約以売切相成候(きょうごよやく(を)もって
うりきれあいなりそうろう)」、だそうである。
千代田区外神田2-5-11
03-3251-5031
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