断腸亭料理日記2018
上野警察前の蕎麦や[翁庵]を出て、不忍池の方にまわる。
ここからだと、上野駅の正面玄関から広小路口、不忍口それぞれの
前を通っていくのが最短である。
つまり、上野駅の外周をまわる。
もちろん、歩いている人が多いので自転車で通るのは
ちょいと迷惑。
だがまあ、近所の者なのでお許し願いたい。
適宜押して、歩く。
不忍口の先、上野の山の崖にへばりついてる、ビル。
以前は一階がお土産や、二階が聚楽であったか、昭和レトロの
食堂があったが、少し前に建て替えられて今はUENO3153(サイゴーサン)
という名前のレストランビルになっている。
このビル、私は知らなかったが、聚楽の頃は西郷会館という
名前であった。だが、本当の名前かと思うと通称。
はて、本当の名前はなんであったのか。
京成上野、上野公園の黒門口からピンク映画館の前を抜けて、
不忍池に出る。
毎年この時期の風物詩、池は蓮の花の盛り。
蓮の花 咲くや淋しき 停車場 子規
これは間違いなく、不忍池であろう。
そして停車場は上野駅。
先日書いたように、子規は根岸に住んでいたので。
これ、どんな意味なのか。
私など、もう半ば忘れかけているが、蓮の花というのは、
仏教で極楽浄土を象徴している。それで“寂しき”なのか。
誰か身近な人が亡くなって上野駅へ送った?、、、、
もう少しなにか背景がありそうな気もする。
あるいは、真夏に蓮は咲くがお盆にももちろん咲いている。
そんなことか。
不忍池の蓮といえば、淋しいものだけではない。
以前に一度紹介したことがあるが、江戸の狂歌師、
蜀山人大田南畝先生の日記。
江戸の頃ももちろん、不忍池といえば蓮。
当時はここのレンコンは食用にもしていた。
南畝先生、五十五歳(享和4年1804年あたりか)の頃の
日記『細推物理』には、こんな記述がある。
つとにおきて、不忍池のはた、蓬莱楼にて蓮飯くはんとて、
馬蘭亭(人の名前、狂歌仲間)をとふ。(中略)蓬莱楼に
いたれるに、池の面蓮の花さかりにして、ちり過ぎたるも
みゆ。鷭(バン、水鳥)の水草がくれに鳴など、唐の画に
てもかかまほし
(大田南畝全集第八巻:岩波書店)
早く起きて不忍池のほとり、蓬莱楼で蓮飯を食おうと思って
馬蘭亭を訪ねる。(中略)蓬莱楼に着くと、池一面、蓮の花の盛り。
もう既に散ってしまっているものも見える。鷭が水草に見え隠れしながら
鳴いているような光景は中国の水墨画にでも描いてほしいくらい
美しい。
現代語に訳すとこんな感じであろうか。
蓮飯というのはどんなものなのか。
蓮の葉でもち米を包んだ包んで蒸した強飯のようなもの。
あるいは、蓮の種を炊き込んだ飯。さらには蓮の若葉を
蒸して細かく刻み飯に混ぜ込んだもの。辞書を引くとこんな
ものが出てくる。
最初の強飯は今でもお盆に食べるところがあるようである。
不忍池の畔(ほとり)の料理やで出されていたものは
どれかわからぬが、まあ現代に残っていないところを見ると
季節の風物詩のようなものであったのであろう。
鷭という鳥は今あまり聞かない鳥である。
鳩程度の大きさで顔が赤く、身体は黒い、というので
目立つ鳥なのではなかろうか。
今もそう珍しくなく東京の水辺でも見られるようである。
江戸期には珍味として食べられてもいたとのこと。
こうして、水墨画に描いてほしいというほど美しいと見られ、
ポピュラーであったのに今では目がいかなくなったのは、
なぜであろうか。
南畝先生が早く起きて、というのはやはり蓮の花は朝でなければ
閉じてしまうからということであろう。
江戸風流人、蜀山人先生の夏のとある日ということであろう。
ともあれ。蓮の花は涼し気だが、日も出て蒸し暑い。
こんなに暑くても、池の畔はけっこう人が出ている。
土曜日の今日は本当は隅田川の花火大会であった。
いつも家の前の通りに出て見物している。
今回の台風接近で、昨日には早々と日曜日に順延が発表されている。
今日の空模様は、昼前、一度土砂降りがあったが、今は雲が切れて
日が出ている。風もそう強くはない。
今はまだ台風は八丈島あたりか。
予報通りであれば、夕方から夜には雨風が激しくなるのであろうか。
どうせ台風がくるのだから、家にこもって、呑みなおそうか。
鯵の煮びたしもある。
缶チューハイやら買って帰宅。
朝、仕込んだ、鯵の煮びたし。
腹を抜いて、素焼きにし、酒としょうゆ、水を煮立てたもので
軽く煮て、冷ましたものである。
鯵の煮びたしというのは、今一般にポピュラーな料理ではないだろう。
池波先生が書かれているのは、実際に育たれた家などで
昔、食べていたもということであろう。
レシピはどこにも書かれてはいない。
それで味付けは、私の解釈である。
鯵の煮びたしというのは、私も池波作品で初めて知った。
子供の頃、大井町生まれ育ちの父や祖父母の好む常備菜として、
浅利むき身と小松菜の煮びたしというのが、食卓によくのぼった。
東京の庶民の味付けは、ほぼ濃口しょうゆのみ。
煮魚にも砂糖はおろか味醂すら入れなかった。
鯵の煮びたしもおそらくこうであったのであろうという
私の推測である。
今日のものは気持ち濃いめになってしまったが、この手のものは
やはり、こういう味がよろしかろう。
塩焼きよりも私は贔屓。
これで呑み直し。
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