断腸亭料理日記2018
7月28日(日)
さて、日曜日。
順延された、隅田川の花火大会である。
日本一有名で、日本一歴史のある花火大会といって
よい、のではなかろうか。
今年は41回目。
これはもちろん、1978年(昭和53年)の復活からの回数である。
毎年、花火大会を書いてはいるが、
今年は改めて歴史をちゃんと書いておこうか。
今、隅田川花火大会という名前で、浅草の南北二か所で
上げられている。
そもそもは浅草ではなく、もう少し南の両国橋付近。
名前も、両国の川開き、であった。
川開きとは何か。
江戸期、どのくらい厳しく運用されていたのか
わからないが、川開きは例年旧暦の5月28日で、ここから
8月28日までの3カ月は隅田川に涼み舟を出すことが
許されたという。
この初日に花火があげられていたのである。
最初は吉宗の頃、1733年(享保18年)前年の飢饉などで
亡くなった人々の供養のために両国回向院で行われた
お盆の川施餓鬼という行事で花火があげられたもの
とされている。
1733年というのは江戸のほぼ真ん中。
今から290年ほど前である。
この間、戦中・戦後も含めて、幕末などにも社会混乱で
中断することはあったようだが、300年も続いている
花火大会ということができる。
これはやはり、誇るべき行事である。
褒め声とともに、花火屋は、玉屋、鍵屋というのがよくいわれる。
江戸期、日本橋横山町の鍵屋弥兵が両国橋の下流、西両国広小路の
玉屋市朗兵衛(鍵屋から独立したともいい、随分後の1808年
(文化5年)創業) が上流を受け持ったという。
享保から始まった川開きの花火は、江戸人の人気を博し、
花火の製造技術は年毎に進歩、享保から90年後の寛政年間には
既に多種多様な花火が生まれていたという。
さらにその50年程度後、幕末も近い1843年(天保14年) 玉屋は
火事を出し、江戸所払(ところばらい)になり、以後鍵屋のみとなる。
(墨田区史)
花火といえば、落語では「たがや」である。
花火見物の人々でごった返す両国橋の上で、桶のたがを〆直す職人の
たがやが、馬に乗った武士に無礼を働いたと、切られそうになる。
火事場の馬鹿力で、最後にはたがやが刀を奪って、武士の首をはね、
首は空高く上がり、観衆が「た〜〜がやぁ〜〜」という落ちの噺。
(もちろん「たぁ〜〜まやぁ〜〜〜」の洒落である。)
(談志家元は、首をはねられたのは、時代を考えるとたがやの方だ
といって、たがやの首を飛ばしていた。)
この枕で、
橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ鍵(情)なし
という狂歌を必ず話す。
褒め声は玉屋ばかりで、鍵屋とはいわれない。
これを落語家は、お取り潰しになった玉屋に江戸っ子は
肩入れをして玉屋、玉屋といった、という説明をする。
確かに、玉屋の方が褒め声とすればよく聞く。
だが、今となっては、この説明、いささかピンとこない
感じもするのではなかろうか。
玉屋がお取り潰しになった天保期というのは、例の水野忠邦の
天保の改革で閉鎖を命じられた寄席の数が200以上といい、
当時落語は江戸で大ブーム状態であったと考えてよいであろう。
つまり、玉屋のお取り潰しと落語ブームが同時期であった
ということである。それで上の狂歌と落語「たがや」は、
玉屋お取り潰しをきっかけに作られたものではないか、という
推測もできそうと私は考えるのである。
玉屋への同情半分、タイムリーな話題であったので
狂歌に詠まれ、この「たがや」の噺ができたということ
なのではなかろうか。
ただ、前記のように玉屋、鍵屋と並び称されるが、
玉屋は創業からわずか40年程度でなくなってしまっているのが
史実ということのようである。
名所江戸百景 両国花火 広重
時代としては、幕末の安政。
色は一色だが、今と同じ丸い形に広がる花火である。
川面にたくさんの船が出ているが、実際にはこんなものではなく
びっしりと舟で埋められ、舟伝いに向こう河岸に渡れた、
などともいった。
さてさて、食いもののこと。
拙亭では毎年恒例であるが、なぜか花火となると、
天ぷらの蔵前[伊勢屋]さんの天ぷらをはさんだ、
天サンドを内儀(かみ)さんが予約して買ってくる。
今年は一日延びたので、わざわざTELをいただていた。
海老天とかき揚げをはさんだサンドイッチなのである。
微かに天つゆの甘辛味がついてる。
イメージ程、妙なものではなく、毎年食べているが、
うまいものである。
そして、もう一つ、この前の池波レシピの宿題。
そう、瓜もみである。
もちろん、池波先生のご指定通り、大葉も刻み込んで
さらに白胡麻もふった。
塩もみをして、やはり1時間程度は置いた方が
よいだろう。
きゅうりもみとはまた違い、うまいもの。
つづく
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