断腸亭料理日記2016

西両国のこと〜
東日本橋・あひ鴨一品・鳥安 その2

東日本橋の、あひ鴨一品[鳥安]なのだが、
江戸期の江戸でも、指折りの盛り場であった両国広小路界隈
について書いている。

こういうものの宿命なのであろう、まとまった
記録のようなものが存在しない。
つまり、今となっては、歴史をさかのぼることが
かなり難しい。

地図

江戸の地図。


(もちろん[鳥安]は明治5年創業で、この頃には存在していない。)

昨日は幕末あたりまで書いてみた。
幕末の“両国辺”で114名の芸者がいた、ということ。

昨日書いてきたように、両国広小路に接している、
薬研掘米沢町([鳥安]の場所)、柳原同朋町の二町が
水茶屋があったり、どうも古くからの両国の芸者町の中心であったのでは
ないか、ということ。そして、柳橋というのはもともとはこちら、
神田川の南を指していたらしいということ。

ご存知の通り、柳橋の花柳界というのは、神田川の北、
隅田川沿いというのが、我々の記憶、で、ある。
おそらくその両国広小路側から、神田川の北側、
町名は神田川沿いが「上平衛門町」隅田川沿いが「代地河岸」というが、
に移っていったと思われるのだが、いつ頃、どんな風に、というのが
よくわからない、のである。

さて。
その前に、この界隈でもう一つのちょっとした話題。
江戸の地図と現代の地図、両方に大木唐からし店というのがあるのが
わかると思う。

このあたりで唐辛子というと、なにか思い出されまいか。
そう、やげん堀の七味唐辛子である。

東京で今、七味唐辛子というと、やげん堀、で、ある。
そもそも江戸東京では、七味ではなく、七色(なないろ)、
七色とんがらし、といっていたのだが、今では、やげん堀の
商品名も七味にはなっている。

やげん堀は、今は浅草が本店であるが、発祥はその名の通り、
このあたりであったわけである。
そして、今でも小さな店だが[大木]というところが残っている。
薬研堀の、薬研というのは、生薬をすり潰す鉄製の道具、
赤ひげなんぞに出てくる、ゴリゴリと押したり引いたりしている、
あれのこと。
江戸も古い頃なのか、ここには薬屋や、医者が多く住んでおり
薬の町であったという。
それで、唐辛子やらの粉ものを混ぜて商品にする
という七色とんがらしが発明された、ということのようである。

さて。

幕末から時代は明治に替わった。

またまた、浮世絵。

これは明治4年。
落合芳幾「両国八景之内」「元柳橋の夕照」。

この人は、幕末から明治にかけて活躍した絵師。
国芳の弟子筋のよう。

八景というくらいで八枚組の両国風景。
その一枚である。

元柳橋は遠景の岸辺であろう。

と、いうことは、神田川の北、おそらく神田川が隅田川に入る
河口の北の岸の料亭らしきところからの眺め、、。「亀清楼」か。
亀清楼は安政元年の創業という。

当時の元柳橋の河岸の様子がある程度わかる。
左にあるのは柳の木か。
元柳橋の袂には柳の木の大木があったという。
そして、簡易の舟着きの桟橋なども見える。
家がびっしり建っており、提灯などが並んでいる家もある。
これらは舟宿、あるいは待合、料亭、料理やの類であろう。

この時期、両国の芸者町というのは、神田川の南側(元柳橋)
と北側(新?柳橋)、両方にまたがっていた、
とみていいような絵、とみるのだが、いかがであろうか。
(もしやすると、このアングル、対岸の回向院の方、尾上町あたりの
料理やからの可能性もあるか。いずれにしても元柳橋の風景は間違いない。)

さて。

両国広小路の屋台店のある盛り場は、明治に入り、
文明開化の時代にこのような粗末な小屋掛けの芝居などは
よろしからぬ、という明治政府の方針ですべて取り払いが
通達された。

明治期、歌舞伎の九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎とともに
「團菊左」と並び称され初代の市川左団次であるが、若い頃の
不遇時代、両国の緞帳(どんちょう)芝居に出ていたともいう。
これは幕末か明治に入り取り払われる直前のことであろう。

取り払いのお達しが出たのは明治5年という。
偶然かどうか、わからぬが[鳥安]の創業も明治5年。
試みに明治5年になにがあったのか調べてみると、
まあ、明治初頭なので、いろいろな変革の政令などが
どんどんと出されている頃ではあるが、
岩倉使節団が渡米中で、米大統領に会ったり、
新橋、横浜間の岡蒸気が開通。
また、その後、銀座煉瓦街の再開発につながるが、
銀座から築地にかけて大火があったり。
庶民を含め大きな影響をあたえたのは「改暦ノ詔書並太陽暦頒布」、
旧暦から今使われている、新暦に変えている。

芸者のついて書いているが、この年、こんなものもあった。
芸娼妓解放令。
この時、芸妓、娼妓が前借を棒引き、解放がなされ、遊郭などは
店を閉じている。しかし、これにより当時の娼妓などは
路頭に迷うものも現れ、翌年すぐに、「貸座敷渡世規則」
「娼妓渡世規則」が出され自由意志で商売をしたい者には座敷を貸す、
という形で復活している。

この解放令の実際の意図は、人身売買(奴隷)禁止ということで、
遊郭などの禁止を意図していたわけではなかったというのである。
解放は有名無実で、正味、彼女達が法的に解放されたのは、
明治33年の娼妓取締規則に“自由廃業”が明文化された後のことである。

閑話休題。

結局のところ、両国広小路南から神田川の北へ柳橋が移っていった
模様は、例証するような文献も見つからず、よくわからない。
引き続き、私の宿題としよう。

だがまあ、またまた、仮説で恐縮であるが今はこんな風に
考えている。
この明治初期、両国広小路の取り払いによって、その背後の
水茶屋や芸妓のいる家(置屋)、舟宿(?)なども政府を憚って
次第に、神田川の北側へ移っていった。
(あるいは、そういう指導がされたという可能性も
あろうと思う。)
もともと神田川沿いなどに既にあった舟宿やら、料理やなどの芸者町と
一体となり、明治期、さらに隅田川沿いの“代地河岸”北側へ伸びていった。

ただやはり、当の、あひがも一品[鳥安]もここに開業したりしており、
料亭、料理や、舟宿の類はこのあたりには引き続き集まっており盛り場、
芸者町の雰囲気は明治期しばらく続いたといってよさそうである。

 


つづく

 

 

鳥安

中央区東日本橋2-11-7
03-3862-4008

 

 



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