断腸亭料理日記2015
5月17日(日)
引き続き、5月17日、三社祭の本社神輿の渡御見物。
昼すぎに拙亭を自転車で出て、駒形の[自家製麺・伊藤]で
ラーメンを食べて、近くにいた三之宮の見物。
これから、二之宮と一之宮を捜しにいく。
浅草神社の氏子範囲の内、三之宮を南部地域が担ぐ。
一之宮は北東部、二之宮は北西部と分かれている。
まずは二之宮の順路。
はは〜、今は、日本堤から千束あたり。
浅草というところは一様でないのがおもしろい。
皆様が浅草といって思い浮かべるのは、浅草寺があって
仲見世、雷門、六区があってと、観光地になっている
あの区画であろう。それを取り囲んで、三社様の氏子範囲は
東西南北、広くある。
先ほどの駒形、寿といった南部。
[どぜう]や[前川]など老舗の料理やもあるが、
バンダイ本社などもあって、今は半ば以上は、
静かなオフィス街といってよかろう。
駒形から浅草通りを渡り並木の通りへくる。
並木藪。
並木[藪そば]も祭提灯。
雷門。
雷門通り。
これは本社神輿ではなく、どこかの町内神輿。
なん町か合同でこうして渡御をする。
人混みの雷門通り、六区は避けて、国際通りの西側を北上。
今のビューホテルの場所には以前は、かの国際劇場があった。
戦前から戦後にかけて一世を風靡したSKD、松竹歌劇団のレビューが
行なわれていたところ。
千束通りへ入りさらに北上。
このあたりは、江戸期には田んぼで、明治以降にひらけ
この通りは今は下町の商店街。
通りの右側は、観音様の裏で、通称観音裏。
今も、料亭があり芸者さんもいる一画。
そして、千束通りの左奥が旧吉原。
千束通りはゆるく右カーブし、昔、山谷堀のあった土手通りへ出る。
(ちなみに、旧吉原は三社の氏子ではない。)
地方橋の信号、宮司さんの乗る馬がいた。
これは神輿の先導。
近くにいるはず。
いたいた。これが二之宮。
往復二車線の広い土手通りもむろん交通を止めている。
赤い筋の入った半纏姿の鳶頭もなん人か見える。
ここまで神輿を見にきたのは初めてである。
この土手通りの右側の町名は日本堤。
町会の名前は「堤」なのか。半纏も「堤」である。
実際の山谷掘りは今は暗渠になっているが
この通りそのものではなく、この通りのさらに右側である。
つまりこの通りは戦後、山谷掘りの土手を崩して、
土手通りとしたのである。
吉原を描いた古い映画などでご覧になったことがある方も
あるやもしれぬが吉原に行くには、山谷掘りを舟で、
徒歩ならば土手八丁などといって、この土手の上を歩いて行った。
上の写真に写っている信号が、吉原大門の交差点で、
左に入ると吉原大門の跡である。
やはり、先ほどの駒形、寿あたりとは同じ三社の氏子であるが、
雰囲気が違う。
さて。
一之宮はどこにいるかな?。
そう。やっぱりこのあたりにいる。
一之宮は、花川戸、猿若町、聖天町といった隅田川に
近いところを北上している。二之宮は、ニューホテルのあたり、
西浅草を担いだ後、南千住に近い飛び地のようになっている町会まで
トラックで運び、担いで、再びトラック、そして今の堤町会
という順路であった。
この時刻、かなり接近していたのである。
一之宮は馬三(うまさん、馬道三丁目)町会から、
浅五会あたり。
人が集まっている路地を探すと、いた。
馬三町会のようである。
馬三の担ぎ終わり。
町会長さんであろうか。なかなかよいコメントではないか。
これで三基の三社祭の神輿を全部拝めた。
ぶらぶら帰ろうか。
さて。今年の三社祭。
一時期に比べて、当局の取り締まりもあってか
だいぶおとなしくなっているのではなかろうか。
祭りなど本来多少荒っぽくてもよいのだと私は思う。
それが祭りであろう。
しかし、本来の住人ではなく、外から担ぎに来ている者が
どうも暴れている張本人というようにも見えてもいた。
これはいけない。祭りの本質を外している。
ただ、一方で浅草というところは古くからの盛り場であり、
昔はバクチウチといっていた、親分さんが明治の
初めから伝統的におり、それらは今は「暴」関係である。
今の彼らはむろん反社会的勢力であることに異論を
さしはさむつもりはない。ただ彼らも、浅草を、歴史的には
構成してきた住人であり、実際彼らも毎年三社祭を愉しみに
していたのだと思われる。
例年、もろ肌脱いで、下帯一つ、見事な彫り物を見せて
町神輿に優雅に乗って見せていたが、今年はどうも
自粛なのか、見えなかった。私にはちょいと、
物足りない気もする。
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