断腸亭料理日記2015
引き続き「菅原伝授手習鑑」の通し。
昨日は最後の寺子屋の途中まで。
松王丸が妻千代と謀り、自らの子供を菅秀才の身代わりに、
首を差し出すということをしてのけていたのである。
そして、松王丸も戻ってくる。
なんでこんなことをしたのか。
松王丸はこんなことをいう。
「梅は飛び 桜は枯るる世の中に なにとて松のつれなかるらん」。
つまり、松王丸は菅丞相に恩を受けた父白太夫の子であるが、
敵方の藤原時平の家来になっていたわけである。
桜丸は責任を取って腹を切ってしまった。
(梅王丸は丞相を追って大宰府へ行っている。)
私も、丞相の役に立ちたかった、というのである。
それで自分の子供の命を差し出すということになった。
悲しみのなか、いろはおくりといって、浄瑠璃にいろはを
読み込んだ野辺の送りなどあり、幕、となる。
いかがであろうか。
「菅原伝授手習鑑」寺子屋。
こんなお話しなのである。
豊国画 嘉永3年(1850年) 江戸・
市村座
春藤玄番 大谷友右衛門 よたれくり 二代目沢村宇十郎
昨日書いたが、寺子屋冒頭の子供コントの中心人物に、
よだれくり、という名前がついているのだが、
それを描いた珍しいもの。
今もそうだが、ちゃんとした名代(なだい 一人前)の役者が
やっているようである。
この場面は、菅秀才の首を求めてやってきた使者春藤玄番が、
松王丸に武部家の寺子屋の生徒達の顔を一人一人改めさせている
ところであると思われる。
さて、以前にもこの寺子屋を観た時に、
長々と感想らしきものを書いている。
2年前のことであるが、私の考えは基本的には変わっていない。
やはり「菅原伝授」の中でもこの寺子屋という幕は
どうも腑に落ちない。
腑に落ちないというのもちょっと妙な言い方には
なるのだが、この寺子屋を現代にも通じる演劇として
みるのか、古典として、江戸の中期頃にはこんな内容の
作品が作られたとみるのかということでも違ってくるのでは
あるのだが。
現代(近代でもいいのだが)の頭でみると、やっぱり
この話し、ヘンである。
二組の夫婦の話しである。
ともに悲しんではいるのだが、松王丸夫婦は、父や兄弟達の
主人である菅丞相(息子の菅秀才)への忠義のために
子供の命を差し出すということをする。
武部源蔵夫婦は同じく忠義のために、見ず知らずのいたいけな
子供の命を奪う。
これは君への忠という儒教的な考え方だと思うのだが、
この忠は、人の命などよりもすべてに優先するということになっている。
その中に、美や感動、親の子への愛、同情(?)を観客達は感じたのか。
(あるいは今でも感じているのか。)
現代の頭では、悲しいこと、と泣かれても、ただの無慈悲な人殺し
ではないか、到底納得はできないし、感動もしない、
と、私には思われる。皆様も冷静に考えればそうであろうと思う。
この作品ができたのは、戦国時代が終わり平和な江戸の世になり150年ほど。
世の中は戦も絶え、幕府は儒教を統治の基本的な規範にし
定着していたといってよい頃なのか。
少し前に書いたが、江戸後期にはまた変わってくるのだが、
この頃にはまだ例えば、近代でいう、人権というような
考え方はなく、君への忠はすべてに優先する、というのは
あたり前のことであったということか。
さて。
「菅原伝授」と時代も作者も同じご存知の名作「仮名手本忠臣蔵」。
以前に通しで観たときに、六段目、七段目の勘平のことに文句を書いた。
あたり前だが、行動様式も、とっても近世武士的といってよく
その上、かなりのおバカ、脚本としても詰が甘い、などと書いている。
少し前に「江戸のこと」というタイトルで書いた時に
触れたのだが円地文子「江戸文学問わず語り」
という本がある。この中に、式亭三馬の「浮世風呂」が今書いた、
忠臣蔵の六段目、七段目の勘平のことを馬鹿な男だと
女房達がこき下ろしているくだりがあると、原文を引用して
書かれている。
式亭三馬の「浮世風呂」は文化年間のものであるが、
彼の忠臣蔵評は、私の勘平への感想とほぼ同じ。
三馬が江戸も後期、文化の頃だから、ということなのか、
わからぬが、なんだ、江戸時代からいわれてきたことなのか、
ということを発見したのであった。
寺子屋でこういう批評をする人はいないのであろうか。
江戸の頃から、寺子屋はやっぱり人気の幕ではあったことは間違いなく、
それは現代にまで続いている。(観客には近世的なメンタルを
求める人も、ずっといる、ということか。)
だが、私はやっぱり「菅原伝授」にしても「忠臣蔵」にしても
名作は名作、なのだが、やっぱり古典。
書いたように、昼の部の、道明寺などは、
鶏の鳴き声トリックといった子供だましの部分は
ちょいとご愛嬌だが、なかなかよくできている。
しかし、すべてではないが、やっぱり腑に落ちない
部分がどこかにある。
(これが幕末、黙阿弥の作品になると、こういう、腑に落ちない
ところは、筋(すじ)にしてもテーマにしても、ほぼなくなる。
それで、黙阿弥作品の方が、前にも書いているが、限りなく
近代にメンタルを持ち、近代江戸人と呼びたくなるのである。)
結局、こういう腑に落ちない部分があると、芝居自体に
入り込めないのである。やっぱり残念である。
完
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