断腸亭料理日記2015
6月5日(金)〜7日(日)
引き続き、鳥越祭、土曜日。
夕方、神酒所前。
雨がポツポツきているが、
そろそろ人も集まり始めている。
東京アメッシュによれば、どうも降っているのは
ここだけのよう。すぐやむであろう。
神輿の担ぎ手というと半纏に締め込み、地下足袋の屈強な男が多いが、
なんだかカラフルなTシャツを着ているお嬢さん達。
これは、うちの町内にある都立白鴎中学・高校の和太鼓部の皆さん。
(このTシャツは下級生のよう。和太鼓部はなぜだかほとんど女生徒。)
これも毎年のことだが、土曜日の連合渡御の担ぎ出しの前に
太鼓の演奏をしてくれて、景気を付けてくれている。
今年からだろうか。
神酒所で町の手拭いを売っていた。
おそらく、ご祝儀やら奉納品を出した人へ
渡しているものだと思うのだが、手拭いだけでも
売ることにしたのか。(金千円也)
こういうところも町会の名前ではなく、祭組織の
「睦」の名前になっている。
こんな柄。
三々五々、担ぎ手も集まり始める。
よっこらさ、っと、テントから神輿を出し、神酒所前へ。
(長い半纏は、万端裏方で働いてくださる鳶の方、これは数人いらっしゃる。)
黒い足のようなものはウマといっているが、神輿を置いておく台。
前後二台ある。担いでいる間、鳶の方はこれを持って運び、
担ぎ終わりの頃どこからともなく現れて、担ぎ手で雑踏を極めている中を
神業のように置く。
これが白鴎生の太鼓演奏。
5時半。
いよいよ担ぎ出し。
黄色い襷をしているのが、七軒睦の代表の方。
手に持っているのは拍子木。
この方の差配のもと、神輿は担がれる。
担ぎ手は既に棒のそばにスタンバイ。
一本〆を合図に、担ぎ始める。
狭い路地を曲がって、
また曲がって、
少し広い左衛門橋通りに出る。
これも毎年のことだが、太鼓だけではなく、実はこの担ぎ手の中にも
白鴎生が混じっている。(なんでも彼らの単位になるらしい。)
このシステム、担ぎ手不足に悩まされる町会が多い中、学校が
町内にある限り無期限に担ぎ手が供給される。ナイスであろう。
また路地に入って、
担ぎ終わり。
この狭い路地に北部八か町の八基の神輿が集まり、
これから連合渡御になる。
各町の高張提灯それぞれ一対が集合。
八基の神輿がとめられかつ、担ぎ手もこの狭い路地にそのままいる。
代表の方の挨拶があって、三本〆。
おもしろいのは、三本〆は、各祭で多少違っている。
鳥越の場合は三本の間それぞれに、
ヨ〜〜、っという掛け声とともに、少し間を開ける。
「ヨ〜〜、シャン・シャン・シャン、シャン・シャン・シャン、
シャン・シャン・シャン、シャン。
(もう一度)ヨ〜〜、シャン・シャン・シャン、シャン・シャン・シャン、
シャン・シャン・シャン、シャン。
(もう一度)ヨ〜〜、シャン・シャン・シャン、シャン・シャン・シャン、
シャン・シャン・シャン、シャン。」
お判りになろうか。
つまり普通の三本〆の最初「ヨ〜」を二回続ける。
これが鳥越祭の正しい三本〆。
ここから一列になり再び担ぎ始め、路地を縫ってすすむ。
次の停止ポイントで、提灯を取り付けて火を入れる。
これが鳥越の火祭りといわれる所以。
界隈の祭でも他に提灯を付けて火を入れるところは
ないと思われる。
火を入れて南北の通りを北上。
火の入った八基が神輿がずらっと並んでいるのは美しく、壮観。
浅草通りの交通も止めてさらに北上。
渡ったところが目的地。
ここは鳥越神社の氏子町会では最北端、北松山。
もう一度集まって、手〆。
見事な、連合渡御でした。お疲れ様でした。
ここからは皆、それぞれの町内へ戻っていく。
浅草通りも渡り返す。
行きはよいよい、一基だけの帰り道は長い。
神酒所前まで戻り、お疲れ様でした。
9時半はすぎていたか。
つづく
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