6月28日(日)夜
さて。
日曜日の夜。
今日は、内儀(かみ)さんの希望でうなぎ。
日曜日にうなぎというと、浅草では[小柳]
という選択肢もあるが、今日は駒形の[前川]にしてみた。
一応、昼間、TELを入れておく。
土用の丑の日も近い。
(ちなみに今年は7/24と、8/5と二回のよう。)
6時前に徒歩で出る。
素足に雪駄。
気温は高かったようだが夕方になり
意外にさわやか。
元浅草から、真っ直ぐに東。駒形橋の西詰めから、
川沿いに数軒さがったところ。15分はかからない。
[前川]は立派なコンクリートのビルだが、
落ち着いた風情。
玄関を入って、名乗る。
お二階へ、というので、階段をトントンとあがる。
二階の入れ込みの座敷。
なかなかにぎわっている。
この二階の眺めはわるくない。
隅田川が目の前で目線は堤防よりも上。
駒形橋が見えて、その向こうに、スカイツリー。
時折、屋形船も通る。
この家の創業は文化文政の頃でもとは川魚問屋であったという。
むろん、その頃の隅田川には堤防はない。
いや堤防はおろかこのあたりの隅田川は堤もなかった。
店用の桟橋があって、舟で直接店に入れたのである。
詳らかには私も調べ尽くしてはいないが、隅田川で堤があったのは、
墨堤の名で有名な桜の名所向島あたり。西岸の柳橋からこのあたり、さらに北へ
ずっと堤はなかったと思われる。
これは広重の「名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋」。
(東)両国から西の柳橋方向を見ている。
真ん中にあるのが神田川河口で、架かっているのが柳橋。
拡大してもやはり堤のようなものは見えない。
その頃の隅田川は今よりももう少し川幅が広かったようではあるが、
それでも堤がなければ多少の大水で、すぐに浸水していたのではなかろうか。
風情はあるが、それはそれでたいへんではあったろう。
さて。
座って、注文は。
瓶ビールと、白焼きをもらおう。
それからお重。
値段は一度上がってそのままか。
白焼が3,780円。
お重が4,095円、5,040円、5,985円の三種類。
4,095円のものにする。
毎度書いているが、貴重な資源である。
爆食してはいけなかろう。
白焼きがきた。
この姿がよい。
本わさびをのせて、ちょいとしょうゆをつけて、口に運ぶ。
蒲焼もよいが、白焼きも江戸前うなぎの本領であろう。
パリッとして表面の焼き上がり。
いい具合の脂とうまみ。
これを粋というのであろう。
食べ終わった頃、お重もくる。
お新香に肝吸い。
お重のふたを取ると、あらわれる蒲焼。
毎度書いていて、馬鹿の一つ覚えのようだが
やはり、このお重のふたを開ける瞬間というのは、
なににも代えがたい、幸せを感じる。
生まれ育った東京の味。
これを食べられる幸せである。
山椒をふって、食べる。
浅草のうなぎやはおおむねそうだが、ここの蒲焼も甘さは抑えめで
キリッとしている。
うまい、うまい。
食べ終わり、下で勘定をして、出る。
ご馳走様でした。
さて。うなぎの蒲焼というのは、おもしろいものである。
私自身、子供の頃から大好物でありまた、
たまにしか食べられない、ご馳走であった。
天ぷら、にぎりの鮨と並んで、江戸・東京の名物といって
よろしかろう。
以前から鮨と天ぷらは江戸落語に出てこないのに
うなぎは噺のテーマとして登場するものまであるのが疑問であると
書いていた。
少し前に天ぷらのことを考えてみたが、
天ぷらも鮨も以前には屋台でも食べさせるものであった。
落語に鮨や天ぷらが登場しないのは、この違いだったのでは
なかろうか。
開かずに焼いて山椒味噌を塗っていた江戸初期の頃はいざ知らず、
開いて蒸して、という今のスタイルができてからは、
一貫して、ご馳走であったのであろう。
これが鮨、天ぷらとの違いかもしれぬ。
江戸東京名物でも別格のうなぎ蒲焼。
大事に食べ続けなければ。
前川
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