断腸亭料理日記2015

父親の語った戦争のこと〜総理談話のこと

さて。

夏休みが終わった。
皆様はいかがおすごしであったろうか。
私の夏休みは、例年通り、南の島へダイビングに行ってきた。

行ったところは、フィリピン、ボラカイ島。


これは明日以降ゆっくり書くとして、今日は8月16日。

前回、昭和天皇の「終戦の詔書」のことを書いたが、
14日、私達はまだボラカイ島にいたが、安倍総理によって
述べられた、総理談話についても思うところを
書かなければいけなかろう。

さて、総理談話の前に私自身の記憶にある先の戦争のことを
少し書いてみたい。

私は、1963年昭和38年生まれでむろん、戦後。
戦争のことは知る由もない。

私にとっての戦争のこととは、親、特に父の話した
戦争のことである。

父親は昭和2年の生まれで、終戦の年にはちょうど20歳であった。

戦争へは行っていない。

父は中学から陸軍士官学校へ進み(60期であったか)で、
終戦の年には通常の課程を修了し、さらに士官学校の
航空の通信という課程に進み、敗戦の年、朝霞から入間の基地へ移った
ところであった。

かの、終戦の日の玉音放送は入間基地の士官学校の校庭に
並ばされて聞いたという。

父親の言によれば、放送の途中で、生徒の前で聞いていた
教官が持っていた軍刀でスピーカー(の線?)を切って
しまったというエピソードを語っていた。

この玉音放送の前日、つまり終戦の前日から、
陸軍青年士官が近衛第一師団長を殺害し、偽の師団長命令を発し
一時は宮城(皇居)を占拠したクーデター未遂事件があり、
映画「日本の一番長い日」などにも描かれているが
父親の語ったことは、さもありなんと思われた。

父親自身は戦争には行っていないが、士官学校の同期の多くは
既に学校の課程を修了し少尉となり、本土決戦に向けて
外房などでの防衛線に配属されていたという。
あるいは、まだ実際に使われてはいなかったようだが、
陸軍の航空には「桜花(おうか)」といってジェットエンジンで飛ぶ新型の特攻機
(入間基地に保存されており、私も父に見せられた記憶がある。)
の準備を進めていたともいう。

当時、陸軍士官学校、陸士といえば、エリートであったという。
私の父は、なにも好きで陸士へ進んではいなかったといっていた。
親に進学させられた私立中学が当時の高校受験資格が
得られず、受けられたのが、陸士か海兵であったからと
語っていた。
つまり、当時の軍国少年が大人になり積極的にお国のためにとは
思っておらず、陸士でもできるだけ実戦から遠い、
航空の通信を選んだ、といっていた。

航空の通信というのは陸軍で何をするのか不思議に
思って聞いたことがあるが、父親の説明は要領を得なかった。
戦後、父は大学に入り直し、理系で電気を専門にし、
電気技術者となった。陸軍で、当時日本にはまだなかった、
レーダーの開発でもするつもりであったのか。

ともあれ。
戦争中というのは、陸士の学生で食料も潤沢にあり、
訓練やらはそれなりに辛かったようだが、東京から
疎開をしていた祖父母、叔母などの話よりは
楽をしていたような印象を受けたものであった。

父は、これ以上のことはあまり語らなかったのだが、
もう一つ、戦争に関して印象に残ったことがある。

なにかというと、それは沖縄返還の3年後。
父は夏休み、中学1年と2年になった私と兄を連れて
沖縄旅行へいった。

この年は、沖縄海洋博覧会が開かれ、これを見るのが
私と兄のこの旅行の目的であった。
しかし、父のこの旅行の本当の目的は陸士時代最も仲がよかった
沖縄人の同期の方の訪問であったが、それと同時に、
今から考えると、国内唯一の地上戦になった沖縄の慰霊で
あったのであろう。

その時、海洋博以外にも私達はひめゆりの塔、健児の塔、
摩文仁の丘、米軍の火炎放射器の焦げ跡の残る防空壕、
などなど戦争の爪跡の残る多くのものを見た。

海洋博のことはまったく覚えていないが、
これらの記憶はやはり強烈な記憶になっている。

父の話が長くなってしまった。

今回の総理談話の件。

総理談話(首相官邸)

皆様はどう思われたであろうか。

村山元総理などは、自身の談話をまったく引き継いでいない
などといっているが私は、肯定的な評価をしている。

村山談話(外務省)

村山談話と引き比べても、圧倒的に今回のものは長い。

戦地、あるいは侵略対象になった中国、韓国(朝鮮半島)、
東南アジア、その他、また、交戦国であった米英など
への配慮。(戦後の米国を主とする連合国の復興支援に
感謝を述べているのも、少し新鮮であった。)
また、安倍総理自身を含めた自民党右派などへの配慮。

玉虫色の官僚の作文などいう評価もあるが、
この時期の総理談話など、そういうものでなければ
いけなかろう。

私の評価したいのは、前半
「百年以上前の世界には〜日本は、敗戦しました。」
までの部分。

ここで、幕末から第二次大戦敗戦までのことに触れている。

政府として敗戦までの日本近代史を正式にふり返っている
ということになる。

むろん日本近代史を専門にされている先生方からは
様々な異論があろうが、第一次大戦後いかにして
我国は敗戦への道を辿ったのか、なにがいけなかったのか、
に対して、現政府としてある程度総括をしているといって
よろしかろう。

大恐慌から世界経済のブロック化、孤立。
そして武力による解決を試みた、と。

これは大きなことではなかろうか。

私達はあまりにもこのことにふたをしてきすぎた
というのが、以前からの私の持論である。

以前であれば自民党内にも、そもそも戦争は正しかった、
(勝てばよかったんだ)という人もいたのであろう。
戦後70年経って国際社会での孤立を解決する手段としての戦争は
いけなかった、と、きちんと述べていること。

これは評価できる。

ただ、やはりそれ以前の部分「日露戦争は、植民地支配の
もとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」
はよいのだが、じゃあ、その前の日清戦争はどうなのか?、
なんということが疑問になってくる。
(明治の近代化と独立を守ったのはよいとして、、。)

まだまだ、日本人は「明治」を総括できていないといってよろしかろう。

大きくいえば、よくもわるくも今の日本と日本人の
ざっくりした総論を反映していた総理談話なのではなかろうか。

私達は国際社会でどこへ向かっていきたいのか。
どんな国になりたいのか。
国民の総意として、未だはっきりしていない。
それには「明治」を総括する必要があるように私は思うのである。





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