断腸亭料理日記2014
9月20日(土)夜
引き続き、鶏飯(とりめし)。
鶏飯用には笹がき牛蒡(ごぼう)と、生の鶏もも肉を用意。
牛蒡を笹がきにし、水にさらし、あく抜きのため、なん回か水を替え
3〜4時間置いたもの。
また、あらかじめ鶏皮を煮出した出汁に酒としょうゆを加え
研いだ米に水加減をして3時間以上置いたもの。
作り始めたのは、6時頃。
牛蒡は1本を笹がきにしたのだが、米二合に対して、
これすべてをお釜に入れて炊き込んでしまうのは、
いくらなんでも多そうである。
半分より少し少ないくらいの量をお釜に入れ、
鶏もも肉は細かく切って、生のまま。
これで炊き始める。
残った笹がき牛蒡はどうしようか。
!、そうだ。
出汁を取った鶏皮がまだあるので、
これと甘辛く煮て、玉子とじにしよう。
柳川のような感じではある。
ただ、かの「鬼平」の「軍鶏鍋」も玉子ではとじないが
脂の出る鶏皮は必須で、笹がき牛蒡を入れる。
まあ、近いものではあろう。
鍋に鶏皮を入れ、酒、砂糖、しょうゆに水。
笹がき牛蒡を入れて煮る。
牛蒡が煮えたら、玉子を二個ほど溶き入れて
ふたをする。
半熟に固まったら出来上がり
なにか、あまりきれいなミテクレではないが、
まあ、この通りの味、で、うまい。
しかし、ここでちょっと疑問が生まれた。
柳川といえば、むろんドジョウなのであるが、
なぜ柳川は笹がき牛蒡なのか。
ウィキペディアによれば柳川鍋は江戸発祥で、
駒形[どぜう]の創業が文化年間で、これは
丸のままをねぎと煮る、丸鍋。
その後、柳川が生まれたのは幕末も近い、天保の頃という。
九州の柳川が由来という説もあるらしいが、
東京下町人のどぜう好きから考えると、
やはり江戸発祥というのは説得力があるだろう。
しかし、なぜ牛蒡なのかという答えは書いていない。
ここからは私の推理なのだが、どぜうにしても、
軍鶏鍋にしても夏のもの。
鍋料理といえば、今は冬のものだが、
昔は、夏の暑気払い、スタミナ源、だったわけである。
そしてその頃は新牛蒡の出る頃。
これに合わせたのではなかろうか、ということなのである。
と、ここまではなんとなく理解できたのだが、
ここでもう一つ疑問が出てきた。
なにかといえば「軍鶏鍋」の方の笹がき牛蒡である。
池波先生の「鬼平」に出てくる「軍鶏鍋」には
はっきりと笹がき牛蒡と書いてある。
しかし今ある東京下町の軍鶏鍋を看板にしている老舗で
笹がき牛蒡を入れるところは、私の知る限り、ない。
神田須田町の[ぼたん]両国の[ぼうず志ゃも]
どちらも牛蒡ではなく長ねぎ中心。
(人形町[玉ひで]、両国[かど家]も同様のよう。)
ひょっとして、まさか、池波先生の創作、
ということ?。
いや、こういうことに先生は創作はしないような
気がする。
どういうことであろうか。
今日のところは、宿題にしようか。
と、いったところで、鶏飯も炊きあがった。
鶏肉は生のまま入れたのだが、
色味がご飯と差がついて白っぽい。
味をつけてから炊き込んだ方がよかったか。
混ぜ込んで、飯茶碗によそってもみ海苔を散らす。
脂が染み込み、なかなかうまいものができた。
ただ、内儀(かみ)さんはうまいうまいと食べていたが、
若干気になるのは、牛蒡の“あく”。
ほんの少しだが、エグミがある。
牛蒡でもキンピラなどでは濃い味にするので
エグミは気にならない。
しかしそこまでは濃い味ではなく、炊き込みご飯にする場合は
あく抜きは真水ではなく、酢水にした方がよかったかもしれぬ。
以前の鮎飯でもはらわたを取らない鮎でやると
苦味がとても気になったが、炊き込みご飯というのは
デリケートなのかもしれない。
牛蒡の扱いというのは、むずかしいものではある。
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