断腸亭料理日記2014
3月11日。
今日は、やはり、食い物のことを書いている場合ではないだろう。
あれから三年、で、ある。
皆さんはどんなことをお考えであろうか。
早いような、遅いような。
私自身はあの時も今も、東京に住んで、
オフィスは東京なのだが、震災、その後の原発被害とは
仕事上少なからず関係があった。
工場が福島の南相馬市にあり
工場の建っていた場所は海辺であったが、
高台にあったため津波の被害もなく、
幸いにも従業員、家族含め人命には影響はなかった。
ただ、工場があった場所は福島第一原発から10数キロで、
すぐに避難となった。
地元に住んでいた従業員は避難生活を送りながら、会社としては
供給責任のある製品の委託生産に全国の同業他社をまわる。
工場は別立地に再建を目指すことが決まり、
急ピッチで準備を始める。
1年後の4月、新立地で再建工場着工。
そして、震災からちょうど2年後の昨年3月、
再建工場完成。
そしてこの1年、委託に出していた製品の内製準備と立ち上げ、、、。
震災前には100%戻ってはいないが、
いいところまできている、と、感じられるようになってきた。
東京に住みながらではあるが、直接一連のこの仕事に関わった
三年であった。
この震災では、むろん、直接命を失った方、
家族を失った方、住む家を失った方、また、仕事を失った方、
その他、様々な影響を受け、
「人生が変わった」方は膨大な数になろう。
あの日の地震がなければ、今、こんなことにはならかった、と。
私にとっては、仕事人生とすれば、
この震災と原発事故で、大きく変わった。
運、不運、これも運命。
そういうものであろう、と、私はこの状況に置かれた自分については
思うことに決めた。
そう決めたが、よかったのか、わるかったのか。
半分のぞみ、半分はやらされたこの仕事の、この三年、
心身ともに楽なことは少なかったが、
それでも今考えると、
やはり、よかったのではないか、と思う。
ゼロ、いやマイナスからの
スタートにはプラスしかない。
自分にとっても、新しい仕事で、
今でもそうだが、迷い、悩みながらの毎日。
それでも、この局面に、最初から、
この現場で立ち会えたのは、
仕事人生としては有意義であったように思うのである。
誰もやりたいとは思わなかろうが、
望んでも、できる仕事ではない。
同じ仕事を繰り返す、というのは、
どうも、私は苦手で、逆境ではあるが、
人とは違う経験ができたことは私にとってはマイナスではなかった
と思うのである。
しかし、むろん、こんなことを言っていられるのは、
基本的な生活は変わらず、
仕事としてお金をもらってやっていたからであるのは
間違いない。
今の同僚の多くは、もともと、工場のあった南相馬付近に住み、
あるいは生まれ育ち、あるいは先祖代々住んでお百姓や
漁師をしてきたのだが、その地を理不尽に追われている。
ただ、まだこうして仕事が続き、
再建されたのは、幸せな方かも知れない。
仕事も家もなくなり、いまだに、
仮設暮らしの方々もある。
運命といってしまえばそれっきりだが、
それでも、人というのは、元来、不平等なものであることは
間違いないのである。
地震があって、人生が変わってしまったことは、
ある意味、致し方ないこと。
運命を呪って、恨んで日々を送っても、誰のためにもならない。
ただ、原発によるものは人災であり、この限りではなく、
暮らしの補償や生活の再建は、東電、国や行政の責任で、
最大限の支援を続けなくてはいけない。
しかし、天は自ら助くるものを助く、ともいう。
自助努力もまた、必要であると、一方で、今、思うのも事実である。
辛いが、前向きに。
この状況に放り込まれた、
三年前当時であればこんなことは、
思えなかったのかもしれぬが、、、。
明けない夜はない、というではないか。
マイナスからのスタートには
プラスしかない。
個人的な感想ではあるが、
あれから三年たって、今日、そう思う。
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