断腸亭料理日記2014

鮨・新ばし・しみづ その1

(江戸前鮨考)

3月9日(日)夜

さて。

日曜日。

このところウイークエンドになにを食べるか、
内儀(かみ)さんのリクエストに応えていたが
今日は私が決めた。

久しぶりに新橋の鮨や[しみづ]
まあ、東京でも有名店と言ってよかろう。

今、私が決めて通っている鮨や。

東京の、上位クラスの鮨やは、むろん安いものではなく、
そうそう行けるものでもないが、この年齢になってくると
自分の好みが決まってきたので、いろいろな店を歩く必要がなくなった。

また、鮨やというのは、そこの親方とのコミュニケーションが
取れているかどうか、というのがとても大切である。
にぎる鮨はもちろん、親方のキャラクター、考え、店の雰囲気、
居心地など含めて、自分に合っているか、で、ある。
そういう意味で、今[しみづ]が私にはピッタリときている。

もっとも、あちらこちらと浮気をするのではなく、ここぞと
決めたら通う、というのが、やはり、本来正しいのであろう。

そう。
余談だが、東京の鮨やの場合、店主は“大将”ではなく
“親方”と呼ぶのが正しい。私も以前は気が付かなかったが
本来、大将は東京では使わない。関西の言葉であろう。
江戸落語を聞いていてもそうなのだが、江戸・東京の
職人の世界での師匠というのか、親分というのか、お頭、
店であれば店主、は基本すべて、昔から親方である。

例外は、大工。大工は棟梁。江戸弁風に訛るなら、トウリュウ。
左官(これも江戸弁ではシャカンと訛る)も親方、床屋も親方で、
鮨やも親方というわけである。(相撲部屋も親方だが、この流れ、
で、あろうか。)

ともあれ。

[しみづ]は、最近では立ち喰いの店に行ったが柳橋の[美家古鮨]
系統といってよいのであろう。

柳橋[美家古鮨]→神田[鶴八]→新橋[鶴八]→
新橋[しみづ]となる。

この前も書いたが柳橋[美家古]は創業が江戸までさかのぼれる
東京でも数少ない系統である。

むろん、ただ歴史が古いだけではなく、やはりポリシーが
はっきりしているのがよい。

これには柳橋[美家古鮨]の先代親方の影響が大きいようである。
(このあたり、神田[鶴八]の先代親方の著作に詳しい。

この本、以前の東京の鮨やの雰囲気が知れて、読み物としても
おもしろい。)

江戸前仕事で、守るべきものは守るというのであろうか。
やはり[美家古鮨]の系統は、どこもこのあたりがしっかりしている。

[しみづ]にたどり着く前に、例によって、ゴタクが長くなって恐縮である。

和食がユネスコ無形文化遺産になったことであるし、江戸前鮨は
江戸・東京発祥で世界に広まっている、日本が誇るべき食文化である。
今日は改めて、私が考える江戸前鮨を、少し書いておきたい。

もうしばらくのお付き合いを。

さて、江戸前鮨。

江戸前鮨を特徴付けているのは、なんといっても独特な下拵え、
いうところの“仕事”で、あろう。

今は冷凍、冷蔵の設備とこれらを駆使した、魚介類のサプライチェーンが
世界中に張り巡らされている。
しかし、これは、たかだか戦後のことである。

つまり、それ以前は生の鮮魚というのは、獲れた日、
せいぜい翌日までに食べてしまわなければならなかった
わけである。
これを少しでも長く保たせる工夫が、江戸前仕事といってよかろう。

ゆでる、煮る、酢で〆る、しょうゆのつゆに漬ける、などである。

実際の種では、海老(ゆでる)、煮蛤(煮る)、〆鯖(酢で〆る)、
まぐろのづけ(つゆに漬ける)、といった具合。

また、細かいことだか、鯵などの光ものや貝類も生でにぎらず、
酢洗いといって、一度酢を潜らせてからにぎっていた。

にぎる種をいわば完全に生の状態でにぎることは
ほとんどなかったのである。

にぎりの鮨は文政年間、1820年台に江戸で生まれた
とされている。

ここから戦後までは125〜130年。
戦後から今までは70年。

まだ、冷蔵設備なしの期間の方が長いのである。

130年程度の間に、江戸前仕事というのはある程度完成されており、
その後に冷蔵設備が出てきて、生でにぎれるようになった。

結局、どうしたら一番うまいにぎりずしなのか、
ということなのである。

江戸前至上主義というのか、なんでもかんでも、
昔のままやっているのがよいのかというと、私は
そうではないと思うのである。

また、逆に、古い江戸前スタイルのにぎり鮨が
すべてダメかといえば、それも違うと思うのである。
(判りやすい例だと、小肌などは酢〆意外にはない。)

130年工夫をしてきた技を冷蔵設備ありで
最もうまいにぎりずしにするにはどうしたらよいのか、
ということを、鮨職人は懸命に努力する、
これが正しい姿であろう。

また、それをしているのが数寄屋橋の二郎氏なのか、
銀座八丁目の水谷氏なのか、、一流のにぎりずし職人
なのだと思うのである。

で、長々と書いてきてしまったが[しみづ]もそういう
伝統は伝統で守り、最もうまいにぎり鮨を目指して、
新しい試みもしている、鮨職人の一人であろうと、思っている。

と、いうことで、予約は6時半。

例よって着物に着かえて、6時頃出て、銀座線で新橋まで出る。

烏森神社の前を左に曲がって次の細い路地を右。
[しみづ]は左側。

間口は1間、1間半、二間はなかろう。
格子を開けて入り、名乗って、ご主人に会釈。

 

と、いうことで、今日はここまで。
明日につづく。

 

 


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