断腸亭料理日記2012

池之端・おでん・多古久 その1

10月28日(日)夜

引き続き、池之端仲町通りのおでんや、多古久(たこきゅう)

前回は一番乗りで、店に入り、カウンターに座り、
ビールを頼んだところまで。

おでんは、先に内儀(かみ)さんに頼ませて、
私は、がんも、ちくわぶ、つみれ。

実は、この、内儀さんに先に頼ませる、というのは、
あとでポイントになってくる。

鉤(かぎ)の字のカウンターのちょうど
角の部分、内側に銅の大きな鍋がある。

この鍋の前にはお年を召したおかあさんがいつも座っており、
このおかあさんがおでんを取ってくれたり、お燗をつけたり
してくれる。

多古久はこの界隈が、下谷花柳界として栄えていた、
大正初期に店をあけている。

年配のおかあさんは、90歳近いか、越えられているか、
おそらく、二代目か、三代目さんなのであろう。
おかあさんをみていると、どうもその頃の花街の雰囲気を
感じるのである。

で、いつもこへくると、このおかあさんに、
私は、説教をされる、のである。

いろいろあるが、多くは、こういうこと。
カウンターに座ると、私などは、真っ先に
おでんを頼んでしまう。そうすると、おかあさんは、

「あんたね。女性が一緒の場合は、女性に先に
頼ませるのが、男のマナーよ!」、と。

これ、いかにも花柳界で遊んだ旦那がしそうな
ことのように思われた、のである。

だがまあ、いつも、私はこのお説教を忘れて、くるたびに、
同じことをして、同じようにお説教を食らっていた、
のである。

で、今日はそれを思い出し、内儀さんに先に頼ませた、
のである。

しかしまあ、慣れないことをするものではない。

実は、おでんやで、最初に頼むものは私決めているのだが、
今日は、あわくって、それを間違えてしまった。

頼んだのは『がんも、ちくわぶ、つみれ』と先に書いた。
ちくわぶとつみれ、は、よいのだが、最初は、がんも、
ではなく、すじ、でなければいけなかったのである。

おでんやでなにを最初に頼むのか。
まあ、普通は好きなものを皆、頼むであろう。

『すじ、ちくわぶ、つみれ』は私の好きなもの、でもあるが、
つみれは別だが、他の二品は、東京だけのおでん種。
東京人としては、やはり、この“東京だけ”に敬意を表さねば
ならないだろう、という意味を込めて、決めているのであった。

ご託が長くなってしまった。


がんも、ちくわぶ、つみれ。

白い土鍋に入れられて、出てくる。

がんもも、むろん大好き、では、ある。
いや、もしかすると、おでん種の中で、最も好きなものの
一つ、かもしれないくらい。
大きくて、味が染みて、ばかうま。

ん?

このへんで、気が付いた。

なにかといえば、おでん鍋の前のおかあさん、
似ているが、これ、娘さんの方だ。

どう見ても、お若い。

今日は、お休みかな?。

内儀さんが塩辛を頼む。


前からこのビールグラスであったか、赤い、たこの絵がかわいい。

次は、忘れずに、すじ、それから、焼豆腐。


すじ、というのは、子供の頃からの好物。

コリコリした食感がよい。

すじをよく見ると、小さくきざまれているが、軟骨のようなものが、
入っている。
聞けば、すじは鮫(さめ)のすり身のようで、
このコリコリした食感は、鮫の軟骨のよう。

私など、最近までこれが東京だけのものとは、知らなかった。

さて、さっきから、目の前のおでん鍋を見ながら、
気になっていたのが、ねぎまの串。

ねぎま、というのは焼鳥と思われる方もおられようが、
『ま』は、まぐろのこと。つまり、ねぎとまぐろ。

これは、お多幸にもあったと思うが、やはり東京の
おでんやならではの種、であろう。

本来のねぎまは、鍋。

今はほとんど食いものやのメニューとしては
東京では、ほぼ消滅してしまったが、その昔、東京では
安居酒屋などで多く出されていた、庶民の料理。

今、まぐろというのは、鮨やでも目玉で
近海の生の大トロなどは、目玉の飛び出る値段。

しかし、これはご存知のように、昔からのことではなく、
おそらく大正時代頃から。その昔、まぐろなどの赤身の魚は
下魚とされ、特は脂身まったくかえりみられなかった。

従って、ねぎとともにしょうゆで煮た鍋になり、
庶民の腹におさまった。

そのねぎと、まぐろの脂身を串に刺して
おでんのしょうゆの濃いつゆで煮たものが
おでんの種になっている。


やわらかくって、ばかうま。



と、いったところで、今日はここまで。

つづきはまた明日。



台東区上野2−11−8 長谷川ビル1F
電話:03-3831-5088



 



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