断腸亭料理日記2012

東京駅〜丸の内 その3

10月28日(日)

大正、昭和、戦後の丸の内の歴史は、大枠、三菱グループ
あるいは、三菱地所のビル建設の歴史、と、いってよい
のであろう。

東京駅正面の丸ビルこと、丸ノ内ビルヂングが1923年(大正12年)、竣工。
そして、対面(といめん)の新丸ビルは計画はあったらしいが、戦争激化で延期され
戦後1952年(昭和27年)にできている。

丸の内のビルは、三菱以外でもそう多くはないが、あるにはある。
最も有名なのは、東京駅正面から見て左手にあった
東京中央郵便局、で、あろう。
これは、かの、鳩山邦夫氏が総務大臣であったころ、
再開発にマッタをかけた、あの建物、で、ある。
東京中央郵便局の旧局舎ビルは、1933年(昭和8年)竣工で、
やはり戦前のもの。

私もなぜかはわからぬが、この郵便局を利用した記憶があった。
(おそらく通りがかりに便利なので入ったのであろう。)
日本を代表する近代建築であったというが、個人的には、
そこまですばらしいものという記憶はあまりない。
まあ、郵便局などどこも似たり寄ったりであろうが、
1階の窓口などは、雑然としたものであった。

今は、鳩山先生のお蔭もあるのか、旧局舎ビル部分を
多少残し、JPタワーという名前で、38階建てのビルに
なっている。

こんな例外もあるが、その後の敗戦、そして日本の戦後復興、
高度経済成長とともに、三菱グループ≒(ニアリーイコール)丸の内の街も
歩んできたといってよかろう。

そんな中でも記憶に残っているのは、
1974年(昭和49年)の当時の過激派による三菱重工ビル
爆破事件、で、あろう。

今から考えると、派手なことをやったもんだと思うが、
私など、小学校高学年であったか、小学生時代は浅間山荘やら
クアラルンプールやら、過激派のテロ事件がパラパラとあり、
子供心には、そんなものの一つがあった、程度の認識ではなかったか。
(三菱も丸の内も自分の生活圏の外であったから、こんなもの、で、ある。
今でも、縁のなさは、まああまり変わっていないかもしれぬが。)

そして、ここ数年、丸ビル、新丸ビルそして今触れた
中央郵便局などなど、丸の内界隈のほとんどのビルが再開発され、
飲食モールや、今日、私が行こうとしている、ブルックス
ブラサーズをはじめ、各種ブランドショップも誘致され、
無味乾燥な三菱村オフィス街もだいぶイメージが変わってきた、
と、いってよいのであろう。
(ただまあ、個人的には、仕事や今日のように、どうしても
ここでなければ買えないものがある時以外には、わざわざ
ぶらぶらしにくることはまずない。
食いものやにしても、基本はどこかの出店であるし、
くる意味はまあ、ほとんどない。)

この街で私が思うのは、どうしても、三菱さんはこれから
どこへいくのであろうか、ということになっきてしまう。

ここまで見てきた、丸の内の歴史だけでも、ある意味、
日本の明治以降の歴史を体現しているといってよい。

三菱は、明治政府の政商として商売を始め、核となってきたのは、
商事、重工、なのか。
特に戦後についていえば、貿易と科学技術立国、資源のない日本という国の発展に
三菱が寄与してきたことは間違いはなかろうし、彼ら自身も
自分達がこの国を引っ張ってきた、という自覚というのか、
自負というのか、プライドを持っているのだろう。
(しかしまあ、仕事で会うこの人々は、
むろん人によるが、基本的には態度がデカイこと、デカイこと。)

2012年、パナソニック、ソニー、シャープ、電機の一角は
悩める毎日。トヨタさんはそこそこ健闘中だが、
日本国全体とすれば、やはり、コレ、という方向が見出せず、
暗雲に包まれているといってよかろう。

三菱さん、ここいらで、もう一回、本気を出して
この国を引っ張っていってもらえまいか。
(ある程度本気で。)

ともあれ、丸の内を語る、ということは、
三菱を語る、ということになってしまう。
お許しを。

ブルックスでスーツを買って、
丸ビル前に戻る。

出ると、また、雨が降り出した。

雨の東京駅。


ライトアップさえ、それなりに、きれい。

南口から東京駅に入る。
十二支のレリーフが再現されているというので、
このホールも見物人が多数。

山手線に乗って、神田。神田から銀座線に乗り換えて
上野広小路まで、戻ってきた。

目的地は、池之端仲町通りのおでんや多古久

寒くなると、やっぱり、おでん。

それもしょうゆの強い、純東京下町風となると、
お多幸か、ここ。
おでんといえば、しょうゆが濃いこれ!、で、ある。
ここは日曜もやっている。

6時開店のはずだが、10分前に着いてしまった。
暖簾は出ている。ちょうど、手伝い風の小母さんが出てきて、
さ、どうぞ、と。

入ると、一番乗り。

カウンター手前、一番端っこから、座る。

寒いが、一杯目はビール。

 


と、いったところで、入ったところだが、長くなるので、今週はここまで。
多古久のつづきは、また、来週。


 



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