断腸亭料理日記2012
11月15日(木)
引き続き、甲賀。
甲賀駅、というのは、昨日書いたが、
大原市場というところにある。
しかし、甲賀の中心は、どちらかといえば、
二駅前の甲南というところであることが、
帰宅後調べてみてわかった。
より大きな地図で 断腸亭料理日記・甲賀・伊賀・宇治 を表示
甲賀五十三家の筆頭であった望月家の元禄時代の屋敷が
「甲賀流忍術屋敷」として公開されているのも、甲南駅に近い、
甲賀市甲南町竜法師、というところにある。
また、池波作品に多く登場する、甲賀忍者の修行の場、
飯道山(はんどうざん)は木生川駅の西の山。
山中大和守を棟梁とする、山中忍びの本拠、
柏木郷は旧水口宿の西北、すぐ近くに、
それらしき地名が見える。
また、杉谷忍びなどという名前で池波作品
(『忍びの女』など)に出てくるが、杉谷という地名も
甲南駅の南西、「甲賀流忍術屋敷」の西に見つけられる。
(信長を狙撃しようとして善住坊、なんという名前も
思い出される。)
野洲川と杣川の合流点の比較的平地の広いところから
杣川に沿った谷にかけて。このあたりが
甲賀の中心であった、ということなのかもしれない。
甲賀、と、いう地域は私が思っていた印象よりも狭い。
どのくらいであろうか、木生川駅あたりから、
甲南、甲賀、次の駅あたりまで、五つほど。
さほど広くないところで、山も低い里。
ここに五十を超えるそれぞれの甲賀武士棟梁の家を中心にした集落が、
さほど離れず、おそらく隣の集落がはっきりと見えるくらいの
距離感で、点在していたといってよさそうである。
なんとなく、もっと山深い、隣の集落は
山影で見えないような、そんなところをしていた。
これは、文字通り、里、という言葉があっていそう。
これほどの狭い地域であるから、思ったほど
甲賀忍び、と、いうのは、人数はいなかった
のではなかろうか。
(おそらく、ある程度史料の類はありそうであるが。)
女、子供、あるいは、食糧や武器類、火薬の類を作るなどなど
裏方で支える人々が、忍びの活動には必要であったろうし。
実際に外へ出て働く忍びは、各家を総合計しても、
100人、200人、いいところそのくらいだったのではなかろうか。
また、戦国も末期になると、それぞれの家が
それぞれの思惑で動いていたと、池波先生も書かれているし、
史実としてもそのようだが、これほど狭いところで
立場が違ってくると、随分と微妙なことになっていた、
そんなことも、想像される。
さて。
甲賀駅から次は京都府の宇治、17時の予定。
甲賀から宇治まで、乗換案内で検索すると、
ルートは二通り。
来た道を戻り、京都駅から、奈良線。
もう一つは、このまま草津線に乗って、
柘植(つげ)に出て、ここから関西線で、
伊賀上野、木津。木津から奈良線で北上。
むろん、距離的には京都まわりの方が圧倒的に近いが、
接続の関係か、関西線経由の方が早い、と、出た。
(どちらにしても、5時には余裕があるが。)
そこで、次の下り電車に乗り柘植、に、向かう。
このルートは甲賀から伊賀と、忍者の里を二つ経由する、
ということになる。
柘植からは三重県に入り、いわゆる甲賀地方は
ここまで、と、いうことになろう。
柘植駅についたら、びっくり。
関西線は、ディーゼルの一両編成。
一応、大阪と奈良、名古屋を結ぶ本線のはずだが、
草津線よりもローカル度は高い、のか。
ディーゼル音とともに、柘植駅発車。
むろん、これも、各駅停車で、柘植から伊賀上野までは
15分ほど。
視界が開け、伊賀盆地、と、いうのであろうか、
に、入っていく。
伊賀は、甲賀と違って、いかにも広い。
そうである。
以前は、伊賀で一国であったくらいである。
地図を見ていただくとわかるが、きれいに
四方を山に囲まれている。
山の高さを見ると、今きた、甲賀との境よりも
奈良方面との境の方が急峻。
甲賀と伊賀(柘植)の間には目立った峠のようなものは
ないと、いってよいように見える。
(ただし、川の流れは、甲賀の谷筋は杣川で琵琶湖に流れ、
柘植からは木津川の流れになっており、確かに分水嶺では
あるよう。)
奈良方面に出るよりは、甲賀の方が行き来はしやすい。
こういったことも、甲賀と伊賀の忍びとして
生きてきた共通性というのか、文化的な類似性が
あった、のかもしれない。
伊賀上野の駅も、長閑(のどか)な田舎駅の趣。
伊賀盆地から木津川が急峻な渓谷となって、
流れている。これが伊賀盆地からの出口で、
関西線もこの木津川沿いを通る。
紅葉もきれい。
伊賀上野から30分弱、急峻な渓谷の途中。
笠置、という駅についた。
この駅の案内地図を見るとはなしに、見ていると、
おもしろいものを見つけた。
徒歩60分で、柳生の里、と。
そう、あの、徳川の剣術指南となった、
柳生家、但馬守、十兵衛、などで有名な柳生の里、
ある。
様々な時代小説で描かれているが『真田太平記』
でいえば、鈴木右近が剣術の教えを受けるのが、
この柳生五郎衛門と石舟斎で、あった。
木津川、というのは、伊賀盆地からくねくねと
うねった渓谷、ではあるが、ほぼ真西に流れており、
この笠置、というところから、山越に細い渓谷をさらに南へ
さかのぼったところが柳生の里、の、よう。
ほー、こんな位置関係にあったのか、
という感慨、が、ある。
さて。
一両のローカル列車で加茂に到着。
柘植からはちょうど、1時間ほど。
加茂から木津へ一駅。
木津からは奈良線に乗換、宇治到着、
4時半。
もう日も暮れて、寒い。
甲賀も寒かったが、こちらも寒い。
宇治はお茶だし、ご存知の平等院鳳凰堂、も、ある。
ちょっと覗きたいが、むろん、そんな時間はない。
宇治の取引先で商談を済ませ、
7時すぎ、やっとこさ、京都駅に戻ってきた。
長い旅であった。
のぞみに乗って柿の葉ずしとビール、もよいが、
今日は、15分ほど時間があったので、構内の松葉で、
京都名物のにしんそば。
温かくで、うまい。
長い旅ではあったが、甲賀、伊賀、そして
柳生をかすめ、宇治から京都。
戦国の頃、歴史の表舞台ではないが、
興味深い役割を果たしたであろう、地域。
なんとなく、位置関係が身体でのみ込めた。
こんなことでもなければ、体験できなかったこと、
ではあったろう。ありがたい。
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