断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き7月

その3


7月16日(土)

引き続き、7月の『講座』。

昨日は、小名木川、万年橋の
広重、北斎の浮世絵のことなど。




万年橋の南詰から橋を渡る。

地図をご覧になればわかるが、万年橋というのは、
小名木川が、隅田川に出る最後の橋。

絵の通り、隅田川の向こう河岸、浜町が見える。
今、むろん浜町といっても、なにか特別なものが
見えるわけではない。
一つだけ、あげるとすれば、マンションやら、オフィスビル
の向こうに、明治座のビルが見えるくらい。

そして、左手。

隅田川に架かっている、青いペンキで塗られた鉄の吊り橋が、
見える。

これは、清洲橋。
なかなか、美しい。

小名木川も三十間と川幅が広いが、この水面と
隅田川の水面と合わせて、随分と広く見える。

さて。
清洲橋。

元浅草に住む私などは、清洲橋通りが近所を
通っており、名前はとても馴染み深いが、橋自体は
実際には、車でも渡ったことはないかもしれない。

昭和3年震災復興事業として架橋。
(現在の万年橋も同時期、昭和5年。)

そう。
なにか、古そうな名前だが、実は、震災後、
なのである。

「清洲」という名称は、愛知県の清洲ではなく、
当時、公募により、両岸である深川区清住町と
日本橋区中洲町から採られた、という。

一つ下流の永代橋と対になるようにデザインされたといい、
当時の復興局の資料には「永代橋は隅田川河口の大橋、
この橋が太古の恐竜のように、大川を爬行して渡るのに
対して、その上流の清洲橋は優しい吊橋の姿を水に映し、
そのよきコントラストが都市美に抑揚を与えるように計
画した」という。重要文化財。

ちなみに、清洲橋以外に、隅田川の橋では勝鬨橋、
永代橋が、重文指定。

万年橋を渡り、北詰。
ここには、川番所跡の案内板。

万年橋の北側に置かれ、先々月の御船手方の管轄。
小名木川を行き交う船の、主として荷を検査していた。

さて。

もう一つ、この橋にちなんだ江戸期のエピソードを一つ。

なにかといえば、赤穂浪士、泉岳寺までの経路、で、ある。

ご存知、本所松坂町の吉良邸から、回向院前、東両国広小路、
一つ目河岸、万年橋、永代橋、鉄砲洲旧藩邸前、
汐留、日比谷、芝口、泉岳寺。と、ここを通っている。

回向院まできているのだから、両国橋を渡れば
よさそうなものなのだが、本所、深川を抜けて、
永代橋を渡っているのが、不思議である。

このわけは、やはり、日本橋など、江戸の中心部を通るのを憚った、
ということである。

さて。

池波正太郎と下町歩き、で、ある。
ここは、池波作品に触れなければ、どうしてもいけなかろう。

実は、鬼平だけであるが、万年橋が作中に登場するものを
捜してみたのである。

39 話「剣客」(万年橋)、47 話「掻堀のおけい」(御舟蔵)、

61 話「浅草鳥越橋」(万年橋)、71 話「男色一本饂飩」(万年橋南詰)、

92 話「尻毛の長右衛門」(深川海辺大工町・万年橋南詰・釣道具屋、

利根屋八蔵方)、98 話「特別長編・雲龍剣」(万年橋)、

107 話「馴馬の三蔵」(深川海辺大工町・船宿三好屋)、

108 話「蛇苺」(万年橋)。

このタイトルをご覧になって、どんな話か、お分かりになる方は、
そうとうな、鬼平マニアであろう。

「尻毛の長右衛門」などが、万年橋の使われ方として、
一番それらしい、かもしれない。

この釣道具屋は、尻毛の長右衛門の、いわゆる、盗人宿、
で、ある。

以前から実は、そうではないか、と、思って、
拾ってみたのだが、この登場回数は、他を実際に数えたわけではないので、
あまり断定的なことはいえないが、おそらく
江戸の他の橋の中でも、群を抜いているのではなかろうか。

もちろん、両国橋やら、吾妻橋など、隅田川に架かる主だった橋は除いてだが、
万年橋は、浮世絵に架かれるほど、風光明媚な橋ではあっても、
そうそう、誰もが、通るところではないと思われる。

また、近く、森下の北は、すぐに本所で、弥勒寺があり、
その北隣は、竪川に架かる、二つ目橋。

本所二つ目と、くれば、いわずと知れた、軍鶏鍋や五鉄、であり、
鬼平の中では、清水門外の火附盗賊改方役宅の
次に、多く登場するところだろう。

しかし、上にあげた話が必ずしも、五鉄のそばだから
万年橋を登場させている話ばかりではない。

万年橋という名前もよいし、また、このあたり、
いかにも、なにか事件が起きそうなところ、というのだろうか。

深川という土地。
大川(隅田川)、と、深川の掘割、小名木川の合流点。
その間に架けられた、橋。

日本橋ばかりが、江戸らしい橋ではむろんなく、
この深川万年橋は、池波正太郎が選んだ、いかにも
江戸らしい橋、である、と。
まあ、そんな言い方ができるのかもしれない。

といったところで、
続きはまた明日。




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