断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き7月

その2


7月16日(土)

引き続き、7月の『講座』。

昨日は、江戸の深川、小名木川について。




江戸期を通して、小名木川は江戸への水運の
大動脈の一つとして、大活躍していたようである。

その後、明治に入り、小名木川の水運は、
益々活用されるようになっていった。

当時はまだ、鉄道も、むろん自動車も発達しておらず、
物流といえば、船、というのが、主流であったのである。

蒸気船が登場し、行徳、松戸、野田方面の定期航路も
生まれている。



これは、明治13年、小林清親の「五本松雨月」という
版画、で、ある。
作者の小林清親というのは、最後の浮世絵師といっても
よいのだろう。なかなか味のある作品をたくさん残している。
(私の住む元浅草にある了源寺という
お寺さんに墓があるので、私にはことさら、親近感がある。)

この絵は、小名木川の現代の猿江付近。
江戸の頃から、五本松といって、松が名物の
場所であったところ。

夜景だが、外輪船というのであろうか、こういう
蒸気船が、小名木川を通る定期船として使われていた
ようである。

また、時代としては、もう少し下ると、
ポンポン蒸気が現れている。
これは、隅田川などでも、親しまれていたが、
やはり定期航路で、今でいう、水上バスのようなもの。
比較的こまかく船着き場を泊まりながら、
各地へ向かっていた。

そして、この停留所、というのか、始発桟橋は、
高橋にあったそうである。

永井荷風先生の『放水路』にはこんな一節がある。

『大正九年の秋であった。一日(いちじつ)深川の高橋から

行徳(ぎょうとく)へ通う小さな汚い乗合(のりあい)の

モーター船に乗って、浦安(うらやす)の海村に遊んだことがある。』

ポンポン船ではないようだが、ズバリ、高橋からの
船、で、ある。

そうそう。

高橋といえば、どぜうの伊せ喜のことにも
触れておかねば。

東京下町のどぜうや、といえば、駒形どぜうか、
やはり、この店、で、あろう。
池波先生も書かれている。

高橋を北へ渡った、清澄通り沿い、右側にある。
が、下見にきてみると、休業中。
(改装という。)

なかなか、味のある店であったが、是非続けて
いただきたいものである。

さて、こんな話を高橋の南詰から、
小名木川の南河岸に植わっている桜の木陰で
聞いていただき、隅田川方向へ向かって、歩き始める。

本当は、北河岸を歩こうと、考えていたのだが、
北河岸は、南向きで、カンカン照り。
南河岸を歩くことにしたのである。

河岸の歩道を歩いていくと、水門があり、
歩道は終わる。

上がって、路地を歩く。
と、右側に、尾車部屋、高田川部屋とほぼ並んで、
二つの相撲部屋。

今は、名古屋の場所中。
鉄筋コンクリートの部屋の建物は、
どちらもシーンとしている。

日陰を選んで、歩く。

と、すぐに、万年橋の南詰に出る。

二枚の有名な浮世絵を出しておこう。





上は、北斎の富嶽三十六景『深川萬年橋下』。
下は、広重の江戸百景『深川萬年橋』。

この二作は、皆さんもどこかで一度くらいは、
見た覚えはあるかもしれぬ。

時代からいえば、北斎の方が、先。
富嶽三十六景は文政から、天保。

広重は、幕末。
江戸百景は、なん度か書いているが、安政の頃。
(1855年(安政2年)安政江戸地震の直後である。
推定マグニチュード7.3という大地震で江戸は、
大きな被害が出たのだが、その被害を描くのではなく、
きれいだった江戸の町々を描くことで、復旧、復興に
願いをかけた。いわば、がんばろう江戸!という
メッセージがあったのでは、と、いう。)

ともあれ。

北斎は、小名木川から、真っ直ぐに万年橋、
向こう側に隅田川、さらに、隅田川の向こう河岸、
浜町あたり。
さらに、その遠景に、主題の富士山。

広重は、同じように遠景に富士を描きつつも、
手前に橋の欄干と、桶の柄に吊り下げられた、
亀のクローズアップ。

広重の亀は、亀は万年で、万年橋にかけているのと、
当時、川に放すために、売られていた、亀。

川に放す、というのは、いわゆる、放生会、だが、
落語にも後生鰻などという、噺がある。
当時は、個人でも、功徳のために、生き物を放す
習慣があり、そのために、橋の袂などでは、
こうして亀などを売っていたのである。


長くなった。

今日は、このへんで。

また明日。



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