断腸亭料理日記2011
7月16日(土)
引き続き、7月の『講座』。
昨日は、深川万年橋にまつわるあれこれ。。
万年橋を渡って、すぐを左に曲がる。
左に曲がって、すぐ、右側に小さなお稲荷さんがある。
これは、芭蕉稲荷。
芭蕉とは、むろん、俳句の松尾芭蕉である。
今回、私は、池波作品に登場する
深川をイメージして、書いてきている。
しかし、今、一般には、江東区のこのあたりは、
芭蕉関連の史跡、記念館などなど、たくさんあり、
俳句愛好者の方々で、盛況なところ、と、いってよい。
芭蕉は、時代とすれば、元禄の頃で、
鬼平、剣客などの、一連の池波作品の時代よりも、
前の人である。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、
日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、
海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、
そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、
取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、
三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかゝりて、住る方は人に譲り、
杉風が別墅に移るに 草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
長々と、引用してしまったが、ご存知の、奥の細道の
冒頭部分、で、ある。
余談だが。
私の中学生だか、高校生の頃であろうか、
枕草子だったり、徒然草だったり、この種の
超有名古典は、冒頭部分を、軒並み丸暗記したものであった。
春はあけぼの・・・(枕草子)
いずれの御時か・・・(源氏物語)
徒然なるままに・・・(徒然草)
祇園精舎の鐘の音・・・(平家物語)
山路を登りながら、こう考えた・・・(草枕・漱石)
むろん、試験や受験のためもあったが、
元来、私はこういうものを、覚えるのが、
どうも、好きであったようである。
そして、音読、暗誦(あんしょう)する。
今でも、『月日は〜』で始まる、奥の細道の
冒頭部分は、声に出して読んでみたくなる。
私の落語好き、それも自分で演じてみたくなる、
というのも、そういうところからきているのかもしれない。
じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ・・・(寿限無)
わてなぁ、中橋の加賀屋佐吉方から参じました・・・(錦明竹)
なにおぅ、あったりめえじゃねえか、目も鼻も口もねえ、
のっぺらぼうみてえな野郎だからだから丸太ん棒、っつたんだ・・(大工調べ)
落語では、この種の早口言葉のようなものを、
言い立て、と、いう。(大工調べは、啖呵といった方がよいか。)
わけもわからず覚えても、覚えて口に出しているうちに、
その昔の日本語が身体に入ってきて、馴染むようになる。
または、芝居のセリフ。
赤城の山も今宵限り・・・
これは、ご存知、国定忠治だが、これなども小学生の頃、
リズムが気に入ったのか、好きになり、覚えたものである。
それから、歌舞伎、特に河竹黙阿弥のもの。
がきの頃から手癖が悪く・・・
月も朧に白魚の・・・
脱線してしまった。
まあ、私の場合、奥の細道も、そちら方向で、俳句を捻ろう、
なんという方向には、とんといかない。
落語に、雑俳、なんという、八五郎がご隠居を相手に、
俳句を徹底的にちゃかす噺があるが、どうもこちらの方が、
性に合っている。
ともあれ。
話を戻そう。
芭蕉稲荷。
江戸の地図のこのあたり。紀州藩の屋敷で、そこに
芭蕉庵の古跡この中にあり、などと書かれているが、
この場所である。
芭蕉の奥の細道への旅立ちは、この庵(いおり)から
始まっている。
このお稲荷さんの由来は、なんでも大正の頃。
津波(大正6年の高潮のことなのだが、深川では
津波、といっているよう)があり水につかり、
そのときに、石の蛙が発見され、芭蕉愛用のものでは、
というので、記念に、ここにお稲荷さんを町内で
建てた、ということである。
(今、この石蛙は、芭蕉記念館に展示されている。)
芭蕉稲荷から、さらに、隅田川方向に歩くと、
すぐ左に、また、小さなお稲荷さんがある。
これは、正(柾)木稲荷という。
上の地図にもきちんと書かれている通り、
歴史は、こちらは、江戸にさかのぼる。
由来書きによれば、
〜境内には柾木の大木があり隅田川から小名木川に入る船の
目印になっていたという。子供が柾木の実を丸めてピーピー鳴らし、
あるいは実が腫れ物によくきいたともいわれている。
祈願には蕎麦を断ち、全快すれば蕎麦を奉納する信仰があった。〜
とのこと。
鬼平にもこのお稲荷さんは登場してはいる。
柾木というのは、私の子供の頃には、確か、家の生垣に使っていた
記憶がある。秋に赤い実が生る、常緑樹だが、生垣にするぐらいで
そう大きな木は見たことがない。
やはり、大きなものは、名物になったのであろう。
といったところで、続きはまた来週。
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