断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 8月 その1

8月20日(土)

私は、ほんとうに、晴れ男、
の、ようである。

先週までは、東京は、酷暑が、
続いており、書いた通り
日曜日、コースの下見に歩いてみたら、私自身が危うく、
熱中症になりかけたくらいであった。

このため、暑さ、を、心配していたのだが、
金曜日は雨、そして、急に、涼しくなった。

土曜日も雨を心配していたのだが、
昼間は曇り。
気温も東京地方の最高気温は25℃で、
歩くには、絶好のコンディションになった。

昨年4月、この『講座』を始めてから
実のところ、一度も雨が降っていない。
晴れ男はともかく、非雨男、で、あることは、
間違いないだろう。

よかった、よかった。

さて。

今回は、上野の山。

本来は、3月に予定していたコース。
それが、震災直後で中止になり、その
復活、と、いうことである。

このため、なん度も内容については書いている
が、なぜ、上野の山、に、したのか、は、
書いていなかったか。

結局、この講座というのは、池波先生の歩いた場所、
=作品に登場する場所、ということではある。

先生の故郷である、浅草。
それから、神田、日本橋、京橋、銀座、
新橋、芝、本所、深川。
いわゆる、いうところの、東京の下町、で、ある。

そして、上野。
江戸の頃は上野山下のケコロ、だったり、
池之端だったり、上野の山も
池波作品に、数多く登場する。

また、上野は、先生の生まれ育った、
浅草永住町からも、歩いて10分程度。
地元、と、いってもよいところではあろう。
(ちなみに、今は私の地元、でもある。)

それから、上野、それも、上野の山は、
あまり、そういう文脈で語る人は少ないが、
江戸から、明治、大正、昭和、と、
江戸東京の街としての歴史の中でも
とても象徴的な道を歩いたところ、
で、あると思う。
これも、お伝えしたいこと、で、あった。

以前に、一度書いたが、江戸幕府の権威の
象徴であった、東叡山寛永寺が、幕末の彰義隊の
戦いで焼け、明治になり、新政府の文明開化の
大PR会場、として、塗り替えられ、作りかえられ、
この流れは、今の上野の山に、数多くある、博物館・美術館群に
引き継がれている。

大正以後、上野の山は、震災、戦災でもう一度破壊され、
ごくわずか残った上野東照宮などの江戸の遺構も、戦後、
重要文化財でありながら、その歴史的背景からか、
見る影もなく、荒れ果てている。(これは今、やっと
修復に入っているが。)

まさに、江戸から東京と、実態としての建物だけではなく、
上野の山が意味していた“文化”も含め、破壊され、また、建設されてきた。
そういう意味で、近代東京の象徴、と、いうことができるのではないか、
と、思っている。

ま、ま、そんなことが、
今回の私としての、テーマであった。

集合は、鶯谷駅南口。
この出口をご存知のない方もおられよう。

北口は、山手線の外側で、根岸。
今はラブホテル群の中。

南口は、と、いうと、北口からは、
遥か離れており、山手線の内側。
崖の上で、上野の山の、寛永寺墓苑の裏、
で、ある。

11時集合。

ロータリーには、タクシーの客待ち。
この時間、ちょっと雰囲気のあるお姉さんが、
ポツポツと、タクシーに乗っていく。
(ご存知の方は、ご存知。
“ご存知”の浅草北部へ、ご出勤、で、ある。)

ここから歩き始めて、
ゴールは、上野のとんかつ、井泉。

テクテク歩けば、1時間。

井泉到着予定が、2時で、都合、3時間。

山坂あるので、ちょうどいいくらいと、
みていた。

ゴールのとんかつや。
とんかつは、池波先生の大好物であり、
また、上野はとんかつ発祥の地で、まさに
上野を代表する食い物といってよいだろう。

井泉は、実のところ、池波レシピ、ではない。

先生が書かれているのは、ぽん多本家
こちらは、残念ながら、席数が少なく、
大人数ではだめ。

それで、当初は3月は、蓬莱屋を予定していたが、
今回は、予定が埋まっており、井泉、
に、なった。



ルート




前置きだけになってしまったが、
今日は、ここまで。

つづきは、また、明日。






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