断腸亭料理日記2010
さて。
今日は昨日のつづき。
大田南畝先生が、呉服橋の茶屋長意なる幕府の呉服所を
勤める豪商、茶屋四郎次郎家の旦那と思われる人物、のところへいった、
という話で、あった。
ここから、マニアックなところに入っていくのだが、
ちょっと、引っ掛かったことがあり、書いてみる。
正確には、茶屋長意の家なのかどうかはわからぬが、
南畝先生は呉服橋の界隈の、長意の“もと”で
会っているということ。
そして茶屋は幕府の呉服所を勤めていたということ。
そして、金座の後藤家とも縁戚にあったということ。
お気付きであろうか。
一石橋の由来で出てきた、もう一軒の後藤家。
ここも、茶屋家同様、幕府の呉服所を勤めていた。
荒唐無稽のようだが、後藤縫殿助家は、ひょっとすると、
実は、茶屋家、なのでは、と、いう思いが、
湧いてきたのである。
しかし、論文なども調べてみたが(むろんネットだけだが)
結局、そういう史実は見つからなかった。
南畝先生は“もと”と書かれているだけで、
茶屋の家とは書かれていないので、
茶屋の家が呉服橋にあったのかどうかは
断定はできぬが、普通、日本語で、誰々のもと、と、いえば、
家、と考えるのが普通であろう。
後藤縫殿助家は地図(昨日掲載)にも書かれているが、
江戸初期から、ここにあり、前にふれた絵島生島事件に
連座したとはいえ、南畝先生の頃も、そして、
おそらく幕末まで存続していたこと。
(上の地図は、幕末、文久年間のものであり、また、幕末まで
各種史料にも後藤縫殿助の名前は登場しているので
確かなことのようである。)
茶屋家と後藤縫殿助家、同じ呉服橋で、同じ幕府の呉服所。
これは、偶然にしては出来すぎているのでは、と。
先に、茶屋家と金座の後藤庄三郎家は縁戚にある、
と、書いたが、金座の後藤家だけでなく、
茶屋家は、呉服の後藤家とも大いに関係が深く、
茶屋長意は後藤縫殿助の呉服橋の家にいたのでは?。
あるいは、南畝先生は後藤縫殿助の呉服橋の家で、
茶屋長意に会った?。
いや、いや、さらに推測を進めると、
後藤縫殿助と茶屋長意は同一人物では?
というところまで、たどり着いてしまう。
むろん、茶屋長意の家が、後藤縫殿助の家とは別に
同業であるから、呉服橋界隈にあったと、考えるのが、
まっとうなのかもしれぬ。(ご存じ三井越後屋、白木屋。
この二店も、呉服屋でこの日本橋周辺にあったではないか。)
また、茶屋家と後藤縫殿助家をネットではなく、
論文の類をきちんと当たれば、結論は簡単に付きそうであるが。
ともあれ。
呉服橋と、南畝先生の歌から、こんな話が掘り起こせた、
ということであった。
さらに、この呉服橋界隈で、もう一つだけ。
地図(昨日の)に、書き加えたが、呉服町に樽新道という
路地が下の方にあると思う。
この樽新道というのは、樽屋三右衛門という人物が江戸初期、
住んでいたところから付いているという。
この樽屋家はやはり、昨日引用した「持丸長者」の
広瀬氏によれば、後藤庄三郎家とも縁戚関係にあり、
と、いうことは家康とも関係があり、
江戸の街を開くのに力を尽くした三町年寄のうちの一つである、
というのである。
やはり、この界隈、開府当初から、町人でも
幕府に近い重要人物が多く住んだところであった、
ということであろう。
江戸城大手門前、今の大手町、八重洲、は、譜代大名達の
上屋敷が配置され、外濠をはさんで、日本橋。
特に、この呉服橋と、もう一つ北の常盤橋あたりは、
道三堀で大手門から真っ直ぐの場所。
大手門から最も近い、町屋と、いってもよいだろう。
江戸開府当時、町屋としては最も重要な人々が
住居するところとして、まずは配置された、と、
思えてくる。
(そういえば、道三堀から真っ直ぐくると、日本橋川にぶつかる。
そして、一石橋、次が日本橋。そして、その左岸が魚河岸。
ここからも、江戸城まで真っ直ぐ。
家康は、江戸開府にあたって、摂州佃村の漁師が呼び、
彼らは、将軍家へ魚を納めることを条件に、江戸前の漁獲権を
与えられた。そして、佃島に住んだ彼らが、
将軍様の魚を揚げるところとして、ここに魚河岸が置かれたというのも、
うなづけること、と、思えてくる。
さらに蛇足だが、家康の外交顧問を務めた、イギリス人、
三浦按針こと、ウイリアムアダムスは、ちょうど、日本橋魚河岸の
裏あたりに屋敷があった。これも、やはり、家康との
関係の深さということがあように思われる。)
さてさて、そんな呉服橋界隈。
そばや、やぶ久。
(完全に、なにが本題か、わからなくなってしまった。)
6時すぎに入ったが、一階は、ほぼ満席。
人気か。
昆布巻のお通しで、燗酒一合。
季節の、かき南蛮。
盛り付けも美しい。
写真でもお分かりになろうが、湯通しされた、大粒の牡蠣が、
プリプリ。
堪えられないうまさ、で、ある。
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