断腸亭料理日記2010
1月28日(木)夜
お茶の水で7時半、仕事終了。
東京医科歯科大学の前、昌平坂を秋葉原方向に下る。
聖橋をくぐる。
なにを食べようかと考えて、秋葉原のとんかつや、
丸五、を、思い付いた。
坂を降りてくると、湯島の聖堂。
江戸時代は、昌平坂学問所。
南畝先生も、ここで試験を受けたっけ。
長い打ち合わせで、煙草が吸いたかった。
失礼であるが、歩道からそれて聖堂の方に入り、
ポケットから、携帯灰皿を引っ張り出し、
入口にある、案内看板の前で、紙巻き煙草に
火をつける。
読むともなしに、看板を読む。
が、灯り暗くて、よく見えない。
老眼と、乱視が最近は、進んでいるのが、
その原因である。
眼鏡を取り出すのもおっくう。
斜め読み。
説明は旧仮名使いで、一番最後に、
文部省、と、してある。
なんであろうか、これは。
今、ここは、文部省の管理、なのであろうか。
いや、そんなことは、、、?
昔の案内看板を復刻している、のであろうか?。
そういえば、少し前に、このあたりの、明治の頃の地図を
見ていて、発見したことがあった。
この湯島の聖堂。
先に書いたが、江戸の頃は、綱吉が造った幕府の学問所。
明治になり、なにになったか。
これを知っている人は、意外に少ないのでなかろうか。
私も、恥ずかしながら、知らなかった。
なんと、わが母校!。
いや、正確にいうと、母校の、前身の前身の前身、、、?。
ようは、師範学校であったのである。
明治5年(1872年)。
昌平坂学問所が大学校・大学と名を変え、明治になった東京、
いや、我が国最初の官立学校として、新政府によって、
師範学校がここに開校したのであった。
翌、6年に東京師範学校と改称、19年に東京高等師範学校。
36年に大塚に移転。この頃、我々も歌い継いだ、学生歌、
宣揚歌(せんようか)が生まれたという。
昭和4年、東京文理大の新設。
戦後、昭和22年、教育基本法の制定2年後、文理大から、
東京教育大学として、それまでの東京高師、農専、体専をまとめ
再スタート。
そして、、、、。
様々なことがあり、、、。
学生運動のない大学として?
1973年(昭和48年)、茨城県南部、筑波山の麓に、
筑波大学という名前で、再々スタート、、。
そして今、私は卒業後、20余年経っているが、大学は、
どんなもの、なのか。よくわからないのだが、、。
ともあれ、こう並べてみると、我が母校には、
色んなことがあった。
それがよかったことなのか、よくなかったのか、
別の問題としてだが、いつも、我国の様々な、
教育政策の渦中にあったことが、思い知らされる。
私を含めて、今の現役学生も、我らが母校が、この湯島聖堂に
明治、新時代黎明の頃、産声をあげていたことは、
まず知らないであろう。語り継がれてもいなかったし、
私は知らなかった。
しかし、ここお茶の水から遥か離れた筑波の地で、私達も歌った、
学生歌、宣揚歌に出てくる、「茗渓(めいけい)の水」は、
この昌平坂学問所跡のある、お茶の水の別名、であったのが、
まぎれもない、その証左なのであった。
(これは在学時代から、知っていた。
つまり、コノヘンにあったらしい、までしか考えは及ばず、
ズバリ、湯島の聖堂にあったのは、知らなかったのであった。)
私達は、東京高師卒業の方を、先輩と呼んでもよいのだろうか、、。
なんとなく、不肖の後輩のような、根無し草のような、、。
個人的な話をすると、私は、筑波大学で日本民俗学を学んだ。
民俗学というのは、筑波大学には、東京教育大学から続く
伝統があることを知っており、民俗学を学ぶために、進学をした。
母校である都立富士高校の当時の日本史の先生が、
教育大の民俗学を出ておられ、その影響で、学んでみたいと
考えるようになったからである。
そういう意味では、私は、東京教育大学も含めて、
母校であり、先輩である、という意識は持っている
つもりではあったのだが、、。
卒業をして、教師になっているわけでもなく、
学問を続けてもおらず、会社勤めをする社会人になり、
長い年月のうちに、母校さらには、その前身、歴史、などは
とんと忘却の彼方にあった。
今日、お茶の水、湯島の聖堂から、
改めて、こんなことを考えたのであった。
またまた、どちらが本題だか、わからなくなってしまった。
昌平坂を下り、右手に昌平橋。
交差点を渡り、角がヤマギワのビル。
その裏手、で、ある。
裏の路地に回り込むと、
赤い鳥居のお稲荷さんがある。
これは講武稲荷。
前にも書いているが、幕末、ここに幕府の
講武所ができ、さらにその跡に、花街ができ、
明治以降も、この花街は講武所と、呼ばれていた。
丸五は、そのお稲荷さんの前。
戸を開けて入る。
二階もあるが、さほど大きな店ではない。
入ってすぐ正面のカウンターに、座る。
生ビールをもらって、お通しは、タン。
つまみは、肉寄せ、と、いうもの。
ここではこれが決まり、で、あろう。
煮凝り?、コンビーフのようなもの?。
辛子をつけて、食う。
これが不思議と、うまい。
添えられている、さらし玉ねぎも、また、うまい。
とんかつは、特ロースを、頼んでみた。
ぶ厚い。
ここの油は、胡麻油を入れているというが、
香りがよく、それでいて、さっぱりと軽い。
ご飯はもらわずに、生をもう一杯。
腹一杯。
うまかった、うまかった。
勘定をして、出る。
ここからなら、元浅草まで、歩けない距離ではないが、
やっぱりおっくうになり、末広町から稲荷町まで乗って、
帰宅。
とんかつ丸五
TEL:03-3255-6595
住所:〒101-0021 東京都千代田区外神田1丁目8−14
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