断腸亭料理日記2010
4月26日(日)夜
夜。
実は、先週、内儀(かみ)さんが食べたいといっていながら
呑んだくれて、いけなかった、天ぷら。
(呑んだくれていたのは、むろん私。)
今日こそは、ということで、ご近所、三筋のみやこし。
最近、天ぷらやといえば、もうここ以外には
いかなくなっているかもしれない。
むろん、天ぷらやは、銀座、新橋、日本橋の有名店、あるいは、
そこまでいかなくとも、上野、浅草といった私にとっての近場にある、
名のあるところも、たくさんあるが、いかなくなった。
なぜであろうか。
とりあえず、間に合っているということであろう。
そもそも、鮨に比べれば、天ぷらが食べたいと思うことは
割合とすれば、半分以下、で、あろう。
その上、天ぷらは、むろん、プロには及ぶべくもないが、
自分でも揚げる。
それで、外で食べたいと思うことが、少ないのだろう。
近所だからといって、軽んじてはいけない。
みやこし、の、ご主人は、上野広小路の老舗、
天庄で修業をされている。
(その後、三筋で25年。)
昼に内儀さんがTELを入れ、6時半に予約をしておく。
さて。
今まで、出していたかどうか、なのだが、
三筋界隈の江戸の地図。
より大きな地図で 断腸亭料理日記/浅草・上野界隈うまい店 を表示
以前に、やはり、みやこしの回に詳しく書いているので、
再掲する。
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元浅草の拙亭からも目と鼻の先、三筋の、みやこし。
歩いて、5分程度であろうか。
駅でいえば、大江戸線の、新御徒町と蔵前の間で、
真ん中よりは、蔵前寄り。
春日通りの南側。新堀通りの西側。
三筋、というのは、江戸からある地名、で、ある。
町名ではなく、地名と書いたのは、町名ではなかった、からである。
ここは武家地で、幕府の大番組与力同心、
御書院番与力同心の組屋敷があった。
三筋というのは、文字通り、その屋敷地に
南北に三本の筋(道)が通っていたから、で、ある。
今は、三本以上の路地があるが、以前の三本の路地は
ほぼそのままの位置にあるようである。
武家地であるから、毎度書いているように、町名はなかった。
町とは、町人が住む、文字通り町屋があるところのことで
町人が住む場所にしか、正式には町名はなかったのである。
ただし、これは正式に、というだけで、
実際には、このあたりをなんというか、という
呼び名がなければ、やはり、不都合であったからであろう。
通称(里俗○○といった)として町名があり、地図にも書かれていた。
三本の筋は、西から、三筋町西之町、同仲之町、同東町、
といっていたようである。
明治に入り、正式に、三筋町という名前をもらい、
浅草西三筋町、同東三筋町、そして、江戸の頃の
三筋町の範囲ではないが、隣接する北側が同北三筋町となった。
北と南の二町の境は、今、三筋湯という銭湯があるが、
その路地。
その後、北三筋町は、真横に春日通りが通り、
いわば、春日通りによって、南北に隔てられていた。
戦後、この春日通りから北は、元浅草になり、
三筋は、南側だけに残った、という格好である。
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今回、江戸の地図では、佐竹商店街の前の
西は三味線堀あたりから、東は蔵前までを入れてみた。
小島町は今もある町名。
鳥越は、江戸の頃は、元鳥越という町名であった。
(これは、江戸の初期は鳥越であったのだが、
山谷に新鳥越という町ができ、こちらは元鳥越となった。)
幕府の御米蔵、浅草御蔵の前が、文字通り、御蔵前。
町名とすれば、森田町や御蔵前片町など。
ご存知のように、幕府の家来である旗本達の米を
金銭にして渡していた札差が軒を連ねていた町々。
この地図は、区分図である、切絵図。
大きな地図では書かれていないが、切絵図には
町の細かいところも書かれている。
例えば、辻番所のこと。
「辻番所」と書き入れたが、町角に太い線で小さな四角が
書かれているが、これのこと。
これは、武家屋敷や町で、設けられていた交番のようなもの。
今考えると、交番の数よりも多い、で、あろうか。
町で置かれていた番所は落語にも出てくる。
『二番煎じ』などがいい例か。
町内の旦那達が、寒い冬に火の回り(火の用心)を
する噺だが、寒さしのぎに立ち寄る小屋が舞台。
その小屋がこうした番所の、番小屋。
また、町内で雇った番太郎、
などと呼ばれた、番をする役目の者が常駐をしていた。
番太郎は、『大工調べ』の棟梁の啖呵にも出てくる。
噺の中では、使い奴、というような言い方もされているが、
あたりの掃除をしたり、町内の雑用もする。
まあ、あまり稼ぎの多い仕事ではなかったのではあろう。
そうとうな、余談になってしまった。
みやこし、で、あった。
カウンターで、いつもの通り、梅の定食。
5000円弱。
海老。
海老の頭。
いか。
きす。
白魚。
穴子。
野菜天。
天茶。
これは、内儀さん。
天丼。
これは、私。
赤出汁も。
酒は、ビールから、レモンハイ。
うまかった、うまかった。
そうとうに、腹一杯。
いい気分で、ぶらぶら歩いて、帰宅。
こんなご近所で、この天ぷらが食えるのは、
やはり、幸せというべきであろう。
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