断腸亭料理日記2009
今日も昨日のつづき。
歌舞伎座九月の千穐楽、見物。
三つ目の演目。
「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」
実はこれ、八百屋お七の話、なのである。
八百屋お七、という名前は聞いたことのない人は、
おそらくいないだろう。
だが、なにをした人、
と、説明できる人は、また、少なかろう。
なにを隠そう、私も説明ができなかった。
(昨日配信の勧進帳ではないが、昔の日本人なら、
子供でも知っていたことが、忘れられていく。)
お岩さん、皿屋敷のお菊さん、なんかと、おんなじ
ような話?
そんな認識。
まったくもう、我ながら、情けない。
お岩さんは、四谷怪談。
これは、圓朝作で落語にもなっているので、
まあ、知っている。
(本当は、一昨日配信の「浮世柄比翼稲妻」
と、同じ、鶴屋南北の作の「東海道四谷怪談」がもと。)
皿屋敷のお菊さんも、怪談もの。
落語では、お菊の皿。
幽霊のお菊さんが、「いちまぁ〜い、にまぁ〜〜い、、、」
と、皿を数える、あれ。
(だが、これは、四谷怪談や、八百屋お七が、
実話ベースのお話なのに対して、色々な地域にある、
民話の発展形のようである。)
で、八百屋お七。
これは
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(八百屋の娘お七が)天和2年12月28日(西暦1683年1月25日)の
大火(天和の大火)で檀那寺(駒込の円乗寺、正仙寺とする
説もある)に避難した際、そこの寺小姓生田庄之助(吉三
もしくは吉三郎とも、または武士であり左兵衛とする説もあり)
と恋仲となった。翌年、彼女は恋慕の余り、その寺小姓との
再会を願って放火未遂を起した罪で捕らえられて鈴ヶ森刑場で
火刑に処された。
(ウィキペディア「八百屋お七」より)
=============================
という、実話に基づいている、というのである。
当時、未遂とはいえ、付け火は大罪。
それで、火炙りになった、というのである。
当時、お七は、14〜5歳の少女である。
それが恋慕のあまり、放火をする、というのは、
そうとうに激しい、女の子であったのか。
(ある程度、今風にいえば、メンタルの病であった
のかもしれぬが。)
ともあれ。
この実話が、もとに最初に作品になったのは、
井原西鶴の好色五人女。
その後、浄瑠璃、歌舞伎はじめ、様々な文芸の
素材となり、現代に至っている、ということである。
そして、今日の演目、「松竹梅湯島掛額」も
その、いくつもある、八百屋お七もの、の、一つ、
と、いうこと。
これもまた、例によって、長い話の一部分で、
そのうちの「吉祥院お土砂」「櫓のお七」という二幕もの。
お七が、中村福助。そして、狂言回しというのか、
物語の進行役のような役割の、近所の小間物屋(?)の
主人、紅長こと、紅屋長兵衛が、中村吉右衛門。
昨日、勧進帳と、七代目松本幸四郎のことを
書いたが、この「松竹梅湯島掛額」も役者側の
過去の、縁(えにし)のようなものがある演目のようである。
少し前に、市ケ谷(九段南)のうなぎや、
阿づ満やの、ことを書いた。
その時に、このうなぎやのご主人が
実は、元女形の歌舞伎役者、中村吉之助(二代目)
という方で、奇しくも、この「松竹梅湯島掛額」の
お七をやり、名代になっている、という。
このうなぎやのご主人、中村吉之助氏は、
初代中村吉右衛門の弟子筋でこの道に入り、
初代吉右衛門亡き後は、八代目幸四郎(後の松本白鴎で、
当代幸四郎、当代吉右衛門、の父)門下となっている。
ここからは、想像なのだが、「松竹梅湯島掛額」
という演目は、初代吉右衛門と縁のある演目であったの
であろう。
それで、二代目である、当代吉右衛門が演じる、
というような縁(えにし)があったのではなかろうか。
(プログラムのどこかに、もしかすると、
書いてあることかもしれないが。)
(さらに、付け加えると、昨日の七代目幸四郎との関係でいえば、
長男が、団十郎家の養子になり、十代目団十郎。
次男が白鴎の、八代目幸四郎、で、その八代目の長男が当代幸四郎、
次男(当代吉右衛門)が初代吉右衛門の養子という形を取り、
吉右衛門の名を継いでいる、と、いうことである。
まったく、ややこしい。こうして、文字だけで理解するのは、
甚だ困難。系図でも見ないとだめ、で、ある。)
そんなこんな。
この二幕は、筋を書くほどのことでもないので、
やめておく。
はねたのは、9時。
三つの演目を観終わり、なかなかやっぱりくたびれた。
そのまま、銀座線で、帰宅。
しかし、思い付いて観る歌舞伎も、
たまには、よいもの、で、ある。
私にとっては、落語については、現在の演者は
あまり聞いてはいないが、まあ、ホームグラウンド。
音として残っている過去の名人といわれるもので、
入手できるものは、ほとんど手元にあり、また、
それらについて、なめるように聞いている。
さらに落語辞典の類、関係書籍も、ある程度はフォローしているので、
噺の筋から、背景、くすぐりまで、まあ、ほとんど
憶えている。
そこへいくと、歌舞伎はずぶの素人。
観にいくとすると、予習は必須。
こうして、日記に書いて、復習、も、する。
いわば、強制勉強になっている。
しかし、八百屋お七なんて、知らなくてはいけないよなぁ〜、
というのが、反省であった。
といったところで、
「歌舞伎座・九月・千穐楽」今日で終演。
長(なが)のお付き合い、感謝、で、ある。
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