断腸亭料理日記2009

歌舞伎座・九月・千穐楽 その弐
辨松の弁当と勧進帳

今日も昨日のつづき。
歌舞伎座九月の千穐楽、見物。




一つ目の演目、浮世柄比翼稲妻が終わり、
30分の休憩時間。

ここで、弁当を食う。

私は、買っておいた、辨松の弁当。
もう一本、ビールと、お茶も買っておく。

席に戻り、いそいそと開けてみる。


包み紙。

お?。
ここで、気が付いたことがある。

弁松、と、いえば、日本橋の弁松

日本橋に魚河岸があった頃に起源をさかのぼる
弁当や、で、ある。
そして、煮物の、甘辛のべったり“べらぼうに”濃い味。

しかし、これは日本橋弁松ではない。


「木挽町 辨松」と、してある。
木挽町は、今は銀座だが、ご存知の通り、
昔のこの界隈の町名。

はて?ちょっと、疑問には思うが、開けてみる。


中身は?
これは、店で見本を見ていたので、むろん
それとかわりはない。

弁松の弁当にはかかせない、つと麩。
つと麩とは、江戸で生まれた、生麩、で、ある。
これも、ちゃぁ〜んと、入っている。

食べてみると?

あれ?違う。
日本橋のものほど、甘くない。

むろん、煮物、で、あるから、
甘辛いのだが、べっとり、では、ない。

なんとなく、拍子抜け。

お気付きであったろうか。
これは、帰ってきてから調べてわかったのだが、
「木挽町」は“辨松”。
「日本橋」は“弁松”。
と表記した。
木挽町の“辨”は弁の旧字。

WEBサイトも、木挽町辨松

日本ばし弁松総本店

で、別々にある。

昔は、同じ、あるいは、支店であったのかもしれぬが、
今は、別の店、のようである。

そんなこともありつつ。

弁当を食い終わり、
お目当て、勧進帳、の幕が開く。

今さら、私が、ここに書かずとも、ご存じかと
思われるが、一応、筋を書いてみよう。

源義経、弁慶ら主従が、源平の戦いの後、
鎌倉に本拠を据えた、兄頼朝に追われ、
お尋ね者となり、義経が少年の頃、世話になった、
奥州藤原氏を頼り、落ちのびる。

その途中、北陸、安宅の関で、止められ、
この時のドラマ、で、ある。

元々は能、安宅。
その後、歌舞伎になり、
歌舞伎十八番、市川団十郎家のお家芸として、
絶大なる人気を得て、なん度も映画にもなり、
また、ドラマになったことも数え切れないであろう。

弁慶らは、修験者(山伏)に身をやつし、
年の若い義経は、供の若党に扮す。

見せ場は、勧進帳の読み上げ。
東大寺再建の寄進を求める修験者であるならば、
東大寺が発行した、勧進帳というものを持っているだろう、
読んでみろ、と、関守にいわれる。
弁慶は、なにも書いていない、白い巻物を
手に広げ、朗々と、勧進帳を読む。

納得し、通してくれる、かと思いきや、
この若党が不審である、と、また見咎められるのだが、
とっさに、弁慶は、こいつ、とんでもない奴だ、と、
若党に扮した義経を、散々に棒で打ち据える。

この姿を見て、実は、お尋ね者の彼らであると、
わかっていた関守も、ここまでする、
義経主従に心を打たれ、無事に通す。

関を通過後、弁慶は、方便とはいえ、
主人である義経を打ち据えたことを、義経に
泣いて詫びる。
義経は、いや、お前の機転がなければ、
あの場は逃れられなかった、感謝するのは、
自分の方だと、いう。
主従はヒシと、抱き合う、、、。
(関通過後の後半部分は、歌舞伎にはなく、
その後の映画などでの演出である。)

まあ、そんなお話。

(それこそ、昭和30年代までは、日本人であれば、
おそらく、子供でも100%、知っていたであろう。
今は、おそらく、私くらいの世代でも、知らない人も
いそうである。)

歌舞伎での見どころは、弁慶が勧進帳を読み上げる、
文字通り、「読み上げ」と呼ばれるところ。
それから、疑いが晴れ、関守の富樫左衛門は失礼なことをした、
と酒を勧め、弁慶は舞を披露する。この舞を「延年の舞」といって、
これも見どころの一つになっている。
そして、舞を舞っている間に、弁慶は義経達を先に逃がす。
最後に残った、弁慶は、富樫に目礼をし、花道を、六方を踏みながら
一行を追いかける。これが飛び六方。
見栄を切った格好で、ケンケンをしながら、
おっと、とっと、ト、ト、というあれ、で、ある。
これがまあ、最もわかりやすい、見せ場であろう。

この勧進帳で、むろん、圧倒的な主役は、弁慶。
これを幸四郎。富樫を吉右衛門、義経が染五郎。

と、ここまでの予習は、してきたのではある。

観たところの正直な感想は、演出とすれば、先ほど書いた、
映画やドラマでの扱われ方の方が、感動、という意味では
現代人にはわかりやすい。
また、勧進帳の読み上げそのものも、そもそも前後のセリフが既に
能を起源とするからか、難解であるため、今の我々の感覚では、
勧進帳をスラスラと読んでいるのだが、それが弁慶の即興芝居である、
というのがわかりにくく、どれほどすごいことなのか、伝わらない。

まあ、そんなことであるのだが、私が一つ、おもしろかったのは、
掛け声であった。

なにをびっくりするのか、と、思われようが、
ご存知であろうか、「たぁっ〜ぷり!」という掛け声。

歌舞伎の掛け声は、見栄を切った後などに、
その役者の屋号を叫ぶ。「オトワヤッ!」「ハリマヤ!」、
「コぅライヤ!」など、これが有名である。

だが、この「たぁっ〜ぷり!」は、幸四郎の弁慶が
「延年の舞」という舞を舞い始めるところで、
かかった。

「たぁっ〜ぷり!」は、今、大衆演劇などで、
役者が踊りを始める前に、掛ける掛け声、と聞いていたのであった。
ほー、歌舞伎でもいうのか、という思い。
(おそらく、歌舞伎の方が、先であろうが。)
なにか、この「たぁっ〜ぷり!」は、いかにも、
芝居の掛け声らしい、と、思い、むしろ、今は、大衆演劇の方が
似合いそうな感じがしていたのである。

「よ!。待ってました、日本一。」、の、ような、
なにか、昔ながらの芝居小屋の雰囲気というのであろうか。
「たぁっ〜ぷり!」には、客席と舞台の役者が一体になった
雰囲気があるように思われるのである。

むろん、私には幸四郎先生の舞う「延年の舞」のよしあしを
見分ける目などまったくないのだが、なるほど、
決まりものとしての踊りを、役者が、文字通り、
[たぁ〜〜っぷり]と、踊り、これが見たくてきたんだよ〜、と、いう、
観客がいる。これが日本の芝居なんだなぁ、という思いを
抱かせたのではあった。

それから、勧進帳ではなんといっても、最後の、弁慶の飛び六方。
この形もあまりにも有名かもしれぬ。

あの、修験者の大仰な格好をして、
目をむいたまま、花道の七三あたりで、止まりながら、
文字通りたっぷりと、六方を踏んでいく。

さすがに、幸四郎の飛び六法には、私も、なるほど、と、
唸らせるものがあった。

今回の勧進帳は「七代目松本幸四郎没後六十年」と、
副題がついている。
七代目とは、当代の幸四郎のお祖父さんにあたるよう。
この七代目といえば、勧進帳の弁慶というくらいに、
絶大な人気を博したという。

七代目松本幸四郎は、明治3年の生まれで、
亡くなったのは、戦後すぐの昭和24年。
(満78歳)

先に、この勧進帳は歌舞伎十八番で、市川団十郎家の
家の芸、であると書いた。
目をむいて、大見栄を切ったまま、飛ぶ、というのは、
いかにも派手で、団十郎家らしい、荒事(あらごと)らしく見える。
従って、むろん、当代の団十郎、海老蔵も弁慶はやる。
(当代父子のヨーロッパ公演のものをTVで最近もやっていた。)
しかし、別段、他の家がやってはいけない、というものでは
ないというのは、落語などとやはり同じ、なのか、
などと、思ったりしたのだが、少し調べたら、トンデモハップン。

この七代目幸四郎は、九代目市川団十郎の弟子筋あたり、
長男は、市川団十郎家の養子になり、十代目団十郎。
つまり、七代目松本幸四郎は、当代幸四郎のお祖父さんでもあるが、
同時に、当代団十郎のお祖父さんでもある。
むしろ、七代目は、今の団十郎家の正統になっている、
と、いうこと。(以上参考ウィキペディア)

ははー、なるほど。

歌舞伎ファンの方々には、
あたり前のことなのであろうが、こんなことも
知らないと、たのしめない、というのも
歌舞伎なのではあろう。

(してみると、やっぱり、団十郎家と縁のないものは、
できないのだろう。
先にも書いたが、落語などはもっといい加減。
落語にもそれなりに、三遊だの、柳だの、系統はあって、
どちらの噺、というのが決まっているものもある。
しかし、自分の師匠でなくとも、その噺を知っている師匠が
教えてくれれば、全然OKで、演ってよいことになっている。)


そんなことで、そうとうに長くなってしまった。
歌舞伎座九月公演、千穐楽見物、
明日につづく。






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