断腸亭料理日記2009
1月18日(金)夜
金曜夜。
柏からTXで浅草まで戻り、六区の洋食や、ヨシカミへ。
TXというのは私には便利である。
柏、つくばと、仕事でいく機会の多い場所を結んでいるのと、
乗ってしまえば、真っ直ぐに、浅草まで帰ってこれる、という。
ともあれ、洋食のヨシカミ、なのだが、
浅草にも洋食やは多い。
洋食やというとちょっと違うかもしれぬが
同じく、佐久良
そして、こちらは贔屓にさせてもらっている、
世界一のミックスフライを食わせてくれる、
(この日記では書いていないが、リスボン、アリゾナ、など、、
浅草には、有名、老舗は、まだまだ他にもある。)
書き出してみると、浅草、と、いうところは、
本当に洋食やが多い、ということに改めて気が付く。
なぜか、という分析、背景の考察はなん度もしているので、
詳しくはやめる。
簡単にいえば、洋食が流行った時代と
浅草が東京で最先端の街であった時代が、
一緒であった、ということ、だと思う。
いつかといえば、大正から昭和初期。
第二次大戦をはさんで、戦後復興後、昭和30年代まで。
奇妙に、東京の花柳界の栄えた時期とも一致する。
(それもあって、先日、鮨一新のところで書いた、
観音裏にも洋食やが多い。)
そんな洋食や密集地の浅草だが、私が一番落ち着けるのは
やっぱりヨシカミ、で、ある。
理由はいくつかある。
場所が観音様のそばではなく、六区であること。
本当は、観音様のそばでもよいのだが、
そばであればある程、観光客相手の色が濃く、
落ち着けない。
ウイークデーの営業時間が多少遅いこと。
これも観光客との関係が深いが、観音様に近い
仲見世、新仲あたりは、夜は8時頃には閉めてしまう
ところが少なくない。それに比べ、
ヨシカミは10時ラストオーダーである。
そして、むろん、うまい、ことは当然なのだが、
一番の理由は、店の雰囲気、で、ある。
たいていは一人でくるので、カウンターに座る。
そうすると、カウンターのすぐ前の厨房で
立ち働く、料理人達の活気のあるきびきびとした
仕事ぶりを、目の当たりにできる。
この活気が、よいのである。
これを見ると、落ち着ける、のである。
なぜヨシカミになったのか。
柏からTXで戻りながら、なにを食べようか、
考えたわけだが、この時、実は、南千住で降りて、
尾花でうなぎ、とも思った。
うなぎ蒲焼、というのは、一般的に夏のもの。
あまり真冬に食うものというイメージはなかろう。
これは、江戸の頃、平賀源内がプロデュースしたもの、
というのは、有名である。
うなぎは、実際は、脂がのるので、秋から冬の方が
うまい、という。
当時、真夏は、うなぎはあまり売れず、その販促策として、
夏の栄養源として、『土用の丑の日にはうなぎを』と、いうのを
平賀源内が考えた、と、いう。
(そうとうに脱線するが、本当にそうなのか。
源内の活躍したのは江戸中期。
源内は、大田蜀山人 南畝先生の若い頃の
寝惚先生文集という作品に序文を寄せているが、
南畝先生よりは、世代としては、少し上。
前に、うなぎ蒲焼の発祥の年代を考察した。
源内が亡くなったのは1780年。
現代に残る、うなぎやで最も古いのは、浅草界隈では、
田原町のやっこで、創業は寛政年間というから、1790年代。
まあ、やっこの創業よりも前から蒲焼はあった
とは思われはするが、源内の時代は少し早く、既にうなぎ蒲焼が
一般的であったのか、若干、気にはなるが、まあ、今日は
源内のうなぎ販促策は、あってもおかしくはない、と
いうことにしておこう。)
ともあれ、冬、うなぎを食っても
なんら問題はない、はずなのである。
しかし、想像をするとこの時期に蒲焼、と、
いうのは、どうも、寒そう、で、ある。
まして、尾花は入れ込みで、これも寒そう。
(むろん実際には暖房は入っていようが。)
私は尾花ではいつも、うな重の前のつまみに、
氷にのった鯉の洗いを、頼むのをたのしみにしているが、
これはこの時期、ありえない。
しかし、どうなのであろうか、
余計なことだが、今、逆に、冬のうなぎ蒲焼
販促策を鰻料理組合で考えても、おもしろいような気がする。
今度、やしまのご主人にでも聞いてみようか。
そんなこんなで、TXから便利な六区の
洋食、ヨシカミ、と、なったのである。
TX、つくばエクスプレスの浅草の駅は、
昔からの東武や銀座線の浅草駅ではなく、
国際通りにある。
できてから、なん年か経つが、国際通り沿い、
ロックスの界隈も少し変わったように思う。
見た目には、アーケードがなくなったりし、
明るい感じになったのではなかろうか。
また、このあたりに、今までとはちょっと違う
人の流れもできたように思う。
TXの浅草駅の出口はいくつかあるが、
ちょうど、浅草演芸ホール、あたりに出てくる口がある。
これが便利である。
この口を出て、六区側に入り、六区のメインの通り、
今、ブロードウェーという名前だが、を突っ切って、
右斜めに入り、一本目を右。左に入ると、水口食堂。
ヨシカミ。
ウイークデーのこの時間、むろん、並んでいる人などいない。
だが、入ると、カウンターはほぼ一杯。
空いていた角に案内される。
細長いメニューが前に置かれる。
ビール、小瓶がなかったかな?と、確認。
あった、あった。
「ビール小瓶!」
それから、やっぱり、チキンライス。
チキンライスは、好物な上に、ここのは、べら棒に、
う・ま・い。
ビールが出る。
小瓶でもここはスーパードライ。
浅草といえば、アサヒ。
(本社が吾妻橋を渡ったところにあるのは、
皆さんご存じであろう。
このため、浅草の料飲店は圧倒的にアサヒのシェアが
高い、ということである。
おそらく、これは昔からなのだろう。
今のアサヒビールの本社のある場所は、古くは
アサヒビールの工場があったのである。)
自分のオーダーしたものが、作られていく
過程が見られる、というのは楽しい。
小瓶を呑みながら、出されたかき餅をつまみながら、
見る。
フライパンが用意され、鶏肉や玉ねぎが炒められ
ブランデーだろうか、酒瓶から液体が注がれ、
飯が入れられる。
カッ、カッ、カッ、と、煽(あお)る、煽る、煽る。
わっ、、こぼれた、、。
プロはこんなことではひるまないのか。
意に介さず、煽る。
後ろの棚から、ケチャップを取り
ケチャップをフライパンに投入。
さらに、煽る、煽る、煽る。
自分でもチキンライスはよく作るが、
ケチャップを入れてからはとても煽れるものではない。
できた。
皿に盛りつけ。
こぼれたご飯が、なぁ〜んとなく、気になる。
(量が減っているのか?!)
はい、お待ちどうさま。
カウンターに置かれる。
ビールは呑み終わり、空腹のため、バクバクと食う。
むろん、いつも通り、うまい、チキンライス。
食い終わり、勘定。
楽しく、うれしく、うまい、
ヨシカミ、で、ある。
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