断腸亭料理日記2009

浅草観音裏・鮨・一新 その1

1月10日(土)夜

さて。
今日は、内儀(かみ)さんの希望で鮨。
観音裏の一新

ご存じであろうか。
一新は09年版のミシュラン東京で、一つ星になっている。

ミシュラン自体についてのコメントは難しい。

そもそも、編集の責任は、日本の会社ではなく、フランスの
会社であること。
この本の意図が、主としてフランス人が日本に旅行に来て、
いく価値のある店を載せている可能性を否定できないこと。

つまり、東京、それも下町の台東区に住んでいる
私などをターゲットに編集されてはいない。
従って、掲載されている店々へコメントする立場にない、と
いうこと。

まあ、それでも少し感想を書いてみると、
08年版では、台東区の店が一軒もない。
また、きちんと数えていないが200店近い数の店舗が
載っているのであろうか、その中で、鮨やは、わずか15軒であること。
この二点だけで、私には、信用できない、
評価に値しない、と、思えた。

そして、09年版になり、台東区の店が1軒だが載った。
それが一新。
鮨や全体の掲載も21軒となっている。

ともあれ。

通っていた店が、ミシュランに載るというのは
お客として、やはり素直にうれしい。しかし、反面、
予約が取れなくなるのではないか、
と、いうのを、怖れていた。

今日、半分以上あきらめていたのだが、TELをしてみると
意外や、二人、入れるようである。

内儀さんの外出の都合で、7時すぎに予約。

内儀さんの帰宅を待って、出る。
今日も着物。

正月の濃紺の縮ではなく、もう一枚ある、同じく縮だが、
着物は薄い焦げ茶で羽織は深緑。
これに茶色のカシミアのマフラー。

タクシーに乗り、観音裏。

浅草では、観音様の北側、裏側であるので、
あの界隈は、観音裏と呼ばれている。

観音裏は芸者さんがいて、料亭がある浅草花柳界として
昭和30年代までであろうか、大いににぎわったところ。
(むろん、今でも料亭もあり、芸者さんもいる。)

毎度書いているが、江戸時代の観音裏は、田圃。

周辺を見ると、この田圃の向こう、北西側に、
その頃から江戸随一、いや日本一の遊郭、新吉原があり、
そして、今の観音裏の東側、観音様から見ると北東側に
歌舞伎の江戸三座がある芝居町、猿若町があった。
いわば、観音裏だけ、ポコっと、空いていた、と、もいえる
のではあった。

観音裏が開けたのは、明治以降。
江戸三座は徐々に猿若町から移転していったが、
それでも、三座以外の芝居小屋もこの界隈にできたり、
役者が住んでいたり、と、芝居町としての雰囲気は残っていた。

また、今の花屋敷のあるあたりは、
江戸の頃から、観音様の奥にあるので、奥山、と呼ばれる
見世物、様々な茶屋、料理やなどのある歓楽街であった。
明治になると、浅草十二階という、当時では初めての
高層建築が建てられ、さらに一大観光地になる。
また、当時、この界隈から北側の千束町にかけては魔窟、などという
形容詞も付けらたというが、銘酒屋という名前の、非合法の娼家街
でもあったという。
若干の推測も入るが、こうした店々も、もとになり、大正期には
芸者さん、料亭のある、いわゆる三業地としてお上からオーソライズされた
浅草花柳界ができていった、と考えている。

そんな歴史を持っている浅草観音裏。

どうも、毎度、観音裏というと、こんなことを書いているが
ここへくる人には、やっぱり、こうしたことを私は
知っていてほしい、と思うのである。
なぜ、一新がここにあるのか。
その場所の持っている歴史とは無関係ではないのである。
(一新のご主人がどれだけ意識しているかはまた
別の問題として。)

町の色、空気というものが、どういうことを背景にしているのか、
昔は、皆が知っていた。それが東京の場合、どんどんと
わからなくなっているし、積極的にいう人もおらず、
興味もない人が増えているように思う。
歴史というものには、よいところだけではなく、
ともすれば触れたくないようなものもある。
こうしたことも背景にあるのかもしれない。
しかし、それらも含めてその町の歴史であるし、
よいわるいの問題とは別に、知っていなければならないこと
だと思うのである。
歴史を知っている、ということはどれだけ豊かなことか、
と、思うのである。

あたりまえであるが、人はある日突然
そこに現れたわけではなく、親、その親、そのまた親、があって
生まれてきたわけである。つまり、誰もが先祖、先人の
してきたことの上に今の自分が存在する。
その前で、人は謙虚であるべきである。
それが人の営み、文化というものである、と思うのである。

と〜もあれ。

タクシーで、浅草通りから国際通り、言問通りに右折、
ゴロゴロ会館が角にある、柳通りに左折。

右側に今でもある、浅草見番。

次の信号でタクシーを降りる。

一新はここから一本入った路地にある。

今日も寒い。風も強い。
雪駄の音を立てて、足早に向かう。

戸を開けて、店に入る。
ちょうどご主人の前、角から三つ目と四つ目の席が用意されていた。

マフラーだけを取り、羽織は着たままで、椅子に座る。

「今年もよろしくお願いします」
と、ご主人がいう。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
と、挨拶を返す。

(着物なんですね、なんというのを聞かれないので
安堵。前にも書いたが、説明が面倒くさいのである。)

寒いが、一杯目は、内儀さんはやはりビールという。

一杯呑んで、

「今日は?」
「つまみと、にぎりで」

ここには、握りだけのおまかせと、つまみが先に出る
おまかせと、ある。
両方にすると、15000円。

今日も満席。
握るのは、ご主人一人なので、ここはゆっくり
構える。
普通の鮨やのペースだと思うと、ちょっとイライラするかもしれない。

最初は、あんきも。

今日も、ご主人に撮影の許可はもらっている。

小皿が三つ。
しょうがの甘酢漬け(ガリ)、
もみじおろしの入った、ぽんずしょうゆ、
そして、普通のしょうゆ。
そして、あんきもの小鉢が、並ぶ。

箸置きに、鮨 一新 の名が横書きに入った、白い箸袋入りの
割り箸。
割り箸は、きれいな軽い杉。両側が細くなった利休箸。

こう並ぶと、うつくしい。
これから食べる、うまいもの、を思い浮かべさせてくれるようである。

あんきもも、うまい。

ビールは一本だけで、すぐに燗酒にかえる。

二品目は、白身の刺身。
今は、平目。


薄い青、青磁の横長の楕円の皿に薄くきれいに
並べられて出る。

歯ごたえと、あまみが、よい。

次は、貝。
濃い緑色の分厚くて長方形の皿、この色は織部焼というのか、に
後ろにわかめ。

最初に赤貝と、みる貝。みる貝は、茄子紺色が先に入った、本みる。

それから、平貝。


平貝というのは歯ごたえと、香が好ましい。

次に焼き物が出た。


切り身の焼き魚。
すだちが、添えられている。

ちょっと見には、鰤(ぶり)の照り焼きのよう。
聞いてみると、鰆(さわら)の幽庵焼きという。

幽庵は、柚庵、または祐庵とも書くらしい。
考案した茶人の名前のであるとか。
しょうゆ、酒、みりんを各1に柚子の輪切りを入れた
たれに漬けて焼く。

脂がけっこうあって、うまい。

次は、たこ。


江戸前の仕事がされた、たこ。
柔らかいが適度な歯ごたえ、香よく、あまみがある。

今度は煮物。白魚の玉子とじ。


柳川を出すような、素焼の器に入り三つ葉が散らされている。
初春、らしい、か。

ここのご主人はもともとは、鮨職人ではなく、
普通の和食の修行をした方と聞く。
こうした料理は、それ、らしい。

つまみは、ここまで。

続きは、明日。




東京都台東区浅草4丁目11-3
03-5603-1108




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