断腸亭料理日記2009
1月8日(木)夜
門仲(もんなか、門前中町のこと)の魚三、
というのをご存じだろうか。
魚介類を主とした居酒屋(酒場)で、ある。
立石のモツ焼、宇ち多"、ぐらいであろうか、
そのディープさ加減は。
お台場近郊で夕方、仕事が終わり、
えーい!、帰ろう。
明日に伸ばせる仕事は、明日のことだ。
この時間だと、この近所で、いきたいところ。
それが、この門中の、魚三。
近所といっても、むろん、実際にはだいぶ離れている。
しかし、昔の湾岸と、今の湾岸。
そして、門中は私の帰り道、ではある。
お台場あたりから、元浅草に帰るには、
ゆりかもめで、豊洲までもどり、有楽町線で月島、
ここで大江戸線に乗り換えて、と、いうことになる。
大江戸線の月島の隣が、門前中町、で、ある。
この時間というのは、早い時間、ということである。
立石宇ち多"との共通点は、この早い時間から
すでに満席、という点。
18時などにこようものなら、満席の上に、列までできている。
つまり、この人達、なにしてるの?
という状態で、明るいうちから、にぎわっている。
まあ、東京ではやはり珍しい、呑みや、で、あろう。
普通に仕事をしているサラリーマンが
いける時間でも、場所でもない。
門中で大江戸線を降りて、永代通りを八幡様の方に歩く。
信号二つ目、不動様の参道の前で、反対側に渡って、
数軒目。(町名は、門前中町ではなく、富岡一丁目になる。)
ビル、で、ある。
紺の暖簾が出ているので、すぐにわかる。
実際のところ、ここへは、そうとうに前、東京湾の花火の時に
花火の見物がてら、浴衣なんぞを着て、一度だけ、
内儀(かみ)さんときたことがあった。
それ以来、きても列には並ぶ気にはなれず、
入れなかった、のである。
暖簾を分けて、ガラス戸を開ける。
けっこう広い店であるが、すべてカウンター。
(このあたりも、不思議な酒場、で、ある。)
ちょうど、吉野家のよう恰好で、カウンターが
並んでいるでのある。
正面の壁には一面にとても数え切れない
魚を中心にしたつまみの数々が、貼り出されている。
見ると、やはり、ほぼ満席。
ここは、三階まである。
(こんな居酒屋にしては、といっては、なん、で、あるが。)
脇の扉から出て、階段を昇り、二階と三階も見てみる。
やっぱり、満席のようで、一階の中で、立って待ってみようかと、
もう一度、一階へ戻る。
一階には名物のおかあさんがいる。
入口付近に立って、このおかあさんに、一人、と、
合図をすると、
「一人?、、こっち」
と、空いているところを教えてくれた。
カウンターは丸い椅子でギュウギュウに
おじさん達が、座っている。
後ろのカウンターとも隙間はわずか。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と、
いいながら、その場所へ入り、隣の人にも、
少しスペースを作ってもらい、座る。
お姐さんが「なに?」、と、聞く。
今日は、風も強く、随分と寒かった。
お姐さんに、迷わず、「お酒、お燗」。
つまみは、まぐろが食べたかったので、
「まぐろと、、」
一瞬のうちに壁の紙を見て、あら煮50円!。
これだ。
「あら煮」。
「まぐろは、赤身でいいの?」
「はい」
下に小皿を敷いて受けにした、
肌の厚い、ガラスのコップが置かれ、
五合の燗徳利から、注(つ)いでくれる。
まぐろもすぐにくる。
まぐろ赤身は400円
この値段である。冷凍なのかもしれぬが、6切れあり、
半分は、ちょいと中トロに近いくらい脂のあるところ。
十分にうまいぞ。
酒は、一合、180円。
あら煮もきた。
なんの魚かわからぬが、甘辛の濃い東京風味付け。
これもうまい。
お酒をもう一杯、お代わり。
くだを巻くお客に、「ここは深川だよー。」
と、魚三のおかあさんの口調もわるくない。
あら煮、まぐろも、食べ終わり、酒も呑み終わる。
ここは以前は魚三というくらいで、魚やであったというのを
聞いたことがある。
壁の膨大なメニューはすべてが魚介類。
刺身、煮付け、焼き魚、天ぷら、鍋、なんでもある。
もう少し、なにか、とも、思ったが、
既に、二合呑んでおり、一人である。
こういうところは、一人で酔うほど長居をするものではないだろう。
お勘定。
800円。
十分。
いや、十分すぎる。
今時、この値段は、どう考えても驚異的であろう。
だいたいにおいて、酒一合180円が安すぎる。
(もちろん、十分に呑める酒で、あるが。)
店を出て、振り返る。
(実は、まだ6時前。)
さてさて。
門仲の大衆酒場・魚三、
ここはいったいどう理解すればよいのであろうか。
魚やから、酒場になったのは、いつ頃だろうか。
大方、大衆酒場、といういい方から考えて、
まあ戦後すぐ、昭和30年代まで、ではなかろうか。
(一説には昭和29年ともいう。)
いかにも、深川らしいと、いうのかもしれぬ。
(ついでだが森下の山利喜なども、深川らしいという気がする。)
深川も東京下町、で、ある。
しかし、同じ下町は下町でも、地元の浅草や、例えば三ノ輪、
宇ち多"のある立石、あるいは北千住というようなところとも、
流れている空気は、違うように思う。
なにが深川らしいのか、よくわからぬが、
比べると、吹っ切れた明るさのようなものを感じるのである。
これは昔からの深川の土地柄が残っているのか。
深川には、江戸の頃からついこの前まで、貯木場やら
木材問屋などがある、木場があった。
(旧木場は、最終的に昭和57年に新木場に移転が終わっている。)
江戸っ子の形容詞に、粋で鯔背(いなせ)などというのがあるが、
鯔背というのは本来、江戸ッ子でも、深川、特に、
木場の若い衆などにあてられた言葉であったということを
聞いたことがあるような気がする。
そんなものと、魚三のおかあさんの吹っ切れた明るさは、
通じているのかもしれない。
しかし、それにしても、この魚三、
昨日今日できぼしの立ち呑みなんぞと比べても、
安く、むろん、うまいし、それに正しいように思う。
四の五のと、蘊蓄やら、ゴタクを並べなければ
お客がこない、今の東京の呑みや事情を考えれば
まったくもって、気持ちよく、これが、呑みや、である、と
正に体現しているように思う。
まあ、新たに他の店が真似をしようと思っても、
できないのかもしれない。
なにしろ、50年以上の歴史があるのだから。
やはり、ここに、このままの状態でずっとあってほしい、
深川、門仲の宝、であると、思うのである。
魚三酒場
TEL:03-3641-8071
住所:東京都江東区富岡1丁目5−4
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