断腸亭料理日記2009
2月28日(土)昼
さて。
土曜日。
先日、新橋の鮨や、しみづ、へ、いった。
実のところ、その続き、で、ある。
ここでも書いたが、このしみづから、さかのぼって、
新橋鶴八、神田鶴八、柳橋美家古鮨、と師匠筋にあたるところ。
柳橋美家古鮨。
創業は文化年間(1804〜1818年)。
当初は、屋台で、慶応二年、二代目の頃に、
現在のような店構になったとのこと。
以来、200年、当代で六代目、という。
(美家古鮨ホームページ)
(前にも書いたが、浅草の弁天山美家古は慶応二年の創業という。)
にぎり鮨の考案は、華屋与兵衛と、いわれている。
1824年、文政七年、に華屋を両国で開業(wikipedia)とのこと。
ということは、柳橋美家古鮨の方が古いではないか。
一説には、千住の「みやこ」という店が元であった、
ともいう。
このあたりのこと、おそらく、きちんとした記録、
の、ようなものも、ない、のではなかろうか。
と、すると、こうした議論をする意味もまた、なかろう。
どっちにしても、古い、と、いうこと。
にぎり鮨発祥の頃の流れを汲む、と、いうことは、
まあ間違いない、のではあろう。
文化文政の頃。
やはり、江戸の黄金期、である。
大田南畝先生の少し後。
一言でいってしまえば、化政文化。
十辺舎一九、山東京伝、蔦谷重三郎、写楽、北斎、
広重、蕪村、一茶、、、。
うなぎの蒲焼もおそらく、この頃。
江戸落語もおそらく、この頃。
江戸東京の、今に続く様々なものが
この頃、生まれている。
江戸が江戸らしく、まとまった。
そして、その後様々な変転はあったが、我々の東京庶民文化へ続く、
ベースになった時代、と、いうことができよう。
鮨が生まれ、うなぎ蒲焼が生まれた頃。
そう考えると、なにか、感慨深いものがある。
(このあたりのこと、ゆっくり考えたいが、今日は、
その話ではなかった。柳橋美家古鮨、で、ある。)
柳橋。
台東区、の南東の端。
神田川が隅田川に注ぐところ。
元浅草の拙亭からもさほど遠くない。
(柳橋一丁目は別だが、ごく近くまで
同じ鳥越神社の氏子町内、でもあるが。)
たまには、JRの浅草橋から、歩いて帰宅したりするが、
やはり、なぜだか、そうそう、足を向けるところではない。
昔は、料亭、芸者さんの花柳界で栄えた町。
歴史をたどれば、江戸、明和・安永期(1764〜1781)
までさかのぼり、深川の次に古い。(加藤政洋:花街)
これには多少、但し書きが付く。一般に、江戸期の花(色)街は、
岡場所(非公認の色街)と区別されていなかったのだが、
柳橋については「『江戸第一の芸妓本位の花街」と
称せられる一流の花街」(前出)であったともいう。
柳橋の花街としての最盛期は、東京の他の花街と
比べると、古い、大正の頃のようである。
(例えば、神楽坂にしても浅草にしても、戦後に
もう一度最盛期があった。)
昭和に入り、東京の繁華街が西に移る中で、減り始め、
戦後、隅田川の汚染などもあり、次第に、少なくなっていった
ともいわれている。
(柳橋の袂に今も残っている料亭、亀清楼)
順番が逆になったが、江戸の地図。
柳橋の袂に平衛門町。それ以外は、代地、の文字が多い。
町割りは今もあまり変わっていないのではないだろうか。
その後の予定があり、今日は、車で出る。
美家古鮨は、もう一軒、浅草橋の駅の北側の路地にある、浅草橋店。
昔から、こちらは知っていたが、入ったことはない。
今日はこちらへ、いってみようか、とも思ったのである。
(後記:もう一軒立ち喰い部が、総武線高架下にある。)
車は、近くのコインパーキングに入れる。
店の前に来てみる。以前から、入りずらかったのだが、
なぁ〜〜んとなく、今日も入りずらい。
えーい。
本店へいってみようか、というわけであったのである。
本店の詳しい場所は、知らなかった。
総武線を潜り、蔵前(江戸)通りを渡り、向こう側。
柳橋一丁目。
昔の花街の面影は、まったくといっていいほど、ない。
オフィス街、といってよかろう。
浅草橋の駅や、蔵前通り沿いは手芸用品などを
買いにきている、女性達であろうか、にぎわっている。
しかし、路地に入ると土曜日のせいか人通りは少ない。
このワンブロック、路地をちょっと探してしまった。
あった。柳橋、美家古鮨。
看板には、柳ばし代地 美家古鮨本店、と、してある。
ここは、柳ばし代地、といういい方をしたのであろうか。
上の江戸の地図では、この店の場所は、
御蔵前片町代地、で、ある。
(ちなみに、ここの祭(榊神社)、の半纏は、代地、のよう。
関係あるのかも知れぬ。)
ともあれ、入ってみる。
土曜のお昼。そうそう、お客は多くはない。
カウンターに年配の夫婦連れ。
呑みながら、つまんでいる。
カウンターに座る。
中には、ご主人と若い衆一人。
ここは、座敷もたくさんあるらしいが、この
カウンターのあるところは、意外にこぢんまりしている。
車であるし、酒もなし。
ご主人に、一人前を頼む。
分けた白髪頭。
名のある老舗、厳しそう、という予想もあったが、
柔らかい物腰、上品そうな方、で、ある。
(そういえば、弁天山の方は、随分昔にいったっきりだが、
あそこのご主人は、ちょっとコワそうな印象であったが。)
落ち着いて見回すと、やはり、なかなか、で、ある。
なにが、なかなか、かというと、雰囲気、で、ある。
鮨やで、ツケダイ、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
今の鮨やでも、名残、といってよいものはあるのだが、
滅びつつつあるといってよかろう。
職人側から、客までの店の作りを想像していただきたい。
まず、俎板があり、今の鮨やは、ガラスの冷蔵ケースがあり、
その次にある平たい台のような幅10cm程度の木の部分。
ここがツケダイ。今は多くはここに皿をのせて、鮨を置く。
そして、その下に、カウンター。
古い形式は、むろん冷蔵ケースはなく、このツケダイの幅が広い。
ここは、その形式。俎板があり、いきなり、30cm弱はあろうか、
木目のはっきり出た、きれいな板が客に向いて斜めになっている。
これだけ幅の広いツケダイを見たのは、初めて、で、ある。
隣の客に出しているのを見ると、直にここに
にぎった鮨を置いている。
昔の形、で、ある。
そして、もう一つ。
頭の上。
小さな暖簾があり、屋根がある。
これは、合羽橋の太助寿司でもあったが、、、
ただし、太助寿司には暖簾はなかったと思う。
屋根は、なんであろうか、ただのデザインなのか、
なんなのか、疑問に思っていたのだが。
暖簾を見て気が付いた。
これ、屋台、で、ある。
昔、この店も屋台であったというが、
鮨の発祥は、屋台。
その雰囲気を残している、と、いうことなのだろう。
特段緊張することもなく、あたたかく、
落ち着ける雰囲気、で、ある。
ご主人のいる、調理場の方を見てみる。
ねたは、俎板の下の冷蔵庫にもあるようだが、
ご主人の後ろに、竹製の平たい籠が二つほど置いてあり、
ペーパータオルらしきものが敷かれており、
ここにもねたを置いているようである。
ものによって、こうして常温に置いておくものと
冷蔵庫に入れておくものとに、分けている、
ようである。
そして、向かって右手奥。
煮ものや、焼きもののガス。
さらに右の奥は、特段の仕切りはなく、
ひと続きで、裏方の調理場。
若い衆は、このあたりを行ったりきたりしている。
と、見ているうちに、箸とおつゆがきた。
すぐに、にぎりも。
これは、一人前だから、ということか、
木の台にのって、ツケダイの上に置かれる。
手前右から、鯛、みる貝、穴子、
二列目、鯵、いか、中トロ。
太めの中落ち巻き。
おつゆは、なにかわからぬが、魚の潮汁。
(ぶりか、カンパチか。)
腹が減っていたので、バクバクと食べてしまったが、
まずは、にぎりの大きさ(ねたとのバランス)。
これはやはり、大きめ。
ただし、酢飯は、しみづで、使っていた赤酢、ではないよう。
色は普通。酢飯の味は、気持ち濃いような気もする程度で、
まあ標準の範囲ではなかろうか。
ねた。
これは、まあ、東京の普通の鮨やと
特段の違いは、なかろう。
弁天山のように、すべてびっしり、昔同様の“仕事をした”
ものです、というものではない。
現代の鮨として、十二分にうまい。
中トロも柔らかく、きめ細か、あまく、うまい。
巻きもの、が、変わっているか。
手巻きのような大きさの、中落ち巻き。
(一説には、ここのスタイル、とも。)
さくっと、食べて、お勘定。
3500円也。
この味で、一人前のおきまり、とすれば、まあ、普通、
で、あろう。
ごちそうさまです。と、いうと、
おそまつさま、と、ご主人。
こういう返事を返されたのは、初めてかも知れぬ。
格子を開けて、柳橋の路地、に、出る。
天気もいい。
店の落ち着ける雰囲気がよい。
そして、味、値段、ご主人、といい、
特段敷居が高いことも、片意地を張ったところもない、
よい鮨や、では、なかろうか。
夜、きてみたくなる鮨や、で、あった。
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