断腸亭料理日記2007
10月20日(土)第二食
どうしたわけか、よく、海外在住の読者の方から、
メールをいただくことがある。それは、むろん、ありがたいこと。
今回は、ニューヨークに長年、住んでおられる方からであった。
この方は、このあたり、浅草のご出身で、
竜泉の角萬という、そばやが、思い出に残っている、と、書かれていた。
竜泉の角萬。
伝説の、そばや。
東京蕎麦屋界のラーメン二郎。
そこまで、大袈裟に書くこともないのだが、
なにかすごいらしい、というのは、昔から知っていた。
国際通り沿い、ねぎどんの少し先、右側。
むろん、前はなん度も通ってもいる。
その、すごい噂ゆえに、ちょいと覗いてみるのが恐ろしかったのである。
(ラーメン二郎などは、筆者、惨憺(さんたん)たるものであった。)
さて、竜泉の昔。
いつもなら、江戸の地図であるが、これを出すと、
田んぼばかりになってしまうので、
これは、昭和40年頃の付近の地図、で、ある。
と、いっても、現代とさほど変わってはいない。
周辺の旧町名が入っているという意味で出してみた。
一葉記念館ももう既に建っている。
現町名の由来は、むろん龍泉寺からきている。
龍泉寺の起源はよくわかっていないらしいが、
江戸初期にはもう既にあったようである。
町としての形をなしてきたのはいつごろであろう。
江戸の地図を見れば、このあたり、田んぼが多いのであるが、
隣接する新吉原の芸者さんの住居、茶屋として、町ができ始めた
ようである。(新吉原がこの地に移転してきたのが、1657年で
その20年程度後の1679年の頃には、新吉原のそばに、
茶屋町、という名前で、町の記載があるようである。)
明治に入り、北豊島郡下谷龍泉寺町となった。
(竜泉は、浅草ではなく、下谷に含まれていた。)
樋口一葉がここに住んだのはその短い人生の中でも
明治26年の10ヶ月間。
その後、龍泉寺町は、浅草区と下谷区に別れながら、戦後の台東区
成立とともに、今の竜泉一丁目から三丁目ができた。
さて、角萬。
昼、稽古を兼ねて、徒歩で出かける。
赤札堂の脇の路地を北上。
この道は、言問い通りを突きって、千束の先で、
国際通りに合流している。
ここで、国際通りを北へ向かって右側に渡る。
お酉様、鳳神社の前を通る。
熊手を売る、酉の市は、11月。
境内ではそろそろ準備が始まっているようである。
角萬が見えてきた。
店の表は、なんということのない、いや、むしろ、地味な感じの
町のそば屋。
戸を開けて入ると、やはり、にぎわっている。
壁際に一人用と思われる、カウンター席が、なぜかあり、
そこに座る。
おかあさんとお姐さんが二人で、絶え間なく入る注文を聞いて、
調理場へ通している。
「ヒヤ、ニク」「ヒヤ、ニク、ダイ」。
ほとんどが、この二つ。
ラーメン二郎同様、符丁のようなものが、お客にも、店にも
行き渡っている。
「ヒヤ、ニク」とは、肉なんばん、冷し、なのである。
(ダイは、むろん大盛。)
ほとんどのお客が、これを頼んでいる。
筆者も慣れない口調で、お姐さんに、「ヒヤ、ニク」と、言ってみる。
さほど時間がたたずに、きた。
これである。
これが、東京蕎麦屋界の、ラーメン二郎といわれる、
「ヒヤ、ニク」こと、肉なんばん冷し、で、ある。
(この写真で、食欲をそそられる人は、まず皆無、ではなかろうか。)
ダイ、ではないので、こんな感じである。
(大はこんなものではない。盛りそばの大などは、
今にも崩れんばかりの盛り方だそうである。)
麺は見た通り、きしめんのような、というよりも、
実際は、乱切り、と、言った方がよいかもしれない。
厚みは同じようだが、幅はいろいろ。
そして、そこに、つゆで煮込んだ豚の三枚肉とねぎがのっている。
食べてみる。
うぉ、、、、、!
これは、これは、、。
はっきりいって、うまい!!!!
つゆは、ちょっと甘めであろうか。
しかし、それ以上、なにが、という分析は、意味はなかろう。
総体として、うまい。
食べながら、少し落着いて、お客さんの顔を見ると、
なんとなく、懐かしいというのか、親しみの持てるというのか、
そんな雰囲気。
やはり、皆、下町の顔、といったらよいのだろうか。
におい、と、いうのであろうか。
一種独特のものがある。
浅草でも、深川でもよいのだが、いわゆる、下町散歩のような
コースに入り、山手からわざわざ出かけてくる人の多い、人気の店の
お客は、見ればすぐにわかる。
最も、簡単な見分け方は、着ているもの、で、ある。
ここのお客は普段着、なのである。
(匂い、表情、言動も、むろん違う。)
こういう店である。
皆が皆、歩いて来れるところの人ばかりではないであろう。
きっと、車で来ている人もあるのではなかろうか。
(町屋やら、北千住やらから?)
筆者は、浅草に越す以前、葛飾の四つ木に住んでいたので、
なんとなく、わかる、のである。
(東京東部の顔、と、いうのであろうか。)
お客は、屈強の男ばかりかと思うと、意外にそうでもなく、
老夫婦連れ、なども、いたりするところが、また、おもしろい。
あまりにうまく、あっという間に、食い終わる。
勘定をして、さっと出る。
いやいや、もっと、早くきてみるのであった。
ちょっとクセになりそうで、ある。
NY在住の読者氏に感謝、で、ある。
折角であるから、目と鼻の先、一葉記念館を覗き、帰宅。
台東区竜泉3丁目13−6
03-3872-5249
地図引用・参考:下谷浅草町名由来考・台東区発行(昭和42年)
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