断腸亭料理日記2007
今日も、しつこく、昨日の続き。
昨日までは、、、。
ことの発端は、とんかつが食いたくなり、普段はあまり行かない、
上野の老舗とんかつや、蓬莱屋へ行こうと思ったこと。
これを機会に、上野になん軒もの老舗とんかつやがあって、
とんかつ発祥の地と呼ばれていることについて考えている。
とんかつの生まれた年代の特定。
本当にとんかつが上野で生まれたのか、を考えたが、
実際には、それよりも、そう“いわれている”ことの方が
意味がある、ということ。
では、なぜ、とんかつの発祥が上野といわれるようになったのか。
上野ととんかつの関係の考察に入っている。
仮説は、上野ととんかつというメニューの相性がよかった、と、いうこと。
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今日は、このあたりを、もう少し掘り下げてみたい。
上野という街は、どんな街なのかを考えてみなければならない。
まず、上野を見る前に、とんかつの生まれた、
大正から、昭和初期の東京の盛り場とは、
どのあたりであったのだろうか、を、考えてみよう。
新宿、渋谷は戦後のこと。
押しも押されぬ盛り場といえば、銀座、浅草、で、あろう。
特に、浅草は、飲食店、六区の映画館、劇場、十二階、花やしき、
などなど、大人も子供も、楽しめる大歓楽街、であり、
浅草オペラをはじめとして、東京芸能界の最先端でもあった。
これに対し、銀座は、もう少し、きれいな、大人の街、で、
あったのだろう。
そして、昨日、少し触れたが、カツレツの出自である、洋食や。
これはどのあたりにあったのか。
今に残る老舗を見ると、
銀座煉瓦亭、人形町芳味亭、同じく小春軒、根岸、香味屋、
浅草、ヨシカミ、グリルグランド、などなど。
煉瓦亭、ヨシカミは若干はずれるが、それ以外の店に共通するのは、
いわゆる、花街の中に立地していた。
花街は、当時の大人の男の、社交場。
明治末から、大正、昭和初期、戦争をはさんで、
戦後昭和三十年代まで、これらの花街は全盛であった。
そこに、洋食やは、ともに栄えていた。
で、とんかつやが、生まれたのは、その花街ではなく、
上野、であったということ。
(上野も、正確に言うと、隣に湯島天神下の花街を抱えていた。
そして、上野にも黒船亭という、少ないながら
今に残る明治創業の洋食やはある。)
これは、あくまで、筆者の推論である。
上野というのは、銀座や浅草、そして、いくつかの当時栄えていた
花街などよりも、(昨日は、安直、と、書いたが)
もう少し、庶民的な街であったのではなかろうか。
(この、安直、あるいは、カジュアル、庶民的、という言葉の
中身については、さらに後で掘り下げたい。)
次に、とんかつのこと。
昨日、さらっと、とんかつは安直であった、と書いたが、
本当にそうだったのか。
今、老舗といわれる、とんかつやの値段は、上野に限らず、
とても庶民的、などと呼べる値段ではない。
2000円を越え、3000円に迫る。
しかし、なんとなく、筆者の子供の頃でも、
町のとんかつやというのは、それほど気取った店ではなかった。
また、メニューとしても定食やのものでもあり、
家庭料理でもあった。また、それは本来的には、
今でも変わってはいないだろう。
昨日例に引いた、川島雄三監督の
映画「とんかつ大将」に扱われているように
長屋に住む人々も、たまには食べられた、ちょっと贅沢だが、
普通のメニューであったことは間違いなかろう。
むろん、料亭のような高級な店で、とんかつが看板であったところも
当時からあったのかとは思うが、あくまで平均的な
位置付けはどうであったのか、ということである。
さて、とんかつが安直であったのならば、
今、それと対比している当時の洋食が
高級であったのか、ということが問題になろう。
本題から少し離れるが、簡単にみておこう。
今に残っている、先に挙げた、老舗洋食やが、銀座だったり、
花街という世界で育ち、そこは、当然、見栄の世界であり、
味もうまく、高価格になっていった。それが今に残っている。
言い換えれば、洋食やは、当時、流行の食い物やで、
東京の花街以外の人の集まるところ、例えば、神田須田町、神保町、
新橋、門前仲町、といったところをはじめ、どの街にもある程度は
必ずしも高価なものではなく、存在していた。
(例えば、池波先生のエッセイにも、出てくるが、先生の
子供の頃、近所(今の拙亭のある、元浅草)に洋食やがあって、
カツレツなどを、食べるのが楽しみであった、という。)
つまり、銀座や花街などに高価格の洋食やもあれば、普通の街には
安い洋食やも、ともにあった。しかし、それら安い洋食やは、
今に残っておらず、時代とともに、なくなったりあるいは、
定食や、大衆食堂、というような見た目になっていった。
これも仮説である。
これはこれで、別途考察しなければならないかもしれない。
一度、当時の、価格を調べてみてはどうだろうか。
例えば、煉瓦亭と、創業当時の蓬莱屋の価格、である。
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とうとう、三回でも、終わらなかった。
もう少しのお付き合いを。
明日に続く。
明日は、上野という街を、もう少し歴史的にみてみたい。
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