断腸亭料理日記2007
12月4日(火)夜
研究所のある、つくばからTXで直帰。
出先からの直帰というのはそうそうないのだが、
たまにあると、うれしい。
こういうときにしか、いけないのが、ご近所のうなぎや、やしま。
しばらく、ご店主が怪我をされて、夏頃から休んでいたのだが
先月、復帰したものの、今度は筆者の方が
なかなか開いている時間にこれなかった。
その、おかげで、というべきか、
雷門の初小川に久しぶりにいくことになったり。
ところで、浅草のうなぎや、というとなん軒もあり、
老舗、有名なところも多いが、筆者の場合、
この初小川と、色川
そして、やしまが、よい。
こうした食い物やは、純粋に味だけではなく、自分の趣味、
それから、その店との相性、あるいは、出会い、
縁、と、いうものもある。
(まあ、これは誰にでもあることだろう。)
このため、浅草上野界隈で、書いていない有名な老舗うなぎやも
多々あるのは承知しているが、それにはそれなりに筆者として、
書いていない理由がある、ということである。
まあ、どちらにしても、毎度書いているが、
これは公平な浅草上野案内や、
網羅的なリスト目指しているわけではなく、
あくまで、日々筆者が考え、行動したことを元に書いている、
日記であり、ある種のノンフィクション創作物である
という、前提で読んでいただきたいわけである。
ともあれ、初小川、色川のどこがいいのか、を、少し書いてみたい。
むろん、二軒とも方向は違うが、味がいい、というのは前提である。
そして、まずは、場所。
たまたま、かもしれぬが、この二軒は、ごく近くにある。
住所でいえば、雷門二丁目。
雷門から南に向かって右側の一角。浅草通りの手前。
ここは浅草でも、雷門、仲見世、観音様、新仲見世、などの
人通りの多い一角ではない、ということ。
また、この二軒は、老舗でありながら、というべきか、
小体な店構えを続けている、ということ。
二軒がどういう歴史を持たれて、今に至っているのか、
細かいことは、むろん筆者は知らないが、
“小体な店構えを続けている”ことは、大事なことであると思う。
一方で、同じ老舗でも、ビルになって、支店もあったり、
というようなところも少なからずある。
それで、味がよければ、まだいいのだが、ひどい、とはいわぬが、
まあ、満足感は得られないところも、ある。
利益追求と、味追求、というような単純な軸で切れるのかどうか、
わからぬが、筆者の場合、ビルになっている、名のみ
(と、あえて書かせていただくが)の老舗よりも、
小体な、この二軒の方に居心地のよさを感じるのである。
落語、三方一両損という噺を思い出した。
お奉行様の大岡越前守が出てくる、大岡裁きの噺である。
神田白壁町の左官の金太郎が、紙入れを拾った。
その中には、金三両と、印形(いんぎょう、はんこのこと)と
書付けが入っており、これらから、落とし主が、同じく、
神田竪大工町の吉兵衛と知れ、持っていく。
しかし、届けられた本人は、確かにそれは自分のものであるが、
一度落としたものは、自分のものではないので、
いらない、と、どうしても受け取るのを断る。
そして、受け取れ、受け取らぬ、で、喧嘩になる。
(これだけでも、今考えると、不思議な噺である。
今どきこんな人は、どこを探してもいるまい。)
二人の喧嘩に、大家さんが仲裁に入り、
お奉行様に判断していただくことになる。
そこで、大岡様は、自分が一両を出して、四両とし、
それをふたりに二両ずつ渡した、という。
これが三方一両損。
(三人とも、一両ずつ損をしているという。)
この中で、落とした大工へ、大岡様の、なぜ受け取らぬ?
という問いに、答えるセリフでこんなくだり、が、ある。
どうか一生涯、棟梁にはなりたくねぇ。
人間は出世をするような災難に出会いたくない、と、
毎日金毘羅様にお灯明をあげて、拝んでいる、んだ!
(だから、金なんぞいらない。)
これをカリカチュアされた“江戸っ子の美学”、あるいは、やせ我慢、
として片付けるのは簡単なのだが、もう少し、違うもの、
いうにいわれぬ“なにか”が、そこにはあるような気もするのである。
(それが、なに、かは、長くなるので、また、別に考えたい。)
そして、この噺と、二軒のうなぎやには、
なんとなく同じようなものを感じる。
そして、今日の主人公である、やしま、も、初小川の
弟子筋だけあってか(?)商売っ気がない。
なかなか開いている時間にこれないというのも
早く閉めてしまう、からなのである。
やしまの場合、安全を見て、7時までには入りたい。
今日は、冒頭に述べたようなわけで、早くこれた。
店に入り、ご主人にご無沙汰の挨拶をし、
座敷に上がる。
店は、テーブル席も、座敷も賑やかに人が入っている。
お酒をお燗でもらう。
この味噌豆のお通しも久しぶり、で、ある。
これこれ、これだよ、と、独り言がいいたくなる。
茹でただけの大豆。これを、味噌豆という。
青海苔がかかり、からしが添えられている。
しょうゆをかけて、よくかき回して、つまむ。
味噌豆というものは、東京に限ったものではないのかもしれぬが、
古典落語(小噺)にもあるように、
東京でも以前から庶民に食べられていたものであろう。
うな重。
初小川ゆずりのさっぱり、きりっとした、江戸前の蒲焼と
たれの染みた、飯。
やはり、これが、ごくご近所で食べられる、幸せ、を
実感せずにはおられない。
冒頭に書いたように、商売っ気が、ないのは
筆者には決して悪いことではない。
やしま、にも、いうにいわれぬ、“なにか”が
ある、と、思えるからなのである。
やしま
TEL 03-3851-2108
東京都台東区小島2丁目18−19
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