断腸亭料理日記2025
4750号
引き続き、ミラノ。
11時、いよいよ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、
「最後の晩餐」見学ツアーの集合。
ツアーは英語。もちろん日本語はない。
で、これ、60〜90ユーロとかなりの高額。
高すぎる気もするが、まあ、それでも世界遺産は見たい、か。
いい商売であろう。
ガイドはイタリア人の小父さん。ちゃんとした英語を喋る。
まずは、教会へ入って、説明。
そして、中庭へ。
中庭。
さほど広くはない。ドームの側面が見えている。
半円形の部分が特徴的。これは内陣東側に張り出す建築様式
とのことで、アプスというらしい。
裏からトラムが走っている通り側にもまわって説明。
(正直、トウシロウには段々、面倒くさく、なってくる。)
長く、30分以上あったか。
そして、やっと、教会向かって左側の「最後の晩餐」へ。
パスポートの提示と、荷物検査。かなり厳重。
最近、ルーブルなどでも、絵画を汚す行為をする活動家も
いるが、むろん必要なことであろう。
これ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ/Leonardo da Vinci作、最後の晩餐/
L'Ultima Cena。製作年1495年〜1498年。漆喰にテンペラ。
ダ・ヴィンチ先生なので、ミケランジェロ同様、ルネサンス期。
ちなみに、日本だと戦国もまだ始まったところ。北条早雲が
小田原に入ったり、齋藤道三が美濃の国主となった。桶狭間は
終わっているが、信長も家康もまだ尾張、三河で力をためていた頃。
モナリザも有名だが、これも超有名。
「最後の晩餐」というのは、教会の絵画、いわゆる聖画と
いわれるものになるが、信者のくせに不勉強な私も今回わかったが、
モチーフとして、一般的なもので、このダヴィンチ作のもの
以外にもたくさんある。フィレンツェでも見た。
信者であれば皆知っている。新約聖書に出てくる場面。
おそらくカトリックでは最も重要な儀式、セレモニーに
なっている。
キリストは、為政者に追われ、十字架に掛けられるわけだが、
その前夜、十二使徒と呼ばれる弟子たちと最後の食事、英語で
いうとラストサパー(last supper)をとる。
その場面が最後の晩餐ということになる。
カトリックでは、この最後の晩餐をミサ毎に再現している。
パンとぶどう酒を参列者皆で分け合って食べる。
聖体拝領という。パンがキリストの御身体(おんからだ)、
ぶどう酒はキリストの御血(おんち)。そういうことになっている。
ともあれ、それだけ重要な場面を描いているのが「最後の晩餐」。
で、定番の聖画として多く描かれているわけである。
と、すると、絵画として他の「最後の晩餐」と違い、なにが
凄いのか。やはり、表現が凄い、というのである。
これ、やはりここにこなければわからなかったが、上の写真、
おわかりになろうか、けっこうデカイ、のである。
この食堂、今はもちろん食堂としては使われていないが、
部屋の横幅、端から端まで、目一杯に描かれている。
そして、そこそこ高い天井の上近くまである。
また、この絵の一番下で、前に立った目線よりも上になる。
つまり、ちょっと見上げるような位置関係である。
遠近法で描かれているわけだが、横幅一杯なので、あたかも
この部屋にこの絵が同化し、キリストと弟子たちのテーブルが、
そこにあって、奥の窓まで続いているように見える。そんな効果を
考えて描かれているのである。
こんな仕掛があることは、この絵だけ切り取って額に入れても
まったくわからないことであった。
実は、私の育った家にこのダ・ヴィンチ先生の「最後の晩餐」の
そこそこ大きなジグソーパズルが額に入れて飾ってあった。
それで、絵としてはかなり見慣れていたのだが、また違った
ものになったのである。
(もちろん、この名作に専門家が指摘する絵画としての特徴は
もっともっとあるのだが。)
そして「最後の晩餐」の反対側の壁には、こんな壁画が
描かれていた。
これが描かれているのも知らなった。一般に知られてもいない
だろう。(レオナルド・ダ・ヴィンチ作でもないし。)
ともあれ、これ、お分かりであろうか。もちろん、これも聖書に
出てくるが、キリストがゴルゴダの丘で十字架に掛けられ、
処刑される場面。
つまり、最後の晩餐の次の場面。いや、キリストは自らの十字架を
背負わされて、丘に登るのだが、その場面が聖書にはあって、
さらにその次になるが、重要度では、最後の晩餐の次といっても
よいだろう。
もちろん、それを意識してここに描かれているのであろう。
キリストが十字架に掛けられたこの場面も、キリスト教、
カトリックではとてもとても重要なのでやはり聖画としては
定番である。この絵はイタリア語一語でcrocifissione/クロシフィシオーネ
と言うよう。和訳すると、磔刑。つまりハリツケ刑。読みはタッケイ。
これも知らなったが。
以上、ここまでで、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は終了。
ガイドのイタリア人、おそらくミラノ人の、小父さんがかなり
強調していたが、やっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチは、
ミラノの偉人という気持ちが強いよう。ミラノ人として誇るべき人、
と。先に書いたが、スカラ広場に大きな像もあったし。
実際には、レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェ近郊の
ヴィンチ村で産まれ、14才、フィレンツェで有名な工房に
弟子入り、芸術家としてのキャリアをスタートした。
つまり、ルネサンスのもう一人の巨人、ミケランジェロと
同郷、本来はフィレンツェの人といった方がよいのである。
ただ、ミケランジェロに比べると、フィレンツェ時代、ローマから
呼ばれもせず、成功しているとはいえなかった?。それで、
ミラノにきたようなのである。(ただ、ミケランジェロの活躍は
突出して目を見張るものがあるが、ダ・ヴィンチもフィレンツェで、
仕事は残しており、なぜミラノにきたのか、もう一つ、
よくわかっていないようなのである。)
ともあれ、レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノでは随分と
活躍したよう。「最後の晩餐」以外にも、特に、時のミラノ公
ルドヴィーコ・スフォルツァから様々な案件「ミラノ大聖堂
円屋根の設計、スフォルツァ家初代ミラノ公フランチェスコ・
スフォルツァの巨大な騎馬像の制作など」(ウィキ)の依頼も受けた、と。
また、弟子、というのか、周辺にも人が集まり、フィレンツェと
並んで、ミラノもルネサンスの中心的な街になったよう。
まあ、こんなことで、レオナル・ド・ダヴィンチはフィレンツェ
ではなく、ミラノでの存在感が圧倒的に強く残ったよう。
彼の記念館のようなものもこの近所にあったり、ちょうど、
この滞在中にもガッレリアでなにか彼の展示をしていた。
つづく
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