断腸亭料理日記2007
1月12日(金)昼
昼、どうしても、桂花ラーメンが食いたかった。
オフィスのある牛込市谷から、都営新宿線、曙橋から一駅。
新宿三丁目まで。
新宿は、筆者、高校時代より馴染みが深い。
西部新宿駅から丸の内線に乗り換え、中野富士見町の
都立富士高校へ通っていた関係である。
その当時から、桂花ラーメンには通っていた。
この日記で、新宿界隈の昔、は、まだみていなかった。
江戸の地図
ご存知のように、新宿は江戸の頃は甲州街道の一つ目の宿。
江戸では、品川、千住、板橋、新宿と、四宿(ししゅく)の一つ。
他の宿と同様に、飯盛り女郎を置く、旅籠が軒を連ね、
公に許された、浅草北方の吉原と同様の遊郭機能を持つ場所であった。
(形は変化していったようだが、これは、戦後昭和30年代前半まで、
いわゆる赤線、青線として、存続していた。)
新宿は、現四谷四丁目交差点の先、江戸の出入り口である、
四谷大木戸の西から、新宿一丁目として始まる。
(新宿駅側が、一丁目ではない。)
また新宿は、ご存知のように江戸の頃は、内藤新宿ともいわれ、これは、
徳川譜代大名である、内藤駿河守の広大な
下屋敷があったことによる。
これもご承知の通り、現、新宿御苑、で、ある。
明治に入り、内藤屋敷は、ご多分に漏れず、新政府に召し上げられ、
官営の「内藤新宿試験場」という農業試験場のような
役目を持った施設になり、明治12年から「新宿植物御苑」という名前で
皇室の農園として運営されていたという。
そして、戦後、昭和24年、一般に開放され、
今の新宿御苑となったようだ。
そして、内藤屋敷、新宿御苑の北に接して、江戸人の貴重な飲料水、
玉川上水が流れ、新宿以西も、甲州街道の南を平行して、流れていた。
今、甲州街道、そのバイパスであるトンネルが地上に出るあたり、
明治通りとの交差点、南側に新宿高校があり、その隣にある天龍寺。
江戸の頃は、時の鐘をつく寺であった。
また、このあたり、今の新宿三丁目交差点あたりは、新宿追分と呼ばれ、
甲州街道と、青梅街道の分岐。この三丁目交差点そばに今でもある
だんごや、追分だんご、に名前が残っている。
今、新宿五丁目、ゴールデン街の東隣にある花園神社。
新宿のお酉様としても有名であるが、
江戸の頃は、三光院と呼ばれていた。
(この江戸の地図が正確かどうかはわからないが、花園神社HP
によると、江戸の頃から、場所は変わっていないという。)
また、この「三光」は明治以降、町名にもなっており、
今の三丁目あたり、に三光町はあった。
(三丁目、というと、町名としては広く、新宿駅東口までだが、
筆者のイメージでは、地下鉄の三丁目、三丁目交差点の北東側の一角が、
三丁目、で、あった。三光町は、そのあたりかと思われる。)
さらに、おもしろいものを見つけた。
落語の世界では明治の中興の祖、数々の名作を書いた、三遊亭圓朝が
今の一丁目、花園公園という公園があるが、ここに住んでいたという。
ついでだが、我々の知っている、六代目の圓生師は、
同じ新宿でも、今の新宿大ガードから北西に小滝橋通りを
ずーっと行った左奥、今の町名で北新宿、柏木(かしわぎ)、という
ところに住んでいた。(柏木の師匠、で、ある。)
書き始めると、新宿もまだまだあるが、きりがない。
いずれにしても、もともとの新宿の中心地は四谷寄りの街道沿い。
明治に入り山手線ができても、今の新宿駅あたりは、畑の中だったという。
昭和になってやっとひらけ始め、歌舞伎町なども、盛り場になるのは戦後。
(筆者の母校、都立富士高校の前身である、府立第五高等女学校
は戦争まで、今の歌舞伎町、淀橋町大字角筈(つのはず)にあり、
戦後、その跡地に今のコマ劇場ができたと、聞いている。)
さてさて、桂花、で、あった。
三丁目の店。
三丁目交差点、北東の角のセゾンプラザの裏である。
近くには、落語の定席(じょうせき)、末広亭もある。
このあたりも、筆者は高校時代から、遊び歩いていたところでは、ある。
今日は、珍しく、というべきか、太肉。ターロー。
豚バラ肉の煮込み、角切りと、生のキャベツがのる。
最近は、食べる量を気にして、
ノーマルな、桂花、を食べることがほとんどであった。
¥950。
高校時代から20年、いや、25年以上、食べている味、である。
熊本ラーメン、と、いうが、熊本で食べたことがないので、
同じ味なのかは、わからない。
鶏がらも入っているという、とんこつスープに、マー油という名前の
焦がしにんにくの油。この合体が実にクセになる味なのである。
今では、東京でも様々なラーメン屋で、真似されているが、
やはり、ここ、桂花が、元祖であろう。
ターローは、まずは、生のキャベツをスープに沈めるところから始まる。
生のままよりも、スープで少し柔らかくなってから食べるのが、よい。
少し堅めの丸い麺。これも独特。
麺を食い、ターローを食いながら、キャベツが柔らかくなるのを、待つ。
そして、芯のない柔らかい部分から、少しずつ、キャベツを食べる。
そしてまた、麺を食い、スープを飲む。
どうも、なんとも、やめられない味、で、ある。
スープも飲み干し、うまかった、うまかった。
筆者にとっての、新宿という街は、ワルガキ時代、というのか、
そんな頃と、重なっている。
そして、その中心には、今もって、やはり桂花ラーメンが、ある。
断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |
2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |
2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15
2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |
2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月
2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月
(C)DANCHOUTEI 2007