断腸亭料理日記2007
1月8日(月)成人の日
連休で、またまた、不規則な生活に戻ってしまった。
起床は11時。
銀座へ行く用事があり、何も食わずにとりあえず、出る。
休みの日の第一食は、どうも、そばが食いたくなる。
筆者の行きつけの路麺(立ち喰いそば)は、
浅草千束・ねぎどん、人形町・そば好、田端・かしやま、
三ノ輪・長寿庵などある。
そういえば、余談だが、この5日土曜に三ノ輪・長寿庵に、
久しぶりに行ってきた。とっくに改装が終わり、きれいになっていた。
こちらの勝手な思い入れだが、いかにも『昭和』という以前の雰囲気
が、なくなっていたのは、残念。しかし、味は変わらずうまかった。
ともあれ、どれも、個人営業のため、日曜祭日は休み。
そこで、稲荷町の某立ち喰いそばチェーンで、ゲソかき揚げなどを食う。
まあ、仕方がないことであるが、上記のような、優良路麺と比べ、
ここまで味が違うのか、で、ある。
そんなことなら、最初っから、食べなければよいのだが、
それでも喰いたくなるのは、因果なものである。
稲荷町から、銀座線で銀座まで。
銀座5丁目で用を済ませ、秋葉原にも買い物があるので、
天気もよい、帰りは、稽古がてら、歩こう。
銀座から、秋葉原は、ご存知の「中央通り」一本である。
落語ファンの方には、落語「黄金餅」の町名の言い立てで、有名である。
(歩く方向は、逆であるが。)
試みに、現代の中央通りを、書き出してみよう。
銀座5丁目。旧尾張町一丁目。
通りは歩行者天国で、ある。
成人の日、晴れ着を着た、娘さんを交えた家族連れなども
ちらほら、見かけられる。
銀座4丁目交差点。右前から時計回りに、三越、日産、三愛、和光。
日本一有名な交差点、といってもよかろう。
ここから先は、今も昔も、銀座、で、ある。
パンの木村屋、山野楽器、御木本真珠王の碑。
通り上には、パラソルと椅子なども出ている。
冬で左程多くはないが、それでも、ちらほら、座っている人もいる。
このあたり、街頭インタビューの取材班が二組ほどいる。
アップルストアの銀色のビルが左側、右側に松屋。
銀座二丁目。右側に、赤いクリップの看板、文具の伊東屋。
隣は、上品で重々しい玄関のあるティファニー。
その先、銀座アスターが右側。銀座一丁目。
歩行者天国はここまで。
京橋。架かっていた川の名も、京橋川。
むろん今、橋も川もなく、上を低く首都高が走る。
ここから町名は京橋。
京橋は、区の名前でもあったので、古そうだが、
町名としての京橋は意外に新しく、震災後。
旧町名は南伝馬町、銀座から順に、三丁目、二丁目、一丁目。
と、のどが渇いた。歩き始めたばかりだが、煙草を吸いがてら、
左側のタリーズへ入り、コーヒーを飲む。
すぐに出、また、ぶつぶつ稽古をしながら、歩き始める。
京橋に入ると、銀座に比べ、人通りはだいぶんに少なくなる。
鍛冶橋通りの交差点。
きれいになった明治製菓の本社ビルが左側、鍛治橋通りに見える。
渡って、京橋二丁目。
右側に海苔の山形屋、左側に、古い建物、明治屋の本店。
昭和8年の建築。
一軒おいて、ワインのメルシャン本社ビル。
今日は日も出ており、だいぶ気温が高いのだろうか。
マフラーに、毛糸の手袋をしてきたが、
歩いているせいもあり、身体が温かくなってきた。
しばらくいくと、八重洲通りの交差点。左に行くと東京駅八重洲口。
右手前角が、ブリヂストンの本社。
渡ると、現町名は、日本橋に変わる。
旧町名は、通(とおり)町。
やはり、こちら側から、四(三)丁目。
右側に大日本インキ化学、通称ディック(DIC)の本社ビル。
隣が日本橋通二丁目、日本橋高島屋。古いデパート建築。
先の明治屋同様、昭和8年にできたもの。
昨年、東京都指定の歴史的建造物に指定されたという。
左側は創業明治2年。和書、洋書、文具、ファッションで
文化の香り高い、丸善だが、現在建替え中。
右側、上から読んでも下から読んでも、山本山、日本橋本店。
創業元禄三年、紫の暖簾、海苔とお茶の、山本山。
永代通りの交差点。
渡って、日本橋通一丁目
右角はコレド日本橋。
以前は、東急日本橋、さらに前は白木屋。
白木屋といえば、昭和7年の白木屋火事を思い出す。
和服の女性従業員が、当時下着をつけていなかったため、
乱れる裾(すそ)を押さえようとして、脱出用の綱の片手を放し、
墜落して命を落としてしまった、といわれている、あれ。
そして、日本橋。
左の袂(たもと)、少し低い位置に、記念碑が建っている。
何度か書いているが、日本橋の上、邪魔な、高速が走る。
先の小泉首相の時に、これを取り払い、地下化する計画が
出ていたような記憶がある。本当にできるのであろうか。
いや、是非、これはなんとしても、何年かかっても、
やらなくてはならぬ。
日本橋は、日本国の道路の基点であり、東京の、日本の肝(きも)。
こんな日陰において置いて、いい、ハズがないではないか。
筆者はこれからもきっとこのことは、何度も何度も、
書き続ける。
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だいぶんに長くなってしまった。
はたして、この内容で、読んでいただける方がどれほどいるのか。
不安であるが、明日も続く、、。
(嫌がらせか!?)
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