断腸亭料理日記2006

落語を憶える、と、いうこと

12月3日(日)

さて、日曜日。
昨日も、少しワインを呑み過ぎてしまった。

第一食は乾麺のそばを茹でて、笊にし、
生玉子かけ、おろしにんにくを、ほんの少し、
汁に入れる、というやつ。

やはり、なかなか、うまい。

その後、日記を書きながら、スカパーで「剣客商売」を見たり。

2時過ぎ、腹も減ったので、稽古をしがてら御徒町の青葉へ
ラーメンを食いに出る。

稽古とは、落語である。
次のネタを仕込まねばならない。

第一回、第二回と断腸亭落語会をやったが、
このネタは、一回目が「天災」。そしてこの前の第二回が
「黄金の大黒」。
これらはどちらも、志らく師の落語教室に通っていた頃
かなり、稽古をしたものであったこともあり、
自分でも、比較的自信があったネタでは、あった。

さて、次は、なにをやろうか。このことである。

実際のところ、過去にやったことのあるネタ
十席程度はあるが、やはり、今すぐにできるものは、一つもない。

思い出し、憶え直しをしなくてはならない。

どれがよかろう。
根本的に、選ぶ基準は、笑っていただけるもの。
笑いの多い話。これ以外になかろう。

筆者など、素人である。
味を楽しんでもらう、雰囲気を、などというレベルではない。
下手ながら、笑ってもらうことが最低条件。
そして、少しは関心していただける、、。
そんなところであろう。

そんな基準で一応のところ、ネタは決めた。
憶え直し、で、ある。

落語を憶える、という作業は、まずは徹底的に、聞くこと。
言葉としてのセリフはもちろん、セリフそれぞれのリズム、メロディーを
徹底的に、聞き、憶える。
書いたもので憶える、というのは論外。
リズムとメロディーが、伝統芸能である落語の命、で、ある。
皆、志らく師の教え、で、ある。

そして、筆者など、素人の場合、プロのテープ(CD)から
憶えるわけであるが、誰で憶えるのか、これもポイントである。
できれば、癖のない、きれいな人のもので憶えるのが
ベストである。

筆者など、元来が談志家元の信者であったから
談志師のテープを一番よく聞いているし、
生ででも何度も無論聞いている。

しかし、談志師のものは、こと、憶える、という意味では
適していない。癖が強過ぎる。
このキャラクター、この年恰好の人が喋って、よいことと、
筆者など、素人が喋っていいことは、自ずからまったく違っている、のである。
これも志らく師の教え。

ついでにいうと、志ん生師も基本的にはだめ、で、ある。
憶える、という意味では、この師匠の音は、いい加減過ぎる。
聞いて面白いということと、まったくここでは、
別次元の話しになるのである。

むろん、その噺、噺によって、この噺であれば、
誰のものがベストか、というのも決まっている。
(このあたりは、断腸亭落語案内、として、はてな版
の方に書いてもいる。)

一般論としては、志ん朝師、などのテープが
憶えるには最も適している。
どんな噺でも、正統派の落語をきちんと、きれいに、演じている。
志ん朝師の噺をきっちりとコピーできれば、
それだけでもう、立派な二つ目になれる、といっても
よいくらいであろう。
テクニカルな話しだが、最もきれいで、落語らしく聞こえるのである。
おもしろいかどうかは、また別の話しである。
落語協会の若手などは、志ん朝師とそっくりのリズムで
喋る人がごろごろしている。

そんなことで、ターゲットのネタの音源を二人ばかり、
志ん朝師と、志らく師、の二人、まったく好対照であるが、
を、用意し、i-Podに入れ、出かける。
(実は、志らく師のリズムは、意外だが、志ん朝師のリズムに
近かったりもするのである。)

この噺、一度憶えているのだが、
その時には、談志師と、小さん師の音で憶えていた。
この二人、さすがに師匠と弟子、ベースの部分は
意外に似ていたりするのである。

今回はそこに、志ん朝師と志らく師の二人を加えて
憶え直そう、ということである。
(どうでもよいのだが、筆者この噺、この四人のテープ
(あるいはCD)を持っているというわけである。
談志家元のものは、さらに若い頃のものと、壮年の頃のものと
数種類ある。さらに、これに加えて、志ん生師のものもあるので
5人のものを持っている。
まあ、一つの噺でこれだけ持っていれば、マニア、である。)

歩きながら、頭から、セリフ一つ一つを聞いて、
止めて、口に出し、言ってみる。
また聞いて、最初から言ってみる。
これを繰り返し、少しずつ、先に進めていく。

御徒町駅の青葉へ着き、特製中華そばを食い、
吉池で魚をみる。

鱸(すずき)に目がとまる。江戸前、落ち鱸。
脂がありそうである。
切り身を三切れほど。
それから、湘南、生しらす、と、いうのがあった。
生しらすの旬というのはいつなのか、よくわからぬが、
ちょっと珍しいので、買ってみる。

帰り道。またまた、憶える作業。
まっすぐ歩けば、15分もかからぬが、竹町から、佐竹商店街やら、
清洲橋通りを渡って、小島町やらの裏路地をぐるぐる回る。

憶えるのも、歩きながらが、やはりよい。
じっとしているよりも、集中できるのである。

結局、都合1時間近く、かけたが、
噺とすれば、5分も憶えていない。
なかなか、手間と集中力がいる作業なのである。
これから気長に憶える作業を続けなければならない。

そして、憶えるということを一応終えても、
これで終わりではない。
次に、徹底的に、リフレイン、繰り返し、
歌を唄うように喋れるようになるまで、憶えこむ。
歌というのは、頭で考えなくとも、人は唄えるものである。
これは、絶対に欠かせない。
人前で喋るということは、ただでさえ、緊張し、あがる。
どんな状況でも、セリフが出るように、頭で考えなくとも
いいような状態まで、持っていかなければならない。

そこまでいって、やっとスタートライン。
ここから、どう喋れば、よりおもしろいのか、
自分なりの細かい演出を付けていく。

一つの噺を仕上げる、というのは、
こういう段取りをとるものなのである。
長い道のりである。
やはり、筆者のような素人は、半年でやっとである。
それでも、どうなることやら。

帰宅し、鱸は七輪で焼き、生しらすはしょうがじょうゆで食った。

鱸の方は、網にくっついたりし、
味はうまかったが、みてくれは、ちょっと散々。
生しらすは、多少、苦味のようなものがあるのだが、
つまみだけではなく、飯にかけて、食ってみたが
これは、なかなかいけるものであった。


さてさて。
今日は、落語を憶える、という作業がどんなものか、も
書いておいてもよいかと思い、こんなことであった。

次回、断腸亭落語会、お楽しみに?!



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