断腸亭料理日記2006
12月1日(金)夜
いきなり今日は、明神下の神田川、で、ある。
といっても、読者の皆様には、おわかりにならない。
筆者にとっては、ここ、明神下神田川は、特別なうなぎ屋、で、ある。
このため、本当であれば、特別な時に、特別な人と、
むろん、何日も前から、いついっか行こう、と、予定をし、
期待を高めて、行く、そんな、ところ。
このところ、この日記を書くようになってから、
きていなかったのだが、それは、
そんな特別な時がなかった、とうことなのである。
朝、友人が急に、今日呑まないか?とTELを掛けてき、
ちょっと込み入った相談がある、という。
で、あれば、個室のあるところ、か。
思いついたのが、ここである。
よし、思い切って、いきなりだが、いってみようか、と
いうことにしたのである。
昼前、予約を入れる。
ここは、最も遅くとも、19:30までに店に入ってください、
ということになっている。
そして、昔ながらの、客がきてから、うなぎを裂く、
というスタイルを、基本的には、続けている。
しかし、それでは今の時代、さすがに不都合ということなのか、
来る時間に合わせて出せるように、予約時に、
うなぎの注文を聞いてしまう。
白焼き一人前と、うな重二人前を頼んでおく。
7時前にオフィスを出て、大江戸線、上野御徒町で銀座線に乗り換え、
末広町から歩く。
今、末広町は、ほとんど「秋葉原」で、ある。
メイドカフェのお嬢さんが、ビラを配っていたりする。
中央通りを渡って、アキバでも濃いゾーンを抜ける。
パーツショップやら、最近は「食玩」などという看板も出ている。
もはや、ここまでくると電気街ではない。
昌平小学校を右に見て、昌平橋通りに出る。通りを渡り、左へ。
高い板塀に、軒行灯風の看板。
門柱に肉筆の筆文字で、御蒲焼 明神下神田川本店
二階建ての、しもた家風の日本家屋である。
この昌平橋通りの、裏手はもう一本裏通りがあり、
その向こうは、崖で、その上には神田明神。
今の町名は外神田。旧町名では神田同朋町。
明神下神田川は、創業は文化2年、という。今年で、なんと201年。
もう少し、界隈をみてみたい。
江戸の地図
ヲナリコウジ、とあるのが、今の中央通り。
将軍様が上野の寛永寺に、お成り、になるときの通り道であったので
この名前がある。
今、蔵前橋通りと呼んでいる通りは、堀丹波守屋敷の北側。
その先が妻恋坂。
(今の蔵前橋通りは少し南側に広くなり、新妻恋坂。)
このあたりの区画、道の配置、今も基本的には
大きくは変わっていないのがわかる。
神田の明神様は江戸総鎮守。
そのすぐ下、で、明神下。
江戸の中でも最も江戸らしい場所、神田の中でも最もその血が濃い場所
と、いうことができるかもしれない。
(銭形の平次親分も、ここ明神下が住まいであった。)
明神下・うなぎの神田川といえば、落語。
そして、中でも、八代目桂文楽師、で、ある。
文楽師匠は、黒門町の師匠とも呼ばれており、
黒門町はもう少し上野寄りだが、ここからそう遠くない
ところに住んでいた。
そして、ここ、神田川を贔屓にしていたという。
さらに、その文楽師の十八番(おはこ)の一つでもあった
素人鰻(しろうとうなぎ)という噺。
噺としては、明治になり、元旗本の旦那がいわゆる、氏族の商法、
うなぎ屋を始め、失敗する、というものである。
ここに登場する、うなぎ職人を文楽師は「神田川の金(きん)」
と、して、登場させている。
神田川で働いていた職人で、名前が、金さん、ということである。
余談だが、落語には、実際にある店を登場させる、というのは
宣伝をしてあげる、今でいうタイアップ、という意味もあったのであろう、
意外に少なくない。
「王子の狐」には、玉子焼きで有名な、今でもある「扇家」が、
実名で登場するし、また、田舎者の権助が登場する
「百川(ももかわ)」という噺は、当時、八百善などと並んで、
著名な日本橋に実際にあった料亭、その名も「百川」が舞台である。
さて、そんなこんなで、神田川。
門を入って、右側の玄関。
格子を開けると、中は広い。右側に下足のお爺さん。
ちょっと、旅館のようである。
少し早かったが、名前をいうと、
「もうみえてます」ということ。
靴を脱ぐ、のであるが、いわゆる沓脱(くつぬぎ)の石が
二段になっている。
先に下の段の石に靴を脱ぎ、次に上の石に上がり、
さらに板の間に上がる。
床(ゆか)が普通よりも高くなっているのかどうか、
わからないが、この二段階の動作は、なにか新鮮に感じる。
細かいことだが、上がる動作に、一拍(いっぱく)の間(ま)、
インターバルができる。この、間、に、店の格というのか、
余裕、というのであろうか、そんなものを感じさせる。
ここはすべてが、座敷。
やはり旅館のような、個室で、ある。
玄関から、廊下を曲がって、一階、二つ目の部屋へ案内される。
襖を開け、部屋に入る。
床の間のある八畳、いや十畳、はあろうか、
二人では広すぎるような部屋である。
入り口が障子(しょうじ)のある襖。
庭側は、障子。
開けると、縁側があり、外にガラス戸。
その外には、庭が見える。
この建物自体はむろんのこと戦後の建築であろうが、
それでももう大分に時代がついている。
床の間には、花が生けてあり、掛け軸。
大きな塗りのお膳。
そして大きな座布団にどっかりと、座る。
こうした部屋でうなぎを食える、というのは、
ほんとうに、贅沢な気分である。
部屋も、ピカピカに新しいよりは、
このくらい時代がついている方が、落ち着ける。
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さて、今日はここまで。つづきは、また明日。
明神下 神田川本店
住所 東京都千代田区外神田2-5-11
電話 03-3251-5031
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