断腸亭料理日記2005
10月15日(土)第一食
毎週、筆者の土曜の第一食は路麺に決まっている。
先日、なかなか行けなかった、日本橋のそばよしへ行った。
こちらは、土日休みであるが、人形町にも店があり、ここは土曜も
やっている、というので今週は、ここへ来てみた。
場所は、人形町交差点、AMPMが角にある交差点、から
堀留町、岩本町方面へちょっといった右側。
玄冶店(げんやだな、げんじだな)という言葉を
ご存知の方はおられるだろうか。
江戸の地図である。
ちょっと、カナ文字で、小さいが、中央、「新和泉町南側」のあたりに
「ケンヤタナ」の文字がある。
芝居(歌舞伎)がお好きな方には説明の必要はなかろう。
歌舞伎では源氏店という。
「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」
源氏店(げんやだな)の場」、として登場する。
『もし、ご新造さんえ。お内儀さんえ。お富さんえ、
イヤサァ、お富。久しぶりだなぁ。』
(春日八郎の「お富さん」なら知っている方もあるかもしれない。)
と、いう、このセリフ。
与三郎という無頼の男が、源氏店に住むお妾を強請りにかけるのだが、
その相手が、自分の昔の女であった、という、話しである。
その舞台が、ずばり、ここ。「粋な黒塀、見越しの松」。
妾宅なんぞもある、粋な場所であったのである。
そして、落語ファンには、寄席、人形町末広、のあった場所としても
記憶されている。(昭和44年まで)
(新宿は、末広亭であるが、人形町は末広、が正しい。)
(人形町末広は、談志家元のDVD「談志独り占め」(講談社)に詳しい。
写真なども、載っている。)
(また、先の江戸の地図には、長谷川町、田所町、
などという町名も見える。
どうでもいいが、長谷川町といえば、落語「天災」の紅羅坊名丸
(べにらぼうなまる)先生の住んでいたところ。
田所町は同じく「明烏」の若旦那の家のあったところである。)
今はもうほとんど面影はなくなっているが、
このあたりも、戦争でも焼け残り、古い街並みを残していた、という。
その末広の碑があるビルの隣りが、おそらく、焼け残ったと思われる、
古い木造建築の「うぶけや」という刃物店。
(創業200年以上というこの店は、確か、毛抜き、なども売っており、
店名は、産毛(うぶげ)からきていたと思う。
場所柄であろうか、粋な名前である。)
そして、その隣りが、そば好、である。
日本橋は、そばよし、であるが、こちらは、ソバコウ、と読むようである。
やはり、店は広くない。
メニューは似たようなものか。
日本橋では食べなかった、穴子天。
ちょっと二日酔いぎみで、生卵も入れる。
江戸前の穴子天、一本が、ドデン、とのる。
細めでシャキシャキのそばと、鰹節問屋直営の、自慢の濃い出汁。
(この、濃い、は、しょうゆではなく、鰹だしの、濃い、である。)
生卵の溶けたつゆが、二日酔いの胃に、じんわりと、広がる。
うまい。
土曜日の朝であるが、狭い店内に、客は切れない。
うまいものは、皆、知っているのである。
そば好人形町店
TEL 03-3664-5978
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3丁目9−2
『募集』
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