断腸亭料理日記2005
9月28日(火)夜
さて、お多幸を出て、新橋駅方面に帰りかけたが、
ふと、ラーメンが食いたくなった。
おでんで一杯引っ掛けて、ラーメン。
間違いなく、親爺の行動パターン、であろう。
このあたりでは、どこであろうか。
「はしご」も、あるが、おでんの後に、担々麺、でもなかろう。
・・・。
昭和通りを越え、ちょっと遠いが、がんこ。
随分以前に、店の前まで来て、やっておらず、
入れなかった、ところであった。
お多幸も八丁目であるが、ここも、八丁目である。
(そういえば、銀座という町名も広い。
海側は、首都高までは銀座である。)
もはや、ブランドであり、今さら、
前の町名に戻そうなんという人は、あるまい。)
昭和通りを越えると、木挽町、である。
対岸である汐留は再開発され、大きな街ができている。
東京でも、最近、再開発されたところは、みな、同じように
見えてしまう。この汐留あたりもあまり、魅力を感じない。
入っているテナントが同じようだったりするせいであろうか。
デザインが似通っているせいであろうか。
余談ついでに、もう一つ。ご存知の方もおられるかも知れぬが、
この汐留シオサイトにイタリア街、というのが、できかけている。
イタリア風の公園があり、イタリア風デザインのオフィスビル
を建てて、その一角は、イタリアにしよう、と、いうものである。
(ちょっと、ディズニーランドのようである。)
まあ、作るのは勝手であるし、喜んで入居しようという企業が
いるのであれば、なにをかいわんやであるが、
はた目には、この町、ちょっと、意味がわからない。
なにかテーマを決めて、街造りをしよう、というのは、
おもしろい、試みであるとは、思う。
しかし、なぜ、汐留で、イタリアなのか?
日本では、イタリアは人気があるからか?
(なんでも、この区画の地権者の方々が連携して、
こういうことになった、ようである。)
余計なお世話であるが、ちょっと首を捻ってしまう。
閑話休題。
歩道橋を渡って、木挽町側へ。
このあたりは、名にし負う、新橋の料亭街である。
今でも、竹葉亭、吉兆、金田中などがあったりする。
ガソリンスタンドの裏の路地を入る。
一条流がんこ、10代目で、もとは、駒場にあったようであるが、
この地へ移転し、名前も、勇、と、付けたという。
筆者がよく行くのは、本郷三丁目の12代目である。
黒い塗装と、骨をぶら下げる看板は、かわらない。
店内に、系図が掲げられているのも、がんこ、のしるし。
9時前、店内は、カウンターに若めのサラリーマンが一人。
ご店主は、個性が強い方で、それが名物である、と、いう。
店員の東アジア系の女性に大声で軽口をたたきながら、TVを見ている。
みそや、油そばもあるが、基本の、しょうゆ・こってりを、頼む。
なんだかんだと、いいながら、ラーメンの仕上げはやはり、
ご店主がする。
雪平鍋にとったスープを、ラーメン丼に入れる前にこちらへ見せ、
「今日の、スープです。澄んでるでしょ!」
なるほど。
見たところ、がんこ風のとろけるチャーシューであるが、薄い。
また、こってりの割りに、背脂も少ない。
麺は、かん水の多い、硬くて、黄色みの強いもので
がんこ、流、と、いってよかろう。
スープを飲み、麺をすする。
塩辛さは、ほとんど、ノーマルなラーメンレベルで、
見た通り、こってり、と、いうよりは、かなりさっぱり。
隣のお兄ちゃん(サラリーマン)がスープをきれいに飲み干している。
ほう、そこまで、かぁ、、、。
しかし、なかなか、これは、うまい。
呑んだ仕上げ、というのには、もってこい、である。
夢中で、すすり、かつ、スープを飲む。
結局、筆者もスープを飲み干してしまった。
自慢するだけのことはある。
久しぶりに、なにか余計なことを考えず、
集中して、完食、完飲である。
うまかった。
東京都中央区銀座8-15-6
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